地下はラッシュ、広小路はガラガラ
友人とよく連れだって、広小路を散歩する。名古屋駅前に来ると、ミヤコ地下街に入る階段を思わず降りてしまう。駅前の地下街はJRや名鉄、近鉄の乗り場に通じていて便利だ。しかし、電車に乗るために階段を降りたのではない。
地下街には、多くの飲食店が店を出している。それぞれ名前のよく知れた喫茶店や食堂だ。しかし、階段を降りたのは、お茶を飲むためでも、食事をするためでもない。 地下街に店を出しているのは、飲食店だけではない。衣料品や雑貨、書籍など多くの商店がある。また、広小路にも地下街から入ることができる。散歩の帰り、地下街に降りるのは買物をするためでもない。
地下街には交差点がない。駅前には、いくつかの大通りが交差していて、信号待ちの時間をかなりとられる。地下街を歩けば、信号待ちのいらいらが解消される。また自動車や自転車に注意して歩くことのわずらわしさもない。地下街は歩行者にとって安心して歩くことのできるところだ。 雨の日、風の日、雪の降る日、地下街は天候に左右されることなく歩くことができる。寒さや暑さにも対処することができ、地下街を歩くことは、すこぶる快適だ。 名古屋の地下街は、全国の地下街の先駆けをなすものであり、その規模においては一番であろう。
名古屋駅と栄の地下街は、地下鉄の開通とともに誕生し、発展してきた。最初にオープンしたのは駅前の第一ナゴヤ地下街だ。地下鉄開通に先立ち昭和三十二年三月十八日にオープンしている。七月一日には、駅前の三井ビル南館の下を通る新名フードが開業する。十一月の地下鉄開通と歩調をあわせ、名駅地下街と栄地下街がオープンする。 昭和三十三年の駅前地下街を通る人は、一日約十五万人であった。
昭和四十年十月十五日、地下鉄の栄と市役所間に地下鉄が開通する。この年、栄中地下街、栄南地下街が開業した。この年の十一月二十三日の調査によれば、栄地下街を通行した人は二十三万八千人であった。 地下鉄から地下街に入る人だけではない。わざわざ自動車に乗って地下街に買物や食事に来る人もいる。昭和四十年には栄公園地下駐車場、昭和四十五年にはユニモールの駐車場ができた。
駅前の地下街には三五九店舗が入居していた。店舗面積は一万八千九百平方メートルである。栄地下街は、一九四店舗。一万二百九平方メートルである。 大規模な地下商店街の出現は、広小路通りの様相を変えてしまった。地下街はラッシュ、広小路通りはガラガラという光景を呈するようになってくる。広小路通りの飲食店、衣料品店は地上の店をしめ、地下街で商売をする。あるいは商売をやめて、土一升金一升の地代で、ビルに様がわりをしてゆく。
便利で、安全で、快適な地下街、整然と並んでいる小ぎれいな店舗。しかし、この地下街を目的もなく、ぶらぶらと歩く人は少ないであろう。広小路通りを歩くような楽しみがないのだ。広小路にあって地下街にないのは、情緒であり、風情であり、うるおいだ。青空の下、広々とした空間をなんとなく歩くことによって得られる心のやすらぎだ。 地下街は、物理的条件に起因し売場面積が狭い。ゆっくりとお茶を飲む、買物をするという気分にもなかなかなれない。
広々とした空間、その下に広がる大通り、その道をあてもなく歩く楽しみ、それがかつての広ブラであった。