沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第15講 福徳・中切・成願寺 第5回「木霊(こだま)──天神社」

木霊(こだま)──天神社

中切天神社。写真取材時には「中切天神社」ののぼりがたくさんはためいていた

中切天神社。写真取材時には「中切天神社」ののぼりがたくさんはためいていた

受験シーズンに入って、どの天満宮も大変な賑わいだ。おびただしい数の絵馬には、入学を希望する学校の名前が書かれている。なかには、子どもに内緒で、代理で母親が参拝にきている姿もみられる。

壮大な神域の天満宮でありながら、受験生の姿がみられない神社がある。中切にある天神社だ。祭神は受験の神様の菅原道真だ。創立年代は不明である。安食重頼や山田重忠の崇拝をうけていた神社というから、歴史のある神社だ。

古い由緒のある神社で、しかも建物は立派で大きい。それにもかかわらず受験生の姿が見られないのはなぜか。この神社が、天神社であると知っている人が少ないからだ。天神社であることは石段を上がって行って、鳥居の傍にある石碑を見ることによって初めてわかる。

神社は氏子によって守られている。氏子がいなくなれば、その神社は消滅する。中切には神明社と天神社の二つの立派な神社がある。神明社の氏子は二十数名だが、天神社は一人だという話だ。ひとりで、大きな神社を護っていくのは大変なことだ。

天神社の傍に、小さな御堂がある。その御神体を神社の前に住む古老に尋ねた。

「あれは社務所です。私は、この土地に来て二十五年です。氏子の方が何人かは知りません。しかし、お祭には幟がたてられるし、受験の時にはお参りにくる人もいます。昔は茄子天神と呼んでいて、茄子をお供えしていたようです。なぜ茄子をお供えしたかは知りません。この天神社は、疝気(下腹部内臓が痛む病気)の人がお参りするとなおる、と信心をうけていたようです」

天神社拝殿

天神社拝殿

古老の家の前にある石段を上って、天神社にお参りする。中学生時代、国語の教師から方丈記や奥の細道の冒頭文を暗記する宿題を課せられたことがある。なかなか集中して暗記することができない。氏神様に行って暗記したが、今でも、その一節は覚えている。静寂な、誰も訪れる人のいない神社は、絶好の暗記をする場所だ。天神社の拝殿に座り、遠い中学生時代のことを思い出していた。

天神社の高台から眺める名古屋の街もなかなかのものだ。二百メートルほど西に、こんもりと茂った森が見える。天神社と同じように、矢田川の堤防の上に建っていた神明社だ。堤防はかなりの高さで、矢田川が真っ直ぐ西に流れていたことがわかる。

天神社の東にはふたかかえもある公孫樹の大木、西にはケヤキの大木が空高くそびえている。古木には霊が宿るという。天神社のケヤキを見ていると、そんな感じをうける。天神社には、ケヤキや公孫樹の他にも何本もの古木がそびえている。

天神社は多勢で押しよせる神社ではない。ひとり静かに瞑想をする場所だ。そして木霊と対話をする場所だ。木霊と対話をすれば、新しい力を得ることができるであろう。受験生も、誰も訪れる人のいない神社で木霊に囲まれて、英語の単語や数学の公式を覚えるならば、合格できる実力が身につくのではないか。いつ訪れても、きれいに掃除がしてある神社を、ひとりで何時間も占領して読書をしたり、昼寝をしたら、それこそ至福の時間ではないか。天神社は町の中に残された、人に知られていない奇跡の空間だ。

天神社と道をひとつ隔てて、丸石の石垣のある民家が二軒並んで建っている。家は新しく建てかえられているが、石垣だけは昔のままのものだ。高い石垣の上に、中切の部落では水害を防ぐために水屋と呼ばれる家が建っていた。この二軒の民家は、そんな水屋の名残りをのこしている家だ。

地図


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