城下町から近代都市へ、明治時代の名古屋の変貌
明治4年(1871)名古屋城は取り壊しの危機を迎えました。そのため金鯱が天守閣からおろされました。金鯱は東京に運ばれ明治6年(1873)には1尾が、ウイーンの万国博覧会に出品され好評を得ました。その後名古屋城の取り壊しは中止されました。 | 明治7年(1874)5月より30日の間、東別院で名古屋博覧会が開催されました。この年の11月愛知県庁が東別院に移転されました。 | |||||
濃尾地震で倒壊した郵便局:明治24年(1891)日本史上最大級の直下型地震が発生した。濃尾地方に甚大な被害をもたらし濃尾地震と名づけられた。この地震で、根尾谷断層が地表に出現した。現在、根尾谷断層は国の天然記念物に指定されている。 | ||||||
濃尾地震の罹災者(愛知病院):愛知県立医学専門学校に隣接して建っていた。写真は濃尾地震の罹災を収容した様子を伝えている。現在の名古屋大学医学部附属病院。 | 大須観音は、慶長17年(1612年)に徳川家康の命令で現在地に移転しました、明治25年の大須の大火で焼失し、その後本堂は再建されましたが、第二次世界大戦でふたたび焼失しました。 | |||||
日清戦争(明治27年~28年)
朝鮮を属国としていた清朝との戦争。日本が勝利し、日本側が伊藤博文と陸奥宗光、清国側が李鴻章を全権にして下関で講和会議が開かれました。
日露戦争(明治37年~38年)
日本とロシアとの間で朝鮮半島と中国満州を主戦場として発生した戦争。日本海海戦で、連合艦隊はバルチック艦隊に完勝して日本側の制海権が確定しました。ポーツマス条約により講和が成立しました。
日本銀行名古屋支店:明治30年(1897)、愛知、岐阜、三重を業務区域とする日本銀行名古屋支店が全国で6番目の支店として新柳町(現在の伏見付近)に開業した。その後、明治37年(1904)現在の栄交差点北東角にレンガ造りで新築された。 | 鉄道敷設5,000マイル記念絵葉書。明治39年(1906)鉄道敷設5、000マイルを記念して名古屋でも祝賀会が開かれた。 | |||||