沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第4講 おからねこから七本松 第4回「卯津木坂」

卯津木坂

新堀川に架かる現在の宇津木橋

新堀川に架かる現在の宇津木橋

記念橋の一本南、新堀川に架っている橋が卯津木橋(現 宇津木橋)だ。下前津と鶴舞公園とをつなぐ道は、幹線道路大須線の脇道としていつも車の往来が激しい。卯津木橋の上も、たえず車が走っている。この橋の名前が卯津木橋と名づけられたのは、橋を渡り下前津へ抜ける坂が卯津木坂と呼ばれていたからだ。

今は、橋を渡ると長い坂が下前津に向けて真っ直ぐに通っている。かつての卯津木坂は不二見筋にむけて、斜めに抜けていた。 坂の下を熱田へ抜ける道があった。卯津木坂と熱田へ抜ける道とが交叉する所に今井という獣医が住んでいた。人々は、この獣医の家を御馬屋と呼んでいた。 馬屋の西側に高さ一丈(約三メートル)もある卯木がそびえていた。卯木にちなみ陰暦の四月のことを卯月と呼ぶ。ちょうどこの頃に白い花を咲かせるからだ。歌によく卯の花月夜が詠まれている。卯の花が白く咲き、月光の美しい夜のことだ。

初夏の頃、坂に通りかかると卯木の花のよい香りがただよってきた。卯木の花の咲く、この坂を人々は卯津木坂と呼ぶようになった。 この花は大きくも小さくもならなかった。いつの頃のことであったか、獣医があまりにも小枝が繁茂しているので、これを剪定しようとして鋏をいれたところ、突然歯が痛みだした。枝を切るのをあきらめて、床についた。夜中になるとますます痛みは激しくなる。たえきれない痛みであった。翌日、医師に診てもらったが、いっこうに痛みはひかない。二日三日と痛みはひかなかった。思いあまって易者に占ってもらった。易者は、「これは卯木を切ったたたりである」と言った。

宇津木橋の欄干には卯の花のレリーフが飾られている

宇津木橋の欄干には卯の花のレリーフが飾られている

獣医は驚いて、さっそく卯木のまわりに注連を張り、玉垣をめぐらし御祓いをした。 歯の痛みはたちまちのうちに直った。 そのことがあってから、里人で歯痛のものは、この木に詣でて治癒を祈願した。 歯痛が直ったものは、この木の前に籾一升を供えて本復のお礼とした。

卯津木坂を下り、田圃道を東に進んでゆくと小川が流れている。この小川に架っている橋を下エンネ橋という。香雪軒の前の道に架っている橋は上エンネ橋と呼んだ。さらに東の精進川に架っているものを遠エンネ橋、西にあるものを近エンネ橋といった。橋は巾一尺五寸の白石を三枚ずつ並べたものであった。 エンネ橋とは前津の百姓円右衛門の名前をとって付けられたものだ。田圃の中の小川は、大雨の時にはいつも氾濫し、板橋は流されてしまう。人々が困っているのを見かねて、円右衛門は、ひとりで四つの石橋を架けた。貧しい農家の円右衛門が、とぼしい資金と忙しい農作業の合間をぬって橋を架けたのは並たいていのことではない。人々は円右衛門への感謝の意をこめて、エンネ橋と名づけたのだ。

地図


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