シリーズ地域活性へ!No.4-須田 寛 日本観光振興協会中部支部長に聞くその3

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【動画】障壁画展示方法への苦言

焼失前の名古屋城本丸御殿 
焼失前の名古屋城本丸御殿

産業観光、街道観光、都市観光などテーマ別観光を提唱されている日本観光振興協会中部支部長の須田寛氏に観光にかける思いを4回に分けて紹介します。

須田寛(すだ・ひろし)氏略歴

昭和6年(1931)生まれ。29年(1954)京都大学法学部卒、同年4月日本国有鉄道入社、昭和62年(1987)4月東海旅客鉄道(株)代表取締役社長、平成7年(1995)6月同代表取締役会長、平成16年(2004)6月同相談役。公益社団法人 日本観光振興協会中部支部長。

主な著書に「産業観光」「新・観光資源論」「産業観光読本」「新しい観光」(交通新聞社)、「東海道新幹線Ⅱ」(JTB)、 「新・産業観光論」(共著・すばる舎)など多数

新著 都市観光(2015年4月16日発売 交通新聞社)

インタビューの要約

障壁画展示方法への苦言

名古屋城本丸御殿の復元は文化的にも大きなことだと思いますが残念なことがあります。本丸御殿は財界・市民の寄付や税金など 百数十億かけて市民の総意で建設されており、それ自体は立派なことだと思います。ただ問題などは本丸御殿最大の資産とも言える障壁画が本物ではなくて全部模写だということです。模写だけを並べる建物であればビルディングに過ぎません。なぜそんな事になったのか私には理解できません。本物が戦時中疎開され保存されており、1000面以上が重要文化財に指定されていますが、どうしてそれが置けないのか疑問です。文化財保護法の上で問題があると言われていますが、調べてみればそれほど致命的な問題ではないとのことです。本物は大事に倉庫に保管して置いて時々博物館で展示し、復元される御殿には模写を置くということです。こんなことは許されない事だと思いますし、はっきり言って資産に対する冒涜です。何としてでも一部でもいいから本物を昔の障壁画として並べていただきたい。

本物の障壁画へのこだわり

昭和19年(1944)、私が親戚を訪れたとき焼失前の本丸御殿を見学する機会がありました。当時中学生でしたが、本物の障壁画を見たとき にものすごい迫力を感じました。虎の絵だったと記憶していますが、こちらに向かってくるようで怖い感じがしました。薄暗い場所でしたが、その絵に描かれたものが生きかえって飛び立つような印象と子供ながらに言葉に表せない奥ゆかしさを感じたのを忘れることが出来ません。昭和19年(1944)の夏、公開が停止され障壁画ははずされ疎開されることになりました。小栗鉄次郎さんが軍部の 反対意見を押し切って体を張って疎開したことで障壁画は戦災をまぬがれ残りました。そんな思いで残された障壁画ですから、一部でもいいから本物を置いて欲しい、皆さんはそれを見に訪れるわけですから。障壁画は御殿の襖に人に見せるために描かれたもので、博物館で展示するために描かれたものではありません。どうして本物がありながら模写を飾るのか理解できません。私としては何としてでも本物を並べて欲しい、それが実現すれば本丸御殿の復元は世界に誇る文化事業だと思います。それがなければ単なる箱物行政だと思います。せっかく作るのであれば文化遺産としてやっていただきたいと思います。文化事業としてではなく単なる見世物として見ているからだと感じます。これは非常に残念ですが現実です。まだ時間がありますから、わずかな スペースでもいいから本物を障壁画として並べていただきたいと思います。

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