大正時代

  • 2011年12月5日

    大正時代の名古屋「名古屋城上空の陸軍機演習」

    名古屋場内には、歩兵第6連隊、騎兵第3連隊、野砲兵第3連隊、輜重兵第3大隊が駐屯し、師団司令部が総轄した。 本丸や西の丸などは明治26年(1983)宮内省に移管され名古屋離宮となった。写真は、名古屋城の上を演習のため 陸軍の複...

  • 2011年12月5日

    大正時代の名古屋「名古屋まつり山車揃え」

    戦前までは、東照宮の祭礼が「名古屋まつり」と呼ばれ、名古屋で最大のまつりとして盛大に行われた。各町内から山車が参加し名古屋城で終結する山車揃えが行われた。現在の「名古屋まつり」でもこの伝統が引き継がれている。

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「名古屋陸軍地方幼年学校」

    明治29年(1896)に設置された名古屋陸軍地方幼年学校は、大正9年(1920)に名古屋陸軍幼年学校に改称された。 13歳から16歳で入校し3年間の教育が行われた。卒業生は中央幼年学校に進み2年間の教育を受け、卒業後は陸軍士官学校...

  • 2011年12月5日

    大正時代の名古屋「名古屋国技館」

    辰野金吾博士の設計で、大正3年(1914)に完成した名古屋国技館は、名実ともに日本一の国技館であった、しかし人口40万人台の当時の名古屋では入場者数も伸びず、経営も困難になり開館10年も経たず閉鎖された。

  • 2011年12月5日

    大正時代の名古屋「瀧兵商店」

    宝暦元年(1751)古知野(現江南市)で、京呉服・絹織物卸商「絹屋兵右衛門」を開業したのが始まり。文政8年(1825)、二代目兵右衛門が名古屋市東万町に出店。その後尾張大納言家御用達を務め、尾張十人衆に数えられている。明治8年(1...

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「千種停車場」

    中央線の開通によって千種停車場の設置が決定した。名古屋停車場(笹島)と千種停車場を路面電車で結ぶため、南久屋町の県庁前で 止まっていた広小路を千種駅まで延長する必要に迫られ、明治33年(1900)に旧第一師範学校跡地に県庁の移転が...

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「広小路と名古屋市役所」

    明治40年(1907)の火災で焼失するまで名古屋市役所は栄町交差点の南西角におかれていた。その後、愛知県庁と広小路をはさんだ西側に新築移転された。現在の中区役所の位置にあたる。

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「愛知県会議事堂」

    名古屋城三の丸旧竹腰邸、東本願寺別院、南久屋町と県庁とともに移転を繰り返してきた愛知県議事堂は、広小路の延長工事のため、明治33年(1900)に 南武平町に移転され、昭和13年(1938)に中区三の丸の現在地に移転するまで県庁の西...

  • 2011年12月5日

    大正時代の名古屋「名古屋市役所」

    明治40年(1907)火災で焼失するまで名古屋市役所は栄町交差点の南西角におかれていたが、愛知県庁と広小路をはさんだ西側に新築移転された。昭和8年(1933)中区三の丸の現在地に移転された。

  • 2011年12月5日

    大正時代の名古屋「栄町交差点」

    大正14年(1925)5月に栄町の南西角で営業していたいとう呉服店は大津町に移転し、松坂屋となった。いとう呉服店は松坂屋系列の栄屋として営業を継続した。大正11年(1922)、名古屋市は名古屋電気鉄道を買収し市営の路面電車が誕生し...