沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第5回「矢田川」

矢田川

矢田川。写真の赤い電車は名鉄瀬戸線。その手前の橋は矢田川橋

矢田川。写真の赤い電車は名鉄瀬戸線。その手前の橋は矢田川橋

矢田川の花火といえば、夏の風物詩として知られている。毎年、おおぜいの人が矢田川で空高くあがる花火を見て興じている。

『金鱗九十九之塵』に、矢田川の花火の記述がみられる。

大杁水車 街道より北江這入所にあり
此所毎も夏頃ハ、山田河原にて揚し花火の眺望、北の方に手にとるやうに見へていと大賑ひの地なり。
雨雲のうへにみだるる花火かな 梅渚
近来山田河原にて揚し花火見たく、見物の貴賤爰に群をなす。

この記事を見ると江戸の昔から、矢田川の花火は有名であったことがわかる。

矢田川の北側の堤防は、南側より三尺低くなっている。名古屋の城下に洪水が流れないようにするための政策である。明和四年(一七六七)の豪雨によって、山津波が起こり、長母寺の南を流れていた矢田川は、水路を北側に変えてしまった。守山区側にあった長母寺が、矢田川が北側に流れを変えてしまったので東区側に変わったのである。

矢田川橋から天神橋方向を望む

矢田川橋から天神橋方向を望む

地図


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