沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第17講 黒川治愿の足跡をたずねて 第3回「伝統をうけつぐ──木遣り保存碑」

伝統をうけつぐ──木遣り保存碑

柏原公園にある佐久間義良木遣記念碑

柏原公園にある佐久間義良木遣記念碑

※この文章は2004年4月に執筆されたものです。

春日井市内に二つの木遣りの記念碑が建っている。一つは文化センターの裏手にある柏原公園内にある「佐久間義良木遣記念碑」だ。八田川の堤防沿いに建てられていた碑は、昭和四十五年、区画整理事業によって、現在の公園内に移されてきた。 柏原公園内にある公会堂では、佐久間義良の教えを受け継ぐ柏原町の有志の人々によって、現在も三月には木遣りが披露されている。

佐久間義良と同じく明治末期に木遣りの普及につとめたのが花長町の成瀬與三郎だ。白山神社境内には、明治末期に成瀬與三郎らが発起人となって建てた「木遣師匠記念碑」と、昭和初期に建てられた「成瀬與三郎翁碑」が建っている。

重い材木を運ぶ時には、自然と掛け声が出てくる。その掛け声が唄になり、節まわしも面白く歌うのが木遣り唄だ。音頭取りの掛け声にあわせて、歌にあわせて重い材木を運ぶ。つらい労働も、歌によって楽しく行なうことができた。それがもともとの木遣りであっただろう。

栄西禅師が始めたとも、伊勢神宮の木曳唄が起源だともいわれているが、はっきりしない。大きな声を張りあげ、足拍子おもしろく棒を振うという儀式化された木遣りは、いつしか神社仏閣の棟上げ行事に用いられ、民間の上棟式にも用いられるようになった。

白山神社境内にある木遣師匠記念碑(左)と、昭和初期に建てられた成瀬與三郎翁碑(右)<

白山神社境内にある木遣師匠記念碑(左)と、昭和初期に建てられた成瀬與三郎翁碑(右)

春日井地方の木遣りは、明治末期、成瀬與三郎が中心となり、野村弥右衛門、長縄喜次郎などが、木遣り師匠野村勘左衛門、栗木芳右衛門、太田九蔵について普及につとめたのが隆盛の始まりだ。佐久間義良は味鋺原新田の林太右衛門の五男として生まれ、柏原の佐久間家を嗣いで、木遣りの普及につとめた。

今も、その流れをうけつぐ人によって、木遣りは保存されている。

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