沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第10回「夫婦橋 辻地蔵」

夫婦橋 辻地蔵

手前が夫婦橋。奥が黒川樋門(ひもん)

手前が夫婦橋。奥が黒川樋門(ひもん)

大正時代の始めの話です。

楠村の百姓利兵衛は、大八車に野菜をいっぱい乗せて、今日も朝早く家を出ました。朝もやがたちこめています。 「しの、さあでかけるぞ」女房のしのに利兵衛は声をかけて、車をひき始めました。車のあとをしのがおしてゆきます。 大八車の中には、大根、白さい、ねぎ、にんじんと野菜がいっぱいつめてあります。 これらの野菜を売らなければ、正月をむかえることができません。長いことぜんそくで、床についているひとり息子の良太の薬代も、年の内に払わなければならないのです。 大八車に積んだ野菜が売れることを祈りながら利兵衛は車をおしてゆきます。田んぼ道が続きます。朝もやの中に楠の大木がそびえているのが見えます。

黒川樋門(ひもん)から夫婦橋を望む

黒川樋門(ひもん)から夫婦橋を望む

名古屋の街にでるには、庄内川と矢田川の二つの橋をこえなければでれません。 橋の前には、長い長い坂が待っています。 庄内川にかかる水分橋が見えてきました。 利兵衛はひと息大きくつきました。長い長い坂をこれから上らねばならないのです。 「しの、力をいれておすんだぞ」利兵衛は、しのに声をかけて、坂道をのぼり始めました。

ひとつ坂道をこえると次の坂道が待っています。息をととのえながら利兵衛は、「しの疲れなかったか」と女房にやさしく声をかけました。まだ、人々の眠っている瀬古村を利兵衛の夫婦は、車をひいて通り抜けていきます。 矢田川にかかる三階橋がみえてきました。庄内川の坂道よりは、矢田川の坂道は長く、きつい坂道です。 白い息をはきながら利兵衛は力いっぱい、大八車をひきます。しのも後から懸命になって車をおしていきます。 橋の上にかかると朝日が、志段味の東谷山の頂からでてきました。二人は、まっ赤な朝日をしばらく見ていました。 「天気がよくて、よかったわ」しのは、坂道をのぼりきった、ほっとした気持ちではずんだ声をあげました。 「今日は、体の調子がよいようだ。坂道をのぼる時、楽に車をひくことができた」 二人は、冷たい川風をほおにうけながら、橋をこえていきます。

黒川樋門と夫婦橋のすぐそばに天然プールの碑がある

黒川樋門と夫婦橋のすぐそばに天然プールの碑がある

御用水にかかる小さな夫婦橋が見えてきました。利兵衛としのは、夫婦橋を越えて辻地蔵の前に大八車をおろしました。 二人は、名古屋に野菜を売りに行く時も、帰る時も必ず、ここに車をとめて、お地蔵さまに手をあわせるのです。 「お地蔵さま、今日は野菜がぜんぶうれますように、良太の病気が一日も早くよくなりますように」 利兵衛は、手をあわせて一心に祈りました。 しのも利兵衛の後ろで祈っています。 何を祈ったかは、二人は話したことはありません。力をあわせて、毎日大八車をおして名古屋の街に野菜を売りに行く、そうしているうちに、何も話さなくても、二人はお互いに、何を考えているかわかるようになりました。

「しの、行くぞ」元気よく声をかけて利兵衛は、大八車をひき始めました。 その日は、大曽根のお得意さまをまわっていくうちに、またたく間に、野菜が売れてしまいました。料亭や食物屋さんでは、正月用の野菜をたくさん注文してくれました。 「あんた、よかったね。これで年も越せるし、薬代も払える」しのは、ほっとして言いました。 からの大八車を二人はなかよくひいて、地蔵さまの所まで帰ってきました。 「お地蔵さまありがとうございました」しのは手をあわせて祈りながら、今日は帰ったら地蔵さまにかけるぼうしをぬおうと思いました。

夫婦橋のそばに今も残るお地蔵様

夫婦橋のそばに今も残るお地蔵様

このようにして、くる年も、くる年も、二人仲よく大八車をおして夫婦橋をわたりました。

むかしは利兵衛の夫婦のように何人もの人が、大八車をおして三階橋の坂道をのぼったものです。 夫婦が力をあわせて大八車をおして渡る橋、夫婦橋は、仲のよい夫婦をささえている橋かもしれません。

地図


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