沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第8講 バンコ長屋から榊の森 第6回「榊の森」

榊の森

金山の氏神 白山神社

金山の氏神 白山神社

神樹である榊は、境木の意で付けられた名で、神域の境界に植えられていた木であるという。
金山の氏神である白山神社の森は、かつては榊の森と呼ばれていた。
『金鱗九十九之塵』は、榊の森について、次のように記している。

当社は榊の社とあり。こと上代禁庭に新嘗会有し節、此社より榊を献ずる故に此号あり。又此森は榊の名木相生にて、しかも連理の枝なるあると云り。就中熱田の宮へ社参の諸人、むかしは大宮へ直にまいらずよし。先八剣宮へ社参いたし、北は榊の社、南は源大夫の神社、西は白鳥の神社、東は鈴の宮へ参りて後参宮する。是四方の祓殿神の古実なり。
又一説に東は鈴御前、西は紀大夫御前、南は源大夫御前、北は榊の社に参詣すと、旧事記に見えたり。
或記曰、累年四月十七日、東照宮の御祭礼に用る榊は、此処より奉るなり。扠今は此森に切絶て、余の方より切来りて、当社よりささぐるといへり。

文中「旧事記」とあるは『熱田旧事記』のことである。『熱田旧事記』は「往古熱田大神の御榊を植し所となん」とも記している。
上古、宮中での新嘗祭の用には、この社の榊が用いられた。榊の森と呼ぶのは、その慣例があったからだという。熱田宮に捧げる榊も、名古屋祭の用に用いる榊も、白山社の榊が用いられた。

木々はみな玉串のはと成にけり
榊の社のみやしろの雪

龍の屋という人の詠んだ歌だ。熱田宮や名古屋まつりの時、東照宮に捧げる玉串の葉で、白山社の榊の葉は、すべてなくなってしまったという意の歌であるが、いかにこの社の榊が神木としてあつかわれていたかがよくわかる歌だ。

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かつては芝居興行がおこなわれたとされる白山神社境内

神木の生い茂る白山社は、庶民が立ち寄ることのできない、いかめしい場所であったろうか。いや、この神前では、芝居の興行があり、大勢の人々が見物に訪れるいこいの場であり、にぎやかな場所であった。朝日文左衛門は『鸚鵡籠中記』の元禄八年(一六九五)八月八日の日記を、次のように記している。

榊の森にて操り。太夫難波紀明太夫。庄松とて七八歳の子在。間の狂言に出て、芸を尽す。嵐三右衛門六法の振出しおどり、物真似誠にいたいけに上手に面白、諸人感に絶。上るりよりは庄松見物に夥敷賑ひ、庄松芸を仕廻ば、上るり不聞に帰るも数多有と云。

天才少年の芸を見物しに、大勢の人々がおしよせた様子がよくわかる記述だ。

榊の森は、鶯の森とも呼ばれた。春日井郡の鶉と、榊の森の鶯は名物であった。

この森をそれそときなけ金衣鳥

『俳諧古渡集』に載っている、鳴海堂扇河の句だ。美しい鳥よ、ここが鶯の森だ。さあ、やって来て鳴きなさいという意である。

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