舞楽は舞いを伴う雅楽で、中国大陸から伝来した「唐楽」と朝鮮半島と渤海国(旧満州)から伝来した「高麗楽」があり、「唐楽」には、中国ばかりでなくインドやベトナムの楽曲と舞も含まれる。「唐楽」による舞楽を左方、「高麗楽」による舞楽は右方と呼ばれている。
振鉾(えんぶ)
舞台を祓い清めるため、舞楽の最初に舞われる。周の武王が紀元前1050年ころ、天地の神々に戦勝を祈った様をかたどったのが起源といわれている。
萬歳楽(まんざいらく)
おめでたいときに演奏される曲で、「太平楽」と共に即位の礼、慶賀の時などに演奏される。
延喜楽(えんぎらく)
醍醐天皇の延喜八年(908)藤原忠房が曲を、敦実親王が舞を作ったもので、年号の「延喜」を曲名にしたものと伝えられている。
喜春楽(きしゅんらく)
陳(557-589)の粛公の作とか、随(581-618)の煬帝の作とも伝えられる。神社の御遷座などに用いられている。
敷手(しきて)
平安時代(794-1185)に渤海国の大使が我が国を訪れ、再訪を願ってこの曲が作られたと伝えられている。
胡蝶(こちょう)
延喜六年(906)、宇多上皇が童相撲を御覧の時に、藤原忠房が曲を、敦実親王が舞を作ったと云われている。蝶が花を求めて飛びかう様子をあらわすような、可憐な舞。
還城楽(げんじょうらく)
唐時代(618~907)の玄宗が乱を平定した後に作らせた曲とか、蛇を食べる習慣のある西域の人が蛇を見つけて喜ぶ様を表したものとか云われている。
抜頭(ばとう)
天平年間(729-749)、インドシナ半島東南部にあった国、林邑(リンユウ)の僧仏哲によって、我が国に伝えられたと云われている。猛獣に襲われて父を殺された子が、山にわけ入り父の仇を打ち歓喜する様を舞にしたものといわれている。
長慶子(ちょうげいし)
舞楽が終了し,退出を促す退出音声として演奏される楽曲。演奏のみで舞はない。