沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第17講 黒川治愿の足跡をたずねて 第1回「刀利天狗の丘──春日山公園」

刀利天狗の丘──春日山公園

春日山に立つ刀利天狗の碑

春日山に立つ刀利天狗の碑

※この文章は2004年4月に執筆されたものです。

春日山公園は桜の名所だ。落花盛んという風情の今日も、大勢の人が公園に集まり、花見を楽しんでいる。鈴木寿三郎は『味鋺原八景』」に「春日山春雨」と題して、次のような五言絶句を詠んでいる。

春雨如二烟霧一  濛々春日山  遥聞古松外  黄鳥一声間(しずか)

春雨がしとしとと降りそそぎ、まるで霧か煙につつまれたように春日山はけむってみえる。松の大木の奥、どこからか鶯の鳴き声が聞こえてきた。

大正時代の春日山は、この漢詩に詠まれたように古松がそびえる小高い山であった。春日山の由来となった山頂の春日社も大正七年、白山神社に合祀され、今ではそこに御嶽講の碑が建っている。 春日山の東端に大きな自然石の碑が立っている。字が摩滅していて判読しにくいが、下の二字は天狗とよめる。上の二字も、よく見てみると刀利と大きな字で書いてある。刀利天狗とは御嶽山七合目にある三笠山に祀ってある刀利天宮のことだ。

春日山に刀利天狗の碑が建立された経緯が『春日井の歴史ウォッチング』(伊藤浩)には、次のように書かれている。

今から一四〇年余り前のこと、このあたりは味鋺原新田と呼んでいました。この村に又七という熱心な御嶽教の信者が住んでいました。又七は、毎日のように近くの白山神社前のよし池で身を清めて修業をつみ、村の御嶽信者の先達となって、度々御嶽山に登拝しました。……

ようやく七合目にある三笠山にたどりつきました。すると、そのとき俄かに、横なぐりの強い風が吹きはじめ、たたきつけるように雨が激しく降りはじめました。ゴゥーゴゥーというすさまじい山鳴りに村人たちは恐ろしくなってふるえあがってしまいました。……

みんなは暴風雨に吹きとばされそうになりながら、ようやくのことで、先達に続いて刀利天宮の拝殿の前にひざまずきました。

村人は先達に励まされて、もう、無我夢中で心経を唱えました。すると、いままでうろたえさわいでいた人々も不思議に心が静まり、やがてあらしが小止みになって来ました。村人はなんとか無事に、山小屋までたどり着くことができました。……

村人は、命を助けて下さったというので、刀利天狗を信心することこのうえなく、山を降りるとき、刀利天狗の御分神を受けて村に帰りました。

そして、氏神さまのあった春日山にその刀利天狗を祭り、村中の人が深く信仰するようになりました。

春日山公園内の小高い丘が春日山古墳

春日山公園内の小高い丘が春日山古墳

御嶽山を多くの人々が登ることができるようにしたのは、享保四年(一七一九)牛山町に生まれた覚明霊神だ。覚明霊神とのゆかりで春日井市では御嶽講が古くから盛んであった。春日山は御嶽講の人々にとっては霊地ともいうべき山だ。春日山は二子山古墳と同じ時代に築かれた前方後円の古墳である。丘の下、公園の東北角に大きな道標が立っている。道標には、

是よ里十八丁豊場常念寺    三国伝来釈迦如来    天保七年丙申二月十五日

と刻まれている。この道標は、もともとは春日山のすぐ東を通る上街道の立石に建てられていたものだ。「根っこに彫った釈迦如来」で知られた豊場の常安寺に行く道をしめす道標だ。

春日山公園にある道標

春日山公園にある道標

地図


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