安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その1-2005年日本国際博覧会協会事務次長に就任
安井俊夫氏-2005年日本国際博覧会協会事務次長(1997年~2005年) 2005年に開催された愛知万博(愛・地球博)は、誘致決定から開催にいたる過程で主会場の変更など様々な難題を乗り越え2005年3月25日から同年9月25日...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その2-次世代に戦争体験の継承を
今の若い人は戦争のことをまったく分っていない。戦争の怖さ、戦争の時に人の命がいかに軽く扱われるか、それを何とか伝えたい。戦争体験の経験者が、次の世代にバトンタッチする義務があるだろう、 特に私の場合は昭和20年の5月14日の名古屋...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その3-愛知県立芸術大学の新設
昭和36年(1961)の4月に愛知県庁に入庁し、愛知県知事直轄の企画課に配属されました。 はじめて行った日に課長を見たら大変若い、マンボズボンをはいた課長だったんですが。 この人が、後に衆議院議員になり通産大臣とか自治大臣にな...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その4-副知事秘書時代の思い出
昭和39年(1964)に鈴木礼治さん(1983-1999愛知県知事)が、自治省から愛知県に来られ 私の上司として課長になられ1年、一緒に仕事をさせてもらいました。 ちょうどその時、国連のワイズマン国連調査団が来て東海と北陸を結...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その5-豊橋技術科学大学設立のエピソード
当時は、愛知県庁でも定年間際の偉い人たちが外国に行った時代でした。 ところが報告書が出るか出ないくらいに退職される。それはそれで長年苦労された のでかまわないと思いましたが、若い人にも機会を与えてほしいと幹部に陳情しました。 ...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その6-愛知芸術文化センター設立
鈴木礼治さんが昭和58年(1983)愛知県知事に就任し、最初の記者会見で日本一の文化施設を建設することを 公表しました。これは多分、仲谷知事の時にオリンピックの誘致に失敗したので、それに変わるものとして 出てきたものだと思いま...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その7-久屋大通、シャンゼリゼ通りとの友好提携交渉
愛知芸術文化センターを作るときに、地元との色々な話し合いがありました。その中でも名古屋の都心栄の魅力は、 何といっても文化の魅力であると説明し、それでパリの大改造計画などの例をあげて了解を取り付けました。 また、パリと友好提携すれ...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その8-万国博覧会の歩みを語る
万国博覧会は、1851年に 2012年ロンドンオリンピックの会場にもなった、ハイド・パークで初めて開催されました。 当時、イギリスは産業革命により成長が著しく国威発揚と、街づくりを兼ねて万博を開催しました。フランスも最初の 開催を...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その9-主会場青少年公園に変更
かなり広大な面積のイベントを行える場所が何処にあるかということで会場選びが始まったようです。 瀬戸の東南部の海上(かいしょ)地区は県有林も多く、街に近い所で開催しようと言う運びになり、万博終了後は、研究学園都市や住宅地として活用す...
-
2014年10月20日
安井俊夫の「シリーズ愛知万博を語る」その10-環境に配慮した会場建設
瀬戸(海上の地区)から長久手(愛知青少年公園)に主会場を移し、しかも「自然の叡智」「自然との共生」を大事にする博覧会にする宿題を背負い込みました。そんなことが出来るかという懸念もありましたが、リスクを覚悟で大きな木の移植を決断しま...