※2009年4月20日に「三菱東京UFJ銀行貨幣資料館」が名古屋市東区赤塚町25番地に移転しました。このページの内容は移転前に取材した内容です。
民間では日本一のコレクション
三菱東京UFJ銀行貨幣資料館(旧東海銀行貨幣資料館)は、昭和36年に旧東海銀 行の創立20周年を記念して開館し、世界各国の珍しい貨幣約1万点を展示しています。
ここでは、日本だけでなく古今東西にわたる世界の貨幣を関係資料とともに体系的に展示しており、民間では日本一のコレクションと高く評価されています。
三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館(日本語版)
戦国時代・江戸時代の金貨(大判・小判)
江戸時代にはいって徳川家康は金銀貨幣を統一しました。
金貨は一両小判・一分金などによる両・分・朱の名称で4進法がとられ(一両以上や一文銭は10進法)ました。
藩札
日本最初の藩札は、越前福井藩が寛文元年(1661年)に発行したものであると言われています。
藩札は、藩内の貨幣の不足を補い、通貨量の調整をするためにつくられました。
藩札には貨幣ではなく物品との兌換を明示したものもあり、「傘1本」や「炭1俵」などと書かれたものもありました。
明治のお金
明治4年(1871年)に明治政府により藩札処分令が発せられ、藩札は廃止されました。
同年2月、現在の造幣局である造幣寮を開設し、5月に新貨条例を制定しました。新貨条例によって、それまで4進法と10進法が混在していた通貨制度を円・銭・厘による10進法に改めました。
符合泉志
平安時代から江戸時代初期に流通していた中国からの渡来銭は、寛永通宝の発行後、通貨としての機能を失い、収集の対象とされていました。
文政10年(1827年)、名古屋枇杷島の山田孔章が宋朝銭の拓影を「符合泉志」全3冊に編纂し、宋朝銭を分類できる唯一の参考書が誕生しました。
両替屋
江戸時代、両替屋は大名や庶民(商人)を相手に、預金・貸付の行っていました。また、金・銀・銅の三貨幣と藩札などの両替や、遠隔地との商取引にともなう支払の決済方法として為替業務も行っていました。
千両箱・万両箱
名前の通り千両の貨幣を収納するための箱で、小判あるいは一分金を千両分収納します。これに習って一万両入る万両箱もつくられました。
用材は樫の木やヒノキが用いられ、角を鉄板などで補強している物が多くみられます。
その他の展示
中国では、殷(およそ3000年前)の時代、貝が貨幣として使用されていました。周の時代には青銅貨が生まれ流通していました。
陶貨は第二次世界大戦中の金属不足によって代用貨幣として陶器で製造されました。しかし、すぐに終戦を迎えたため実際には使用されませんでした。
クレオパトラ銀貨は表にはクレオパトラの肖像が描かれ、裏には共同統治したアントニウスの肖像が描かれいます。