アーカイブス

  • 2011年12月4日

    明治時代の名古屋「金シャチのない名古屋城」

    明治4年(1871)名古屋城は取り壊しの危機を迎え金鯱が天守閣からおろされた。金鯱は東京に運ばれ明治6年(1873)には1尾が、ウイーンの万国博覧会に出品され好評を得た。その後関係者の尽力もあって名古屋城の取り壊しは中止された。

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「桜天満宮」

    本町通は、名古屋城と熱田を結ぶ基幹道路として名古屋城築城とともに誕生した。碁盤割と呼ばれる城下を碁盤の目のように区画された中心を南北にはしり、本町通四丁目を南に下ると碁盤割の南端広小路に交差する。名古屋城下でもっとも賑やかな地域で...

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「魚の棚通」

    堀川東岸の木挽町、久屋町筋(東西を走る道を筋と呼んだ)には魚を売る店が多く魚の棚と呼ばれていた。東照宮の祭礼の十六日には見物客相手に弁当などを販売した。家ごとに提灯を掲げ、芸妓が赤たすきで手伝っている。 (モノクロの尾張名所図会を...

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「東照宮祭」

    東照宮祭礼は四月十五・十六日に行われ、十六日には山車や三基の神輿(みこし)が加わった総勢4000人を超える行列が名古屋城を出て本町通を下り末広町の御旅所へ向かった。名古屋三大祭りのなかでも最大の規模を誇っていた。

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「茶屋町伊藤呉服店」

    慶長16年(1611)、織田信長の家臣伊藤源左衛門祐道が名古屋の本町で呉服小間物商を始めた。その後、万治2年(1659)祐道の遺児・祐基が茶屋町に呉服小間物問屋を開業。「現金売り正札付き掛け値なし」の商法は庶民の支持を受けた。明和...

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「東山春興」

    名古屋城下の東にある東山では、春のひとときを三味線音色を飲食しながら楽しんだ。

  • 2011年12月4日

    江戸時代の名古屋城下「建中寺本堂」

    慶安4年(1651),第二代目尾張藩主徳川 光友が、父の藩祖義直の菩提を弔うため に建立した。以後、尾張藩主の菩提寺となる。徳川家霊廟は県指定有形文化財、総門、 三門、鐘楼、御成門・本堂・経堂・開山堂 ・源正公廟は市指定有形文化財...

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「枇杷島橋」

    庄内川にかかる枇杷島橋は元和八年(1622)に完成した。東西に二つの橋を持ち大橋は七十間(約129m)、小橋は二十七間(約50m)ある日本でも最大級の橋であった。川のなかには中島があり二つの橋をつないでいた。

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「下小田井青果物問屋」

    江戸時代、山田家、野口家により創設された下小田井の市は日本三大市場の一つであった。山田九左衛門家の住居は現在問屋記念館として西枇杷島(清須市)に移転復元され江戸時代の青果問屋の様子を現代に伝えている。

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「三の丸東照宮」

    尾張藩初代藩主徳川義直が元和5年(1619)、父徳川家康遺徳をしのび名古屋城内三の丸、亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を建立した。地名から三之丸東照宮とも呼ばれた。明治9年(1876),名古屋鎮台建設のため旧藩校明倫堂...