沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第3回「本覚寺」

本覚寺

日蓮宗 本覚寺

日蓮宗 本覚寺

本覚寺は、日蓮宗、京都妙伝寺の末寺。もともとは清洲の地にあった寺で、本法寺と呼んでいた。寛永年中(一六二四~一六四三)に現在の地に移ってきた。

正保五年(一六四八)恵性院日相が本尊をこの寺に移し、本覚寺と名を改めた。本尊は、藩主継友が寄付した、日法が文永二年(一二六五)に造った木造の日蓮上人の像である。

『尾張名陽図会』は、日蓮上人の像にまつわる次のような話を紹介している。

野州(下野国=栃木県)藤原の里の星野治郎助は、日蓮上人に深く帰依し、師弟のちぎりを結んでいた。日蓮上人は諸国に布教するために、治郎助と別れて出発しようとされた。治郎助が、あまりに深く嘆き悲しむので、上人は、日法が刻んだ像を与えられた。その後、大洪水が起こって尊像は流失してしまった。

文永三年(一二六六)日法上人が宇都宮の片山洞の辺を通り過ぎた時、洞の中から法華経をとなえる声が聞こえてきた。不思議に思って洞穴の中をのぞいて見ると尊像が読経しているのであった。鎌倉に持ち帰って、大事に安置していた。文永八年(一二七一)の日蓮上人の法難の時、尊像もいづ方ともなく消え失せてしまった。

時は移り、承応元年(一六五二)尾張の国萱津村の妙勝寺日恵上人が馬島村を通行なさった時に、大智坊の家から法華経をよむ声が聞こえてきた。不思議なことだと大智坊の家の中を探ってみると日蓮上人の尊像が天井の上で読経をなさっていらっしゃった。日恵上人は、この尊像は日法上人が作った像に間違いないと思われた。

日恵上人は寺の名を本法寺から本覚寺と改め、尊像を安置した、尊像は読経の祖師大師と呼ばれた。

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