ファッション化から自動車技術完成へ
1929年の大恐慌から立ち直った人々のバイタリティは’30年代に向けて大きく力強く歩みだした。暗い時代を少しでも早く脱出しようと未来へ向けられ、アメリカではそれを暗示するように流線型デザインが流行。あらゆるものが大きく生まれ変わろうとしていた。自動車もその例外ではない。より豪華な、そしてよりファッショナブルな変貌をとげ、デザインリーダーとして、また新しい技術の推進役として走りつづけたのである。また、こうした新しい息吹が、わが国におよぼした影響はトヨダAA型でも知ることができる。トヨタ博物館 カタログより
シボレー マスター シリーズDA(1934年・アメリカ)Chevrolet Master Series DA(1934,U.S.) | デ ソート エアフロー シリーズSE(1934年・アメリカ)De Soto Airflow Series SE(1934,U.S.) | |||||||||
フォード モデルGPW<通称:ジープ>(1934年・アメリカ)Ford Model GPW"Nickname,Jeep"(1934,U.S.) | フィアット 500<トッポリーノ>(1936年・イタリア)Fiat 500 "Topolino"(1936,Italy) | |||||||||
右:リンカーン ゼファシリーズHB(1937年・アメリカ)Lincoln Zephyr Series HB(1937,U.S.) | キャデラック シリーズ60スペシアル(1938年・アメリカ)Cadillac Series 60 Special(1938,U.S.) | |||||||||
1920年代、フォード、GMがあいついでノックダウン生産を開始。わが国のモータリゼーションへ大きな影響を与えていた。一方、両社による市場の占有率は増加の一途をたどり、1930年代には対米貿易赤字は膨大にふくれあがった。これに対して危惧を抱いた政府は1936年、自動車製造事業法を施行。いよいよ日本人の手による本格的な国産車の生産がはじまる。戦時中は軍の統制下で、自動車工業の確立を目指し、戦後しばらくの間もさまざまな模索がつづいたのである。トヨタ博物館 カタログより