沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第7回「雷除の神社──西八龍社」

雷除の神社──西八龍社

西八龍社

西八龍社

東日本大震災の例をとるまでもなく自然の猛威の前には、人間はなす術を知らない。科学が発達し、あらゆることが解明されたかに見える現代でも、人間の無力を嘲笑うかのように、自然は猛威をふるい災害をもたらす。自然を畏怖する心から、自然を敬う心が芽ばえてくる。

中津川市に俗に風神様と呼ばれている風神社がある。稲作の前に台風が襲来したら、農作業のうける打撃ははかり知れなく大きい。農作業に携わる人々は、二百十日の前に、風神様にお参りをし、お札をうけて、台風が来ないことを祈る。現在でも風神様に対する信仰は厚い、八月の下旬ともなれば、山間の風神社に何台ものバスがお札を迎えにゆく人を乗せて山道をかけ上ってゆく。

畏怖する対象を「地震 かみなり 火事 親父」と表現した。現代では父親の威厳は地に落ちて、畏怖すべき対象から除外されるであろう。雷も避雷針などの発達で、さほど畏怖すべき対象でなくなったかも知れない。

昔は落雷によって、甚大な被害が出た。落命する人、家を焼け出される人、毎年、雷の季節になると多くの犠牲者が出た。

味鋺の西八龍社は、雷除けの神社として近郊の人々の崇敬をうけていた。戦前、近郊の部落では、村の代参の人が西八龍社に出かけて、お札をむかえてきた。西八龍社に参詣することは、年中行事のひとつでもあった。春日井市に住む古老も自転車で庄内川を走り、お札を迎えに出かけられた。

「お札は大きいものは五銭、小さいものは二銭でした。毎年、旧の六月二十八日に部落の代表のものがお札をむかえに出かけました。当日は氏子の人たちや味鋺の青年団の人たちが神楽をかなでて西八龍社は大変な賑わいでした。」

今はひっそりとして、訪れる人のまれな西八龍社も、往時は雷除けのお札をむかえる人々で賑わっていた。古老の話によると、西八龍社が、例祭日に雷除けの御守りを受けに代参する人で賑わうようになったのは、文政年間(一八一八~一八三〇)からであるという。

西八龍社

西八龍社

西八龍社の祭神は高竜神である。創立年代は不詳であるが、承平年間(九三一~九六八)であると伝えられている。  西八龍社は庄内川の堤防の真下にある。以前は、西八龍社の辺で、堤防が川の内部にせり出していた。昭和二十五年(一九五〇)から五年がかりで大規模な庄内川改修工事が行われた。西八龍社を移転させ、せり出していた部分を五十メートル北に下げて新しく堤を築くことになった。

神社を移転させることによって、何かたたりでも起こるといけない。関係者は、計画した移転工事を進捗させることをためらっていた。祈祷をし、氏子の人たちが神社の移転を請け負ったので何の支障もなく移転は終わり、戦災で焼けたままであった社殿も新築されて現代に至っている。その時に植樹された樹々が、今は大きく空にそびえている。

昭和二十五年の移転の時に工事関係者が手を下すのをためらったことには理由がある。

昭和十八年(一九四三)のことだ。春日井市にある名古屋陸軍造兵廠鳥居松工場の廃水用の川として、地蔵川の改修工事が始まった。水分橋の下手から庄内川の右岸寄りに工事は進み、西八龍社の境内の工事に入った。何のためらいもなく工事に従事していた人夫たちが、一人、二人と病気になってしまった。高熱を発し、うわ言を口ばしる。工事用の機械も動かなくなってしまった。神域を侵したたたりであると工事は中断されてしまった。

昭和二十五年の移転騒動の時に、戦前の話を聞いていたので、人夫たちは誰ひとりとして移転工事に関わろうとしなかったのだ。

西八龍社の拝殿前に黒こげになった杉の木が立っている

西八龍社の拝殿前に黒こげになった杉の木が立っている

西八龍社の拝殿の前に黒こげになった杉の木が立っている。戦前に、こんな出来事があった。

この杉の木は、焼ける前は空洞になっていた。村の若者が、杉の木の空洞の中に大きないたちが入るのを見た。いぶして、いたちを空洞の中から追い出そうとした。火をつけたところ、杉の老樹は、みるみるうちに燃えあがってしまった。味鋺村では、火事だと大変な騒ぎになり、ポンプ車を持ち出してやっと火を消しとめた。若者は、この騒動があって、病気になり、しばらく起きあがることができなかった。

これも杉の老木にまつわる明治の初めの話である。

庄内村の若者が三人、仕事の帰り庄内川の堤防を歩いていた。突然、空がかき曇って、雨が降り出してきた。堤防をあわてて下りて、西八龍社の杉の木の下で雨やどりをしていた。  雷鳴がとどろいて杉の木に落雷し、若者の一人が死んでしまった。助かった二人は、西八龍社の雷除けの御守りを身につけていた。死んだ若者だけが御守りを身につけていなかったという。このことがあってから庄内村では、どの家でも西八龍社からお札を迎えて祀ったという。

西八龍社の拝殿に腰を下ろして、庄内川の堤防を走る車の列をぼんやりとながめていた。現代では、落雷に対する恐れの畏怖は喪失してしまっている。信仰の形態も徐々に変化をしているようだ。

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