沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第9回「光音寺」

光音寺

光音寺. 愛知県名古屋市北区光音寺町2丁目3

光音寺. 愛知県名古屋市北区光音寺町2丁目3

黄雲山光音寺は曹洞宗の古寺である。江戸時代は大須の万松寺の末寺であったと伝えられている。庭の中に名古屋市の指定文化財である無縫塔がある。歴代住職の墓塔である。

細長い塔身は鎌倉時代の作で、やや不均整な印象を与える。中台は小型で厚みがある。その下の竿とともに刻線等の飾りは、いっさいほどこされていない。基礎は南北朝か、あるいは室町時代初期のもので石質も竿以上とは異なっている。

このように、製作時期の異なる無縫塔は、寺の境内からバラバラに掘り出されたものを一本にまとめたものであるからだといわれている。

光音寺 無縫塔

光音寺 無縫塔

墓地の中に、女義太夫の第一人者、豊竹呂昇が「永田家累代の墓」の中に眠っている。

『名古屋の史跡と文化財』は、豊竹呂昇のことを次のように紹介している。

明治三一年八月に上京し、満都の人気を一身に集める。時に二五歳。以後十年間が呂昇の全盛時代で、その美声と節まわしが一世を風靡する。東京では大劇場に進出して成功。全国各地を巡業して日本一の大スターとなる。明治四〇年以後、名人会では常に花形として登場。大正十二年九月に引退。昭和五年六月七日兵庫県の自宅で死去。五七歳。八事興正寺の大日堂前に呂昇の像をおさめた碑が建てられた。

女義太夫の第一人者、豊竹呂昇が眠る「永田家累代の墓」

女義太夫の第一人者、豊竹呂昇が眠る「永田家累代の墓」

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