伊勢湾台風の体験を語る 横井克宣さん

戦前・戦後の証言
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伊勢湾台風の体験を語る 横井克宣さん

柴田駅前で居酒屋「幸楽」を営む横井克宣さんに戦中・戦後の名古屋の様子や、昭和34年の例の9月26日の伊勢湾台風の体験を語っていただきました。(2009年6月撮影)

伊勢湾台風の体験を語る

※以下の文章は上のインタビュー動画から書き起こした内容です。

焼け跡からの復興

南桑名町という所で育ったんです。親父は料理屋をやってたんですけども、アマチュア映画の草分け的存在だったんですねぇ。 戦争になるっていうんで5,6歳の時に今の知多市、当時は朝倉海岸って言ってましたけども、そっちの方に疎開してたんです。

戦後復興で南桑名町から栄の南呉服町というところで、また料理屋を始めたものですから、自分たちも小学校の頃はお店へ遊びに行って。 広小路の界隈は屋台もありましたし、今の三越あたりやエンゼル公園だとかテレビ塔の辺りは草ぼうぼうで。今はもう凄い街並みになってますけれど。 オリエンタル中村の裏っかわで盆踊りとか、そういうのをやってましたねぇ。
テレビ塔が松坂屋のビルの上をニョキニョキニョキニョキと建ち上がっていくというのは中学校時代に見てましたね。 お堀の近くは進駐軍のカマボコ兵舎って言ってましたけどね、駐屯してましたね。あとは白川公園もアメリカ村って言ってましたから。

  • 焼土と化した名古屋中心部

    焼土と化した名古屋中心部

  • 松坂屋東の現在の久屋通公園周辺

    松坂屋東の現在の久屋通公園周辺

  • 昭和29年頃の栄町交差点

    昭和29年頃の栄町交差点

父との思い出

うちの父親が映像やってたもんですから、小さい内から8mmの映写係と、その当時は8mmは無声映画だもんですから伴奏っていうとSP盤を伴奏として流して 映像の音楽として使ってましたねぇ。父親が映画で失敗して、まあ気苦労がたたったのかポックリ亡くなっちゃったんですね、昭和32年に。私が17の時ですね。 大学卒業する時に長男も2週間ぐらい経って亡くなっちゃったんですね、昭和32年に。当時ですね、私が次男だったんですけど長男の代わりになっちゃった。

南部臨海工業地帯の建設で柴田へ

柴田へ来たのは、ちょっとお知り合いの方が大同町の所で工場をやってみえて「これからは柴田は発展するから」と言う、 それで昭和33年にこの柴田で店を始めたんです。
昭和33年頃ちょうど今の新日本製鐵の前身の東海製鉄がコンビナートを作り、その横にも大同製鋼さん、 今の大同特殊鋼さんが知多工場を造るというんで造成をしたんです。当時の造成の仕方っていうのが、サンドポンプといいまして海水と砂を引き上げて それで陸地を作る。全国から職人さんが来ました。
その時は柴田地区というのはもの凄く潤ったんです。ただ、喧嘩も多かった。やっぱり昔の職人さんというのは捻り鉢巻きで力と力の勝負みたいなもんですから。 私が神宮前からタクシーに乗ると運転手さんが「もう柴田だけは行きたくない」と言うので「だったら私、助手席乗るから、お金だけ払うから、 柴田降りたらもうすぐ発車してちょうだい」とね。柴田着くとねもう捻り鉢巻きの人がぱっと乗るんですよ。別に悪い人じゃないんですけどね、姿形見ると、 お金はまぁタップリ持ってるんですけど、職人さんですから威勢がいい。良き時代なんでしょうね柴田の。

伊勢湾台風

昭和33年の9月頃に開店しましたが、翌年、昭和34年9月26日伊勢湾台風にやられました。 ここへ来たときは海抜0mとは知りませんでした。
天気は良くて、何かちょっと風が強くなってきた昼過ぎには。私は名古屋の方に用があったもんですから行ってたんですけども。 電車乗って私が乗ったのが最後だったんですけども。まぁそれで商売止めればいいんですけど、月給日だし忙しいからというんで風が吹く中、 暖簾は一応出したんですね。出したとたんに暖簾は飛んでいくわ、袖看板は飛んでいくわ。
台風情報というのは今みたいに発達してないもんですから。アメリカさんが飛行機飛ばして台風の目へ突っ込んでいって取った台風情報をもらうということで、 ずいぶん情報が遅れてるもんですから、なんか凄い台風が来てるということはわかってたんですけども、 これほどに凄い台風が伊勢湾の中を通過しているとは思わなかった。

思いもよらぬ台風の被害

自分はそのぉ、ガラスがバリバリバリバリと風で飛ばされたりしてガラスを押さえてましたらね、その横から水がチョロチョロ流れてきたもんですから、 どぶ板でも外れて水が飛び出したんだろうと思ったんです。ちょっとおかしいと思って二階に上がったんですね。で、次下りてきたときにはドワーっと 水がもう押し寄せてきて、もう下りれない状態で階段上がって二階に上がったんですけど、その二階の畳までもう浮いちゃいましてね。 ちょうど二階の畳が一尺上がったんですかね、水で。ちょうどサヨリっていう魚がピョンピョン泳いでた状態で。ちょうどそれが少し経ったら水が おさまったもんですから。まぁ裏の方が風が当たらないもんですから雨戸開けてみたら、全部海なんですね柴田が。これはどういう状態なのかと。 ともかく堤防がほとんど決壊しちゃいまして海面と一緒になっちゃったんですね。
当時はあまりお店も少なかったですからねぇ。ただここは柴田の駅の前で名鉄の常滑線のホームがあったもんですから、 多少緩衝されて、水の勢いが止まったんですね。
ホームの両側は裏に貯木場があったもんですから、大きなラワン材が流れてきましてね。 ラワン材が縦になって流れてきて、それで家をつぶしたり、人がその中に巻き込まれて亡くなったり。 この近辺でも結構何百人て方が亡くなってみえるみたいです。
水陸両用艇だとか重機を持って、ほとんど自衛隊の人が復興してくれました。今みたいにダンプもありませんし。 情報を知ろうとしてもリコプターも無いもんですから。柴田はわりと早く情報がわかったんですけども、 隣の宝生町なんか三日か四日遅れて情報が届いたそうです。

  • 伊勢湾台風の被害

    伊勢湾台風の被害

  • 伊勢湾台風の被害

    伊勢湾台風の被害

  • 居酒屋「幸楽」

    居酒屋「幸楽」

元気な内はお店を続けたい

平成21年で(開店から)51年なんですけれど、大家さんが今のところ「出てきなさい」とは言わないもんですからお言葉に甘えて 自分が元気な内は営業したい。まあ私7月になると70(歳)ですけれど、いつまでできるか。お客様が「止めるな、止めるな」言うんで、 できる限りやりたいなと思います。

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