沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第15講 福徳・中切・成願寺 第8回「萩の雨──矢田川堤」

萩の雨──矢田川堤

庄内川(左)と矢田川(右)を分かつ堤防

庄内川(左)と矢田川(右)を分かつ堤防

矢田川が安井町の北側を流れていた頃は、堤防には松林がつづき、秋ともなれば萩の花が一面に咲き乱れる名古屋の五十景の一つに数えあげられる名勝であった。

この地に遊んだ文人の俳句を二、三紹介しよう。渡辺沙鷗は、次のような前書きと俳句をよんでいる。

小僧庵という所から矢田川に出る道は萩原六町、松山五町である。

           守山にかかれというぞ萩の雨

一町は六十間、一〇九メートル強であるから、五町は約五百五十メートル、六町は六百六十メートルである。萩の花が咲き乱れる原っぱが五百メートルの余、松林が六百メートルも続いている矢田川に出る道。堤防からの眺望もすばらしい。おりしも雨が降ってきた。守山のあたりまでもが雨にけぶっている。近景のそぼ降る雨の中に咲いているかれんな萩の花を配し、遠景に雨にけぶる守山あたりの景を添えている雄大な句だ。

小僧庵というのは、成願寺の米ケ瀬にあった小庵である。天明(一七八一~一七八九)年間の頃から松林の中にあり、萩の花が咲き乱れる名勝で多くの人が訪れた。特に月見の時には賑わったという。横井也有も小僧庵を月見に訪れている。

ここ安井の里は萩の名所で、とりわけ中秋の明月の頃は安井の川原の月見といって、特に賑やかである。信濃にある田毎の月ではないが、堤防下の田に月が浮かんでいる。この近くの川魚をとる漁師の家に立ち寄る。

          井戸からもひとつ汲けり今日の月

月が浮かんでいるのは田圃や川ばかりではない。井戸の中に浮かんでいる。その月を、つるべでくみとったという意の句だ。次の前書きと句も也有の句だ。

矢田川と堤防

矢田川と堤防

安井の里は萩の名所である。風流を解する友を二、三人うちつれ、酒、さかなを用意して毎年訪れている。

          かはすての樽にもありてはぎの花

川原に置いた酒樽のかたわらにも萩の花が咲いているという意の句だ。

井上士郎も次の句を詠んでいる。

           萩ふくや塘は雨の大けしき

雨にぬれる堤防一面に咲き乱れる萩の花、そこに雨がしとしとと降りそそぐという意の句だ。

光音寺、安井、辻の三つの大字を萩野村と呼んでいた。これは小僧庵が萩の名所であるところから名づけられたものだ。新川中橋から小僧庵のあった矢田川堤防を右手に眺める。秋には萩が咲き乱れ、野菊が堤防を彩る。春にはあげひばりが舞いあがり、桜の花が咲く。堤防の草の上で寝ころぶ人、つくしをとる人、矢田川は、かつては、そんな行楽の地であった。今は、おびただしい数の車が通りすぎるだけの道路に変わっている。

新川中橋の左手は庄内川ゴルフ場だ。芝生の上で何人もの人がゴルフに興じている。昭和初期、ここはゴルフならぬ名古屋競馬場であった。年に二回、競馬が行われた。

時の移ろいは、すべてのものを忘却の彼方におしやる。

地図


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