参宮街道
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2012年5月2日
松阪城から見た松阪中心部松阪の町は、戦国時代に蒲生郷里(がもう うじさと)が築城した城下町として出発しました。江戸時代になってから松阪の町は紀州徳川家の支配下になり、1644年天守閣が台風のため倒壊しました。その翌年から松阪の町の...
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2011年12月8日
伊勢街道は江戸時代には東海道に次いで交通量が多いにぎやかな街道で、 多くの物資や情報も行き交い、途中、東海道や伊勢別街道、 伊賀街 道等、多くの街道が合流(分岐)するため、伊勢国の幹線道路として、 地元の人々にとっても重要...
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2011年12月7日
松阪市と明和町の境界を流れる祓川を越えて明和町へ入る。斎宮全体が遺跡の宝庫。 斎王は天皇の名代で伊勢神宮に仕えた未婚の皇女。斎王宮跡を含め、様々な遺跡が町内に 点在している。それを東西に横切るように参宮街道は通っている。
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2011年12月7日
鈴鹿市から津市の河芸町に入った所に甕(かめ)釜冠地蔵堂がある。参宮道者の無事を祈願し、茶を接待した休憩所で巡礼道との分岐点にあたる。 東千里の町並みを近鉄千里駅の方向に進み伊勢街道は西に折れ国道23号線の西に沿って上野の町並みを...
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2011年12月7日
日永の追分の追分で東海道と分岐した伊勢街道は 県道103号線上を南下する。内部川を渡った所で 県道103号を西に折れ、川沿いを100m余り進み 左手に曲がり再び南下する。 右手に河原田神社の鳥居、左手に光明山常超院を 見...