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この記事は、那古野(なごや)神社 宮地俊彦 宮司にインタビュー取材したものを要約して掲載しています。
那古野神社の由来と天王まつり
若宮八幡社と那古野神社(天王社)が並んでお祀りされていました。名古屋城を築城するために若宮八幡社は現在地に移転されました。
天王社は、神仏にはかって良いということであれば移転する予定でしたが、天王社は移してはならぬとの御神託がありましたので、 天王社を残したまま名古屋城は築城されました。名古屋城の守り神としても信仰され、城下町の守り神としてもお祀りをされました。
当時(江戸時代)の名古屋の大きなお宮さんといえば、亀尾天王社、若宮八幡社、そして東照宮。それぞれの神社の例祭は 名古屋の三大祭といわれていました。昔は、旧暦の六月十五、十六日に行われていましたが、現在は七月の十五、十六日に行われます。
試楽 七月十五日
十五日は試楽祭、一般でいう宵宮。宵宮というのは車楽(だんじり) に提灯をつけます。
七月十六日 神輿渡御
十六日は、午後一時から御神輿が若宮八幡社までお渡りになります。 昔からの神様同士のお付き合いです。御神輿は、明治十五年に町内の有志の方が、若宮八幡社まで神輿も出そう言うことで実現しました。 大きい方の神輿は約1トン半の重さがあり、これを約100人くらいで担ぎます。