沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第3回「常光院」

常光院

常光院

常光院

山田天満宮に隣接し、北側にある寺が常光院である。元和年間(一六一五~一六四二)、宥賢和尚が、長久寺の念仏堂として結んだ寺である。たび重なる洪水に苦しむ村人たちの信仰によって、支えられてきた真言宗智山派の寺である。境内には、そんな地域とのつながりを示す遺物が残っている。

国道の十九号に面して立つひときわ目立つビルがある。大久ビルである。常光院に保存されている大久の蔵の鬼瓦には「寛文十三年みつのとうし七月吉日 いせ山田せこ高井六兵衛作」とある。

常光院に保存されている大久の蔵の鬼瓦

常光院に保存されている大久の蔵の鬼瓦

瓦の側面に刻まれている「いせ山田せこ高井六兵衛作」の文字

瓦の側面に刻まれている「いせ山田せこ高井六兵衛作」の文字

大久ビルのオーナーの飯田高義氏の先祖は、菅原道真の画像を所有していた質屋大坂屋である。初代の大坂屋は、石田三成の家臣であったが、関ケ原の乱をのがれて、山田の庄にきたという。大久は、屋号の大坂屋と名前の久兵衛をとって呼ばれたものである。

大坂屋久兵衛から暖簾分けをして、酒屋を始めたのが、国道十九号に面して立つ時代を感じさせる建物の金虎酒造である。

金虎酒造

金虎酒造

地図


より大きな地図で 沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」 ‎ を表示