沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第7回「季節はずれのかきつばた──蛇池公園」

季節はずれのかきつばた──蛇池公園

蛇池公園

蛇池公園

鬱蒼とした森の中に、一本の細い道が続いている。道の奥には天神社が祀られている。

「昼でも薄暗い、気持ちの悪い道だった。恐いものだから、あの森には子どもたちは誰も近付かなかったなあ。今の高架の下の辺に森はあったよ。」

古老の語る天神の森の思い出である。天野信景が『塩尻』の中で、大蒲八景を選んでいる。その中に、天神の夜雨が入っている。

  ゆきくらし 森のやどりに 降る雨を
  池より落つる 蓮の葉の音

天神の森を詠んだ和歌だ。旅をしている途中、森の中で日が暮れてしまった。樹の下で宿りをしていると、蛇池の蓮の葉に落ちる雨音が、森の中になんとも無気味にひびいてくるという意の歌だ。

  夜雨粛々宝社辺
  松塘十里鎖雲煙
  蓮池点滴不堪聴
  来往客情有孰憐

という天神の森を詠んだ漢詩もある。夜の雨がしとしとと天神の社に降りそそいでいる。比良の堤は、はるかに続く松並木だ。低く雨雲がたれこめている。蓮池に落ちる雨音が気味悪く響いてくる。ここを通る人は、いったいどのような思いで通りすぎてゆくのであろうか、の意だ。

蛇池

蛇池

和歌や漢詩に詠まれた天神の森は、今、あとかたもない。高架の上を城北線が一両のんびりと走ってゆく。天神の森の跡を通り過ぎ、蛇池公園に入る。蓮池に何人もの人が釣り糸をたれている。蓮池の中に花が咲いていた。かきつばたが群生していて、季節はずれの花を咲かせているのだ。枯れた蓮の葉とあざやかな紫色のかきつばたとは対照的だ。釣り人に何が釣れるかと聞くと「コイやフナが釣れる」という返事が帰ってきた。どのくらいの大きさかと重ねて聞くと「七十センチ程のものがかかる」という。しばらく見ていたが、釣れそうにもないので、龍神社に向かう。

龍神社は、蓮池の中に建っている祠だ。蓮池の北側にも、やはり同じ八大龍王を祀った龍神社がある。蛇池公園に毎日散歩にくるという古老は、「堤の下は雌の龍、こちらには雄の龍が祀ってある」と説明をする。蛇池の西には、織田信長の家臣、佐々成政の比良城があった。佐々成政が比良を統治していた頃の話である。

福徳村の又左衛門という百姓が、大野木の知りあいの所に出かけようとして、蛇池に通りかかった。一天にわかにかき曇り、大粒の雨が降り出した。池の波が大きくゆらいでいる。何十米もある大蛇が堤から下りてきて、首を池に入れたからだ。又左衛門は、腰をぬかさんばかりに驚いて、逃げ帰ってきた。又左衛門が大蛇を見たという噂はまたたく間に広まった。清洲の信長の耳にまで噂は達した。信長は、池の主の大蛇を捕えるために、近郷の百姓を集めてかいどりをさせた。しかし、いくらかいどりをしても水は減らない。清水が湧きでてくるからだ。  気の短い信長は、裸になり、刀を口にくわえて池にもぐった。しかし、大蛇を見つけることはできなかった。

龍神社(蛇池神社)

龍神社(蛇池神社)

蛇池の名前の由来となった伝説である。蛇池には機織り石の伝説も残っている。

蛇池のほとりに、仲のよい新婚の夫婦が住んでいた。昼間は、二人で野良仕事をした。夜はおそくまで嫁は機織りをした。疲れた体にむちうって機を織る音が夜おそくまでひびいた。美人で働き者の嫁は、近郷の村では評判であった。嫁の評判が高まれば高まるほど姑は嫁をにくく思った。姑は、息子が親の言うことを聞かないのは、嫁のせいだと思うようになった。嫁いびりがひどくなった。ひとり悩んだ嫁は、とうとう蛇池に身を投げてしまった。嫁が死んだ後、蛇池からは、まるで嫁が機を織っているような音が聞こえてくるようになった。村人が嫁の霊を慰めるために蛇池のほとりに石をひとつ置いた。その後は、機織りの音は聞こえなくなったという。

龍神社の前に何の変哲もない石が一つ置いてある。これが伝説の機織り石ではないかと思ってしばらく見ていた。帰りぎわ、かきつばたが群生しているところに立ち寄った。冬の冷気の中で凛として咲く美しい花。それは、池に身を投げた美しい女の転生の姿ではないかと思った。そんな途方もないことを考えながら季節はずれのかきつばたの花を見ていた。

龍神社(蛇池神社)

龍神社(蛇池神社)

地図


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