沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第3講 矢場地蔵から隠れ里 第6回「隠れ里」

隠れ里

戦災で木彫りの御深井観音像は焼失し、石像として作り直された現在の御深井観音像

戦災で木彫りの御深井観音像は焼失し、石像として作り直された現在の御深井観音像

裏門前町通りの一本東の小路が御深井小路と呼ばれていた通りだ。 御深井といえば、名古屋城の北、今は名城公園となっているところだ。江戸時代、その地は御深井の庭とよばれた広大な庭園であった。その御深井の庭に祀られていたのが、御深井観音だ。

御深井観音は、明の名工珍班氏が製作した木彫の観音像で、金箔が施してある立派な像であった。霊験あらたかな像で初代藩主義直の夫人、高原院はこの像を深く信仰していた。高原院が信仰すれば、大奥の女性たちの信仰も篤くなる。城中の女性から最も篤い信仰をうけていたのが御深井観音だ。

高原院は、この観音に夢中になって祈らねばならぬ理由があった。彼女は子宝に恵まれなかったからだ。高原院にとって最も重要なこと、それは世継ぎを産むことであった。 御深井観音に祈っても、なかなか身ごもることはできなかった。しびれをきらした幕府では土井利勝をわざわざ尾張に遣わして側室を置くことを勧めた。

寛永元年(一六二四)二月、後水尾天皇の中宮東福院(徳川秀忠の女)に仕えていた貞松院が、義直の側室として名古屋城に入ることになった。貞松院は美貌で古今の学問に通じている才女だ。高原院にとっては、心穏やかでない日々が続いた。そんな時、御深井観音にひざまずいて祈った。

高原院の崇拝仏である御深井観音は、死後、万松寺に遷された。七月九日、九万九千日には観音が収められている扉が開けられ、夜を徹しての参拝客があった。 御深井小路とは、そんな因縁によって万松寺に移された観音像とのゆかりによって付けられた名前だ。 万松寺通りの一本北、裏門前町通りから万松寺に抜ける道が南小路だ。南小路と赤門通りとの間には御深井長屋と呼ばれる長屋があった。

万松寺

万松寺

中公設市場から赤門通りを西にゆく。南に抜ける二本目の道がオタマヤ小路だ。 御霊屋とは霊廟のことだ。万松寺には義直の夫人、高原院の遺骨が収められている。 高原院が亡くなったのは、寛永十二年(一六三五)四月二十三日のことだ。三十六歳であった。亡くなったのは、江戸の藩邸だ。高原院は、自分の死が近いのを知ると遺体は万松寺に葬ってほしいと遺言をした。 万松寺九世陽穀宗南は遺骸を寺に迎え火葬とし、葬儀を行なったという。 時の将軍家光は五千両を出し、高原院の霊廟を寺の西北の地に建てさせ、そこに遺骨を収めさせた。

桜町にあった万松寺が、慶長の時代、碁盤割の町づくりの邪魔になるというので、この地に移ってきた時の住職は八世明谷だ。 その明谷に帰依した高原院は、しばしば万松寺を訪れ、教えを乞うた。高原院が御深井観音を万松寺に遷したのは、八世明谷との法縁によるものであろう。

思えば、高原院と義直との生活も二十年という短い期間だ。二十年前の慶長二十年(一六一五)、春姫は義直と結婚した。この年の四月十二日、紀州浅野幸長の娘、春姫が名古屋城に輿入れをする。その輿入れの壮麗さが『那古野府城志』に載っているが、供をした女中の乗物五十挺、下女四十三人、長持三百棹、さらに銭一貫文を赤い縄でつないだものを肩にかけた供の者が百人続いたと記している。

家康には白銀二千枚、小袖十領、相応大夫人(義直の母親、お亀の方)には白銀千枚、小袖十領が進呈された。 家康は、この行列を未申櫓から遠見をしてたいそう満足したという。この時、家康は春姫の化粧代として、尾張藩に木曽谷三万石を加増する。 春日神社の裏の地を隠れ里という。『金鱗九十九之塵』のなかに次のような記述がある。

むかしから此地に住んでいる七、八軒の家がある。ここに住んでいる人は士農工商のいづれにも属さない。また村民からの支配も受けない。人々は、この地のことを隠れ里という。または天下領ともいう。万松寺支配の者と呼んでいた。これらの者の家祖を尋ねると義直公の夫人高源(ママ)院様、安芸(ママ)の国より御入輿の時、御輿をかついで当国へ来た者たちである。その後高源院様がお隠れ遊ばされた時、御葬送の折も、この人々が御輿をかついで、万松寺に入り、そのままここに居住するようになった。 文政の頃、万松寺高源院の御魂屋御修色の時、御魂屋より本堂へ仮に遷す時も、御修理が出来て、また元のように御魂屋に入れる時も古例にまかせ、この隠れ里の者たちを召出されて、御輿をかついだという。

いつの世になっても春日神社裏の隠れ里は、その名のように、世の中を隠けてくらす人々の絶好の地であった。 戦前までは、黒塀に見越しの松の家に、金持の愛人がひっそりとくらす家が、並んでいたという。

春日神社

春日神社

地図


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