沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第16講 上飯田界隈 第7回「幻の寺──どんぐり広場」

幻の寺──どんぐり広場

昔の細い道の痕跡。区画整理が進んでいる

昔の細い道の痕跡。区画整理が進んでいる

※この文章は2004年2月に執筆されたものです。

町歩きの楽しみは、有名な神社仏閣を訪れることでも、すばらしい景観にふれることでもない。

一度も訪れたことのない町の、本通りから一本はずれた小路に入ってゆく。そこには、昔ながらの長屋が残っていたり、朽ちはてた土蔵があったりする。本通りに面した地域は、すっかり変わってしまっても、裏通りに入ると、時代から取り残されたような一角が残っている。夕ぐれともなれば、長屋の中から夕飯の魚を焼く匂いがただよってくることもある。

上飯田の町にも宮前小学校から六所宮へぬける道路を一本北に入ると、昔ながらのたたずまいの一角が今も残っている。この一角は現在区画整理が行われていて、早晩今のたたずまいは消えてなくなってゆく。宮前小学校の前の細い道を北に入ってゆく。かつて東洋紡績をつくるために埋めたて用の土砂を運ぶトロッコが走っていたトロッコ道だ。

白い土蔵の前で、細い道が交差している。昔のままの道だ。しかし、トロッコ道に沿うようにして、区画整理による大通りを造る工事が進んでいる。次の道を右に抜けると二階建ての堅牢な昔ながらのアパートが残っている。アパートの横には、長屋の軒が続いている。二重屋根だ。下の庇は赤い色だ。おそらく戦前に建てられた長屋だ。

土蔵の家、長屋、戦災から免れた家が続く。  戦時中、大曽根中学校には高射砲陣地があった。隣接して大隈鉄工所があった。米軍の攻撃目標となり、上飯田の多くの民家が消失した。

奇跡的に戦火を免れたこのあたりは、戦前の上飯田の面影をよく残している。長屋の横の道を折れると高台の下に原っぱが広がっている。高台に建つ家の土台が崖のように切りたって原っぱの上に立っている。三メートルもあるだろうか。丸石、ブロックの煉瓦、コンクリートと、さまざまな土台の上に民家が並んで建っている。中には土砂が崩れ落ちてこないように土嚢が積んであるところもある。

ここは、矢田川の古い堤防の跡なのだ。明治二十四年の地図を見てみると、この辺を矢田川が流れていたことがわかる。流路が東に変わるとともに、切りたった堤防の跡だけが残ったのだ。

矢田川の古い堤防跡の狭い坂道をあがってゆく。左に折れ、小路をしばらく歩くとどんぐり広場がある。すぐ下は霊光院の墓だ。古いアパートのむこうには大きなマンションがみえる。古いもの、新しいもの、すべてをつつみこんだ上飯田の街が一望の下に見える。

帰途、幸村宗一さんの家に立ち寄った。「あそこは、桑畑でしたね。矢田川の古い堤防の上は桑畑か薮になっていました。  桑畑の跡に、今の幼稚園ですね、昔は何と呼んでいたのですかね、要するに小さな子どもを預かってくれるところがありました。そして、あいまいな記憶ですが、桑畑の前は寺が建っていたと思いますよ」

地図


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