アーカイブス

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「姥堂・裁断橋」

    姥堂は、精進川に架かる裁断橋のほとりある。その昔、川でおぼれた僧侶の衣服を盗んだ老婆はそのたたりで死んでしまう。老婆のさまよう霊を供養して縁者が奪衣婆の像を姥堂に安置しといわれる。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「源太夫社」

    源太夫社(上知我痲神社)は、東海道と美濃路の分岐する追分に建てられていた。知恵の神様として「知恵の文殊(もんじゅ)さま」と呼ばれて崇拝されている。現在は熱田神宮の境内に鎮座している。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「七里の渡し」

    七里の渡しは宮宿から桑名宿まで船で渡る東海道で唯一の海上路であった。その距離が七里であったことから七里の渡しとよばれた。満潮時には沿岸に浮かぶ島をぬうように、干潮のときは沖まで小舟で行き帆かけ舟に乗って旅をした。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「築地の遊興」

    熱田の浜の神戸(ごうど)には、豪商や高級武士などの船待ち客を相手にする旅館が立ち並んでいた。 鳴海、星崎の遠景を望み、夏には夕涼み、秋には月見など楽しんだ。船着き場には商人たちの荷が山積みになっていたという。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「大瀬古魚の市」

    現在の熱田区木之免町、大瀬子公園のあたり。近海の魚類はもとより、遠近諸国からは船で、三河の吉田からは徒歩で 運ばれた魚を尾張藩指定の六軒の問屋が売りさばいていた。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「熱田神宮」

    第12代景行天皇の御代に日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃の宮簀媛 命(みやすひめのみこと)が 三種の神器の草薙剣(くさなぎの つるぎ)をこの地の祀ったのが起源とされる。伊勢神宮に次ぐ大社。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「白鳥山法持寺」

    白鳥古墳は、5世紀末頃から6世紀前半頃に築造された前方後円墳で全長が約74m、最大幅25mの大きさを持つ。 法持寺のすぐ隣にあるこの古墳は、白鳥となってこの地に戻った、日本武尊の墓と伝えられている。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「一の鳥居」

    熱田神宮のまわりには八つの鳥居があった。そのなかでも尾頭にあった一の鳥居はひときは大きく、三丈五尺(11.6m)もあり道行く人を驚かせた。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「沢観音妙安寺(名古屋三景)」

    熱田神宮の周辺にあった四観音のひとつ。堀川沿いにあり遠くは鈴鹿山系も望まれた。名古屋三景のひとつ。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「小栗街道(旧鎌倉街道)」

    古渡稲荷の前で美濃路は小栗街道と出会う。小栗街道は鎌倉街道の一部で、鎌倉街道は小栗橋をわたり、萱津を通り京都へと通じていた。