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須田寛(すだ・ひろし)氏略歴
昭和6年(1931)生まれ。29年(1954)京都大学法学部卒、同年4月日本国有鉄道入社、昭和62年(1987)4月東海旅客鉄道(株)代表取締役社長、平成7年(1995)6月同代表取締役会長、平成16年(2004)6月同相談役。公益社団法人 日本観光振興協会中部支部長。
主な著書に「産業観光」「新・観光資源論」「産業観光読本」「新しい観光」(交通新聞社)、「東海道新幹線Ⅱ」(JTB)、 「新・産業観光論」(共著・すばる舎)など多数
新著 都市観光(2015年4月16日発売 交通新聞社)
インタビューの要約
観光産業衰退
産業観光を進める過程で日本の観光全体がマンネリに陥っていることが分かりました。当時、日本の観光客はほとんど延びなくなっていました。現在(2015年)は変わりましたが円高の影響で外国人も来ない、数十万のオーダーを少し抜け出る域でした。外国人が日本に観光に来てくれない、日本人が日本の国内に観光に行かないのは何かと考えれば日本の観光に面白みがないという結論に達しました。外国人が来ないのは円高によることと、何と言っても遠い国だという意識がありますから仕方ない所もありますが、日本人が日本の観光地に行かず外国に旅行するようになった。ようするに競争力が落ち、これが日本の観光が延びない理由だと分かりました。
観光再生への対応
もとに戻すには観光資源を増やす必要がありますが観光資源というものは簡単には増えません。急に温泉が湧くわけではありませんし、有名な寺が急に出来るわけではないですから。議論の末、観光資源は増えないので、今ある観光資源の見方を変えていけば同じものが違う角度から見えてくるから新しい魅力が出来るのではないかと思いテーマ別観光を提案しました。すでに進めていた「ものづくり」をテーマにした産業観光に、「街道観光」、「都市観光」を加えました。「街道観光」は日本人の生活に密着した道をテーマに、道を歩く目線に立って景色なり道端に並ぶものを見直したらどうだろうかということです。「都市観光」は、暮らしに密着した都市全体を観光資源として見れば、街のなかにある名古屋城とか熱田神宮とかの個々の観光資源が、相乗効果を発揮し新しい価値を生みだすのではないかと思い3番目のテーマに加えました。
観光に対する偏見
3つのテーマを揃えましたが簡単には普及しません。とくに名古屋地域の場合は、これだけ「ものづくり」で地域が繁栄し、またそれに 打ち込んでいる所ですから観光というのは遊びにすぎないんです。「ものづくり」は生産的なものであり観光はその対極にあるものだという先入観が強いところです。「よく遊びよく学べ」という言葉がありますが、観光は遊ぶ方の要素にすぎないと考えられています。我々は一生懸命「ものづくり」をやっていますので観光なんかやっている暇などありませんとか、我々は「ものづくり」をやり発展しているので、わざわざ観光産業を育てる必要がないという意見が多かったのが現実です。いまではずいぶん改善されましたが、まだ若干残っていると思います。日本全国を見ても観光の地位が低い状態が続いてようやく市民権を得られる状態になったのは、国が観光立国を叫びだしてからになります。それまでは観光しか出来ない地域や観光でもやろうといった「でもしか観光」ともいえる状態で、観光を日常の活動と考えていないと知ることになりました。
観光は人に不可欠な文化事業
私は常々「観光は文化事業である」と言っております。人とひととの交流を盛んにし、ふれあいの場をつくる。人とのふれあいが起これば、文化をつくることになります。したがって観光とは文化的な事業であると考えています。よそのものを見たいという本能が人間にはありますから、人間の本能に基づく文化的な行動が観光であると思っています。もうひとつの観光の利点は経済効果です。地域の経済を活性化させる経済行動にもなります。文化活動そして経済活動でもある観光に対する理解を深めていただければ、観光というものが皆さんに必要であることが認識いただけると思いますし、今以上の市民権を得ることも可能だと信じています。
観光に対する偏見が少しづつ減ってきたのは、国が観光立国を進めた影響です。しかし国が観光立国を標榜したのも、日本の外貨収支が大赤字になったということです。特に観光関係の国際収支が当時2兆円の赤字になっており、当時の総理大臣がびっくりしたということです。これだけ豊かな観光資源があるのにおかしいということになり、これを生かした観光王国をめざすと言い出したのが始まりで、もしも国際収支が黒字になっていれば、そうならなかったと思います。それぐらい観光に対する意識が低かったというより無かったという状況でした。