沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第3回「通路になった社──東八龍社」

通路になった社──東八龍社

東八龍社

東八龍社

「私は味鋺に移ってきてから三十年になります。今年、八十になりますが、毎日、家でじっとしているのも辛いので、この東八龍社に来て境内の草とりをしています。見てください。そこにも犬の糞がすててあるでしょう。庄内川の堤防からの細道が神社の境内を通り抜けることができるようになっているので、犬の散歩をする人が、ここで犬を放して遊ばせるのです。私の日課は犬の糞を始末することから始まります。」

背すじがぴんとしている。口調もよどみなく歯切れがよい。なかなか元気のよい老人だ。東八龍社に写真を撮りにやって来て、逢った老人だ。境内の草とりを毎日しているのに、わざわざ分別が面倒だとごみを境内に捨てに来る人がいると、なかなか老人の憤りは収まりそうにない。

「ここを神社だと思っている人が、はたして何人いるでしょう。庄内川の堤防から下りて町へ出ることができる便利な通路だと思っているのです。神社へ入れないように、堤防を下りた所にフェンスがしてありますが、地震などの災害が起こった時に避難路になるというので、施錠がしてありません。自由に通り抜けることができるから、通勤の道か、犬の散歩道としか思っていません。ここで見ていてごらんなさい。何人もの人が庄内川の堤防を下りて、境内に入ってくるでしょう。しかし、ひとりとして拝んでゆく人はありません。ここは神社ではなくて、通り抜けの道でしかないのです。あまり情けないので、東八龍社のことも知りたいと思って、古くから土地にいる人に聞いてもわかりません。そこにある碑には東龍神社とある。しかし、この神社は東八龍社と呼んでいる。どちらが本当でしょう」

毎日掃除をしている神社の名前すら正式には、どちらかわからない。土地の人に聞いてもわからない。通り抜ける人はいても神社に参拝する人はいない。そんな神社の状況が老人には腹立たしくてならないようだ。

東八龍社の境内の先には庄内川の堤防へと伸びる階段とつながっている

堤防下の木が生い茂っている場所が東八龍社の境内。東八龍社の境内の先には庄内川の堤防へと伸びる階段とつながっている

『新名古屋市楠町誌』は東八龍社のことを、次のように紹介している。

祭神は宇麻志遅命、高龍神を祀り味鋺神社境外末社である。  鎮座年代は詳でないが、延喜式神明帳に、山田郡味鋺神社の一末社として現在に至っている。毎年味鋺神社祭礼に古習として神輿渡御、流鏑馬等が行われるが、その時渡御の御旅御駐輦所である。  境内面積五畝二十歩、境内に老松数本と大榎(目通り、周り一米五〇)一本ある。  建物は本殿(一米八〇、八五糎)高さ八五糎の木造、板葺社殿である。拝殿(桁行五米四〇、梁間三米六〇)切妻造 総瓦葺。石灯籠(高さ一米八〇)嘉永四年銘、社標(石造り、高さ二・二米)明治三十年岩田林八寄付。

と記されている。『名古屋市楠町志』は昭和三十二年(一九五七)に刊行されたものだ。

東八龍社の写真が載っている。茂った樹木の間に神社の拝殿が写っている。その前に石標がある。現在、境内には拝殿はない。老人の言われた石標と本殿だけが残っている。五十年という年月は、味鋺の地の様相も、この神社のたたずまいもすっかり変えてしまった。東八龍社は味鋺神社の境外末社で、祭神は味鋺神社と同じ宇麻志遅命だ。宇麻志遅命は物部氏の祖神である。現在は通り抜けの神社となっている東八龍社は来歴のある古い神社だ。

東龍神社と石標に刻んであるのは、同じ味鋺に龍神社が二つあるからだ。娑羯羅(しゃから)、優鉢(うばつ)羅など護法の八大龍神を祀った神社が西味鋺にもあり、その神社は西八龍社とよばれている。西八龍社は雷除けの神社として名高い。

時により過ぐれば民の歎きなり八大龍王雨やめたまへ

と源実朝が詠んだ歌がある。『金槐集』に載っている有名な歌だ。この歌にあるように、各地にある八大龍王を祀った八龍社は雨乞いの神様である。しかし、味鋺の八龍社は雨乞いではなく日乞いの神さまだ。絶対に雨乞いをしてはならないとされていた。

ある年、あまり日照りが続いて、水を田に取り入れることができなくなってしまった。八龍社で、禁忌を破り雨乞いをした。雨が即座に降り始め、二日たっても三日たっても止まない。庄内川の水があふれ味鋺の地は水びたしになるという事件があった。

「昔は、この神社で流鏑馬がお祭りには行われました。流鏑馬というのは、馬を走らせながら次々と的を射る射技ですね。流鏑馬は途絶えましたが、今でもお祭りには神輿が東八龍社まで渡御しますよ」老人は、祭の日の一日だけが、味鋺神社からの神輿の行列で賑やかになるといわれる。

老人の東八龍社に対する思いは強い。それは毎日神社に来て掃除をしているからだ。誰に言われてすることでもない。自分から進んでしていることだ。だからこそ、神社に多くの人が参拝してほしいという願いが強いのであろう。老人と話しているうちに、日は沈んでしまった。

味鋺神社にある流鏑馬の記念像

味鋺神社にある流鏑馬の記念像

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