沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第8回「赤塚神明社」

赤塚神明社

国道19号沿いにある赤塚神明社

国道19号沿いにある赤塚神明社

神社の境内に佇ずむだけで、その里の歴史を感ずることができる。その里ばかりではなく、過去の日本が辿ってきた道に、自然と思いをはせる場合もある。赤塚神明社は、そんな神社の一つだ。

国道十九号に面して、楠公湊川神社の石碑が立っている。建武三年(一三三六)、楠木正成、新田義貞の軍は、足利尊氏の軍と兵庫湊川で戦い、敗れてしまった。戦死した楠木正成を祀ったのが湊川神社だ。 神社の片隅に、馬に乗った楠木正成(一二九四~一三三六)の銅像が立っている。銅像には「七生報国」と刻まれている。

七たび生まれ変わっても、国に尽くすという忠臣、楠木正成を顕彰した碑だ。神明社に、湊川神社から楠公を勧請して祀ったのは、軍靴の音が高らかに響いていた時代だ。今は、人目にふれないような感じで立っている楠公の銅像は、かつては神社の中央に重々しく立っていたに違いない。戦意を高揚させるために、建てられた銅像であることは明らかだ。

馬に乗った楠木正成と楠公湊川神社の石碑

馬に乗った楠木正成と楠公湊川神社の石碑

名古屋市内で最大と思われる灯明台が二基境内に立っている。楠公の銅像、豪壮な灯明台。そんな神明社から戦時中には何人もの人が、日の丸の旗におくられて戦地に赴いたのであろう。

湊川神社は、現在は金毘羅神社の隣に境内社として祀られている。同じく境内社として大山祗社を祀る山神社がある。尾張二代藩主徳川光友が大曽根下屋敷を造営する際、六社の森から勧請し、鬼門鎮護の神社としたものである。

神明社の祭神は天照大神。江戸時代には天道宮、あるいは朝日天道宮と呼ばれていた。朝日町(現在の大曽根本通西口付近)にあったので、朝日天道宮と呼ばれたという説と藩祖義直が、明け方に、ここを通って朝日昇って霊験ありと感じ、朝日天道宮と改めよと言われたので、神社名を改めたという説との二説があるが、はっきりしない。

赤塚神明社の鳥居を挟むように大きな灯明台が2基設置されている

赤塚神明社の鳥居を挟むように大きな灯明台が2基設置されている

地図


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