シリーズ小牧・長久手の戦い

  • 2014年10月11日

    シリーズ小牧・長久手の戦いその1-清洲

    本能寺の変から小牧長久手の戦いの流れ 天正10年(1582)6月、織田信長は、高松城を攻撃中の羽柴秀吉救援の ため京都の本能寺に宿泊中に、家臣の明智光秀の謀反によって 自害した。また長男の織田信忠も命を落とした。この知ら...

  • 2014年10月10日

    シリーズ小牧・長久手の戦いその2-両軍対峙

    清洲城に到着した家康のもとに、織田家の重臣池田恒利が、秀吉側について犬山城を 占拠したとの報が届く。小牧山で秀吉軍を迎え討つため天正12年(1584)3月15日、 四方を見渡せる、小牧山に進軍し本陣を置くこととなった。 小牧...

  • 2014年10月9日

    シリーズ小牧・長久手の戦いその3-織田氏と小口城

    小口城は、大口町の北部に位置し、その城域はかなり広かったとみられ、四方に二重堀・土塁を 巡らした強固な城であったことが絵図や地誌などでわかります。しかし、現在は、小学校の敷地や 宅地となり、わずかに城があったと思われる小山が、...

  • 2014年10月8日

    シリーズ小牧・長久手の戦いその4-小牧山周辺

    これで両軍の戦闘準備が整い、今にも天下分け目の戦いが開始されるばかりとなった。 しかし、二度の小競り合いがあっただけで、互いに相手の出方をうかがい、両軍に大きな動きは見られなかった。 4月にはいって、秀吉軍に動きがあった。それ...

  • 2014年10月7日

    シリーズ小牧・長久手の戦いその5-岩崎城の攻防

    池田恒興による中入り作戦(敵の陣を迂回して、手薄になった家康の本拠岡崎を攻めて小牧山から誘き出す) を秀吉は承認。池田恒興父子6000人と森長可以下3000人が先鋒、次鋒として岡崎に向かった。 岩崎城は旧織田家の家臣で、そ...

  • 2014年10月6日

    シリーズ小牧・長久手の戦いその6-長久手の戦い

    池田恒興父子、森長可に続き、堀秀政3000人、三次秀次(本隊)8000人が岡崎に 向けて出陣した。この動きを察知した徳川家康は背後を突くため、丹羽氏次を案内役にし、 榊原康政1550人、大須賀康高1850人、水野忠重800人を...

  • 2014年10月5日

    シリーズ小牧・長久手の戦いその7-織田信雄単独講和

    長久手で家康に敗退した秀吉は、家康と同盟を結ぶ織田信雄を攻撃をする戦略を取ることにした。 当時、織田信雄は伊勢・伊賀・尾張3ヶ国を領有する100万石の大大名であった。尾張西部の 加賀野井城、奥城、竹ヶ鼻城を攻撃。家康の援軍のな...