明治時代 2(城下町から近代都市へ) - Network2010

明治時代 2(城下町から近代都市へ)

城下町から近代都市へ、明治時代の名古屋の変貌

http://www.youtube.com/v/tK0EXCNd5ZI

金シャチの無い天守閣明治4年(1871)名古屋城は取り壊しの危機を迎えました。そのため金鯱が天守閣からおろされました。金鯱は東京に運ばれ明治6年(1873)には1尾が、ウイーンの万国博覧会に出品され好評を得ました。その後名古屋城の取り壊しは中止されました。

名古屋博覧会明治7年(1874)5月より30日の間、東別院で名古屋博覧会が開催されました。この年の11月愛知県庁が東別院に移転されました。

愛知県庁愛知県庁:明治4年(1871)廃藩置県により名古屋県が誕生し、県庁は名古屋城三の丸におかれた。明治5年(1872)額田県を吸収し愛知県となり、名古屋城が陸軍用地となったため古渡の東別院に移転。さらに明治11年(1878)南久屋町に新庁舎を新築移転した。

名古屋市役所名古屋市役所:明治22年(1889)10月1日の市制施行により名古屋市が誕生してから、明治40年(1907)火災で焼失するまで、名古屋市役所は栄町交差点の南西角におかれていた。焼失後、新栄町現在の中区役所のあたりに新築移転された。

名古屋郵便局、名古屋電信局現在の栄3丁目、広小路南にあった名古屋郵便局と名古屋電信局(右手前)

濃尾地震で倒壊した郵便局濃尾地震で倒壊した郵便局:明治24年(1891)日本史上最大級の直下型地震が発生した。濃尾地方に甚大な被害をもたらし濃尾地震と名づけられた。この地震で、根尾谷断層が地表に出現した。現在、根尾谷断層は国の天然記念物に指定されている。

濃尾地震罹災者(愛知病院)濃尾地震の罹災者(愛知病院):愛知県立医学専門学校に隣接して建っていた。写真は濃尾地震の罹災を収容した様子を伝えている。現在の名古屋大学医学部附属病院。

大須観音大須観音は、慶長17年(1612年)に徳川家康の命令で現在地に移転しました、明治25年の大須の大火で焼失し、その後本堂は再建されましたが、第二次世界大戦でふたたび焼失しました。

日清戦争(明治27年~28年)
朝鮮を属国としていた清朝との戦争。日本が勝利し、日本側が伊藤博文と陸奥宗光、清国側が李鴻章を全権にして下関で講和会議が開かれました。

名古屋商業会議所名古屋商法会議所:明治14年(1881)創立された名古屋商法会議所は、明治二十三年(1890)、名古屋商業会議所に改組された。現在の名古屋商工会議所の前身である。その後名古屋市内各地を転々としたが大池町に土地を購入し本館を移した。

中区大池町中区大池町:新堀川の前身、精進川は曲がりくねった川筋のため洪水に悩まされた。明治16年(1883)運河として改修する計画が建てられ、明治43年(1910)新堀川が竣工した。大池は現在の記念橋付近にあったが、この河川改修で消滅した。

御園座御園座:明治30年(1897)5月、明治座を手本に名古屋で最初の大劇場「御園座」が落成。こけら落とし興行は市川左団次一座により行われた。明治32年(1899)には名古屋で初の活動写真が上映された。

愛知県庁愛知県庁:明治33年(1900)3月、愛知県庁は南久屋町から愛知県師範学校の跡地へ新築移転した。広小路をはさんで向かい側には名古屋市役所も移転し、官庁街を形成した。現庁舎が完成したのは昭和13年(1938)のことである。

日露戦争(明治37年~38年)
日本とロシアとの間で朝鮮半島と中国満州を主戦場として発生した戦争。日本海海戦で、連合艦隊はバルチック艦隊に完勝して日本側の制海権が確定しました。ポーツマス条約により講和が成立しました。

広小路の凱旋門広小路凱旋門:東海道線の開通と、名古屋駅(笹島)の開業にあわせて堀川東から笹島までの道路の拡幅工事が行なわれた。以後、広小路は名古屋を代表する道としての地位を確立した。日露戦争に勝利した記念に広小路本町には凱旋門が建てられた。

いとう呉服店伊藤呉服店(茶屋町):いとう呉服店は、慶長16年(1611)本町で創業。万治2年(1659)に茶屋町で呉服小間物問屋を開業し、1768年(明和5年)江戸に進出、上野の松坂屋を買収して、いとう松坂屋と名を改めた。明治43年(1910)栄町南西角に百貨店として移転するまで茶屋町で営業を続けた。

岡谷商店岡谷商店:寛文9年(1669) 初代岡谷總助宗治が、名古屋の本町通沿い鉄砲町(現在の本社)にて金物商「笹屋」を創業。江戸、大阪にも出店をかまえた。昭和12年(1937) 株式会社岡谷商店を設立、昭和18(1943)岡谷鋼機株式会社に改称した。

日本陶器合名会社日本陶器合名会社:明治37年(1904)、森村市左衛門、義弟大倉孫兵衛、その子和親らによってノリタケカンパニーの前身となる日本陶器合名会社が設立された。貿易の重要性を提唱した設立者たちは、洋食器への飽くなき挑戦をめざした。

日本銀行名古屋支店日本銀行名古屋支店:明治30年(1897)、愛知、岐阜、三重を業務区域とする日本銀行名古屋支店が全国で6番目の支店として新柳町(現在の伏見付近)に開業した。その後、明治37年(1904)現在の栄交差点北東角にレンガ造りで新築された。

鉄道敷設5,000マイル記念絵葉書鉄道敷設5,000マイル記念絵葉書。明治39年(1906)鉄道敷設5、000マイルを記念して名古屋でも祝賀会が開かれた。

名古屋市役所(栄4丁目)名古屋市役所:明治40年(1907)火災で焼失するまで名古屋市役所は栄町交差点の南西角におかれていたが愛知県庁と広小路をはさんだ西側に新築移転された。昭和8年(1933)中区三の丸の現在地に移転された。

栄町官庁街(栄4丁目)栄町官庁街(栄4丁目):現在の中区役所前の交差点は中央に日清戦争勝利を記念した砲弾のモニュメントが建ち、それを囲むように愛知県庁、愛知県会議事堂、名古屋市役所などが建っていた。県庁前から名古屋駅まで日本で2番目の路面電車が開通したのは、明治31年(1998)のことである。

明治43年(1910)頃の広小路広小路栄町交差点:明治43年(1910)鶴舞公園で開かれた第十回関西府県連合共進会当時の栄町の様子。この当時大津通を走る路面電車は栄町でT字型に広小路と合流していた。大津町まで路線がのびたのは大正13年(1924)になってからである。

中央バザール中央バザール:明治44年(1911)栄町六丁目の広小路沿いに中央バザールという小売商人に売り場を賃貸する建物ができた。同時期に営業をおこなった名古屋商品館や盛商館、大須バザールなども同じ性格を持つ小売商館である。

写真マップ

上で紹介した写真や同時代の写真を現代の地図上に配置しました。

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名古屋市(市町村パビリオン)

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