シリーズ地域活性へ!観光No.2- 須田寛 日本観光振興協会中部支部長に聞く

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【動画】産業観光提唱への道

須田寛 日本観光振興協会中部支部長 
須田寛 日本観光振興協会中部支部長

産業観光、街道観光、都市観光などテーマ別観光を提唱されている日本観光振興協会中部支部長の須田寛氏に観光にかける思いを4回に分けて紹介します。

須田寛(すだ・ひろし)氏略歴

昭和6年(1931)生まれ。29年(1954)京都大学法学部卒、同年4月日本国有鉄道入社、昭和62年(1987)4月東海旅客鉄道(株)代表取締役社長、平成7年(1995)6月同代表取締役会長、平成16年(2004)6月同相談役。公益社団法人 日本観光振興協会中部支部長。

主な著書に「産業観光」「新・観光資源論」「産業観光読本」「新しい観光」(交通新聞社)、「東海道新幹線Ⅱ」(JTB)、 「新・産業観光論」(共著・すばる舎)など多数

インタビューの要約

観光への関心

国鉄時代に私は殆ど営業関係の仕事しかしていませんでした。そのなかでディスカバージャパン(DiscoverJapan 日本の魅力、再発見)は、前半と後半があり、後半の担当が私でした。その時に観光のキャンペーンに関係してみて、観光というのは鉄道のお客さんを呼ぶには大きな意味を持つということが分かりました。鉄道を利用する三分の一から半分が観光客なので、観光に関心を持たざるを得なかったとうのが本当のとこだったと思います。
ディスカバージャパンというキャンペーンが、お客さんを呼ぶ効果が大きかったことは大阪万博の翌年の鉄道利用者減少を食い止めたことで実証されました。改めてキャンペーンというのは大きな意味を持ち、観光というのは鉄道の営業にとっては大変なもんなんだということに気付かされました。それ以後観光に関心を持ち勉強を始めたました。私自身は観光に殆ど行ったことがありません。お膳立てをすることと、拙文をするだけの係りですから若干机上の空論みたいな感じはありますが、鉄道の営業施策上の目標であることは事実です。

産業観光提唱へ

愛知万博の誘致のために、この地域の財界の人々や愛知県、名古屋市の方々が外国へ根回しに行きました。カルガリとの競争でしたから万博協会に投票権を持っている国に行き投票をお願いしました。その時にものすごく知名度が低いことを皆さんが感じてきました。名古屋を誰も知らないよ、愛知というのはもっと知らない、トヨタ自動車の隣りですとい言ったら「そうか」という程度らしいと言うんです。ある国に行ったらアイチとハイチが間違われたとか、各地にお願いに行っても、名古屋という所は観光地じゃないと思われている、あそこは素通りする場所、通過地点だと、場合によればビズネスに行く所だと思っているから、名古屋に何かあっても行こうという気持ちにならないじゃないかということが心配の種でした。
誘致が決定して開催まで6年間期間がありましたので、その間に知名度を上げる手立てはないかという話が、名古屋商工会議所から出て、観光しかなかろうという話になりました。名古屋は観光地ではないので観光資源が何もないんじゃないかということになり、その時にここは「ものづくり」の地である、愛知県は工業生産額は全国の第1位ですから、従って何かそういった所から観光資源を見付ける事が出来ないかということになりました。
たまたま当時、トヨタ自動車さんがトヨタグループ発祥の地にトヨタ産業技術記念館を開館(1994年6月)されていました。それとトヨタ自動車株式会社創立50周年記念事業の一環としてトヨタ博物館も開館(1989年4月)されていました。また愛知県が県政100年記念事業として陶磁資料館(現在陶磁美術館-瀬戸市)という コレクションでは世界有数の資料館を開館(1978年46月)されていました。これだけでも大変なことだよという事になり、それではこれらに加えて「ものづくり」に係わる観光資源を取り上げて見ていただいたら どうだろうかということで始めたのが産業観光なんです。
万博の説明に皆さんが行った時に「名古屋をよく知っています。是非行きたい」と 言えば、産業観光はいらなかったかも知れません。また世界有数の産業技術記念館やトヨタ博物館をつくられていたことが産業観光が 始まるきっかけとなりました。どちらが欠けても産業観光は生まれなかったと思います。

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