若宮まつり(若宮八幡社 例祭) - Network2010

若宮まつり(若宮八幡社 例祭)

2009年5月15日・16日、名古屋市中区栄にある若宮八幡社の例祭「若宮まつり」が行われました。15日は夕方から、16日は午後から、山車1両が若宮八幡社周辺を練り歩きました。

若宮まつり

境内で勇壮に旋回する山車境内で勇壮に旋回する山車若宮まつりは江戸時代より、東照宮祭、天王祭と並ぶ名古屋三大祭の一つとされています。毎年5月15日・16日に行われています。現在、若宮八幡社には山車一両(福禄寿車)があり、その山車を8つの町内が順番に当番で奉曳(ほうえい)しています。

15日(金)、午後6時半頃、提灯に火を灯した山車が若宮八幡社を後に、旧矢場町(栄3丁目)内へと曳き出されていきました。曲がり角にさしかかると山車前方を屈強な若者達が持ち上げてコマのように旋回させ、その迫力に拍手や歓声が送られていました。山車は夜の街中をビルの谷間を縫うように曳かれていきました。

ビニールシートの隙間から大麻(おおぬさ)が見えるビニールシートの隙間から大麻(おおぬさ)が見える16日(土)、あいにくの雨でしたが、予定のルートを変更して山車の奉曳が行われました。若宮八幡社の福禄寿車は貴重な文化財のため、前日の提灯姿と打って変わって、ビニールシート姿での出発となりました。
雨が弱まると、山車正面のシートが外され、カラクリ人形に代わって上に乗っている人が大麻(おおぬさ)を振っていました。
途中、力自慢の若者達が山車を一人で担いで浮かせるパフォーマンスが行われ、見物人を大いに湧かせていました。

若宮まつり(2009年)
2009年5月15日・16日両日の山車奉曳(ほうえい)の様子。
夜の提灯姿と珍しいビニールシート姿の山車がご覧いただけます。
迫力ある山車の曳き出しをご覧下さい。

若宮まつり(2006年)
2006年5月16日に行われた若宮まつりの様子。初山宮司による若宮八幡社の由来や祭の解説もあります。若宮八幡社から那古野神社に向かって神輿と山車が本町通りを練り歩きました。この日は天候不良のため那古野神社まで行かず、途中の広小路通で折り返して若宮八幡社へと帰って行きました。

写真

山車を取り囲むようにして見物人が集まった山車を取り囲むようにして見物人が集まった

夕暮れに浮かび上がる提灯夕暮れに浮かび上がる提灯

たくさんの見物人が山車について町内を回った多くの見物人が山車と一緒に町内を回った

前輪を持ち上げて交差点を曲がる山車前輪を持ち上げて交差点を曲がる山車

轟音若宮大通りを進む山車若宮大通りを進む山車

若宮八幡社の鳥居をくぐる山車若宮八幡社の鳥居をくぐる山車

境内に帰ってきた山車を多くの人が取り囲んでいた境内に帰ってきた山車を多くの人が取り囲んでいた

IMG_0101.JPG若宮八幡社

シートを被った山車シートを被った山車

倉庫に帰って姿をあらわしたカラクリ人形倉庫に帰って姿をあらわしたカラクリ人形

境内に並ぶ各町内の祭宿境内に並ぶ各町内の祭宿

右:若宮八幡社氏子副総代 田島治郎氏右:若宮八幡社氏子副総代 田島治郎氏

若宮八幡社

江戸時代の名古屋城下図の上に、名古屋城築城前の様子を重ねたもの江戸時代の名古屋城下図の上に、名古屋城築城前の様子を重ねたもの江戸時代の若宮祭の行程図江戸時代の若宮祭の行程図若宮八幡社は、大宝年間(701~704)に現在の中区三の丸に創建されたと伝えられています。戦国時代の享禄4年(1532)、今川氏親(今川義元の父)の築城した城(現在の中区二の丸あたり)をめぐる、今川氏豊と織田信秀(織田信長の父)の戦いで、若宮八幡社は焼失しましたが、天文8年(1539)織田信秀により再建されました。

今川氏を尾張から駆逐し城を奪い取った織田信秀は、本拠を勝幡(しょばた)城からこの城に移し、那古野城と命名しました。信長はこの城で誕生したといわれ、その後父信秀は信長に城を譲り古渡城(現在の東別院)を築き城主となりました。

尾張名所図会に描かれた若宮八幡社(イメージ着色)尾張名所図会に描かれた若宮八幡社(イメージ着色)尾張名所図会に描かれている若宮祭(イメージ着色)尾張名所図会に描かれた若宮祭(イメージ着色)慶長15年(1610年)、名古屋城築城に際して三の丸から現在地に移転されました。この名古屋城下誕生にともなって、若宮八幡社は名古屋の総鎮守となりました。隣接していた亀王天王社(現在の那古野神社)は、築城に際しても移転されませんでした。幕藩体制が終わった明治9年(1876年)、城内に名古屋鎮台が設置されるのを受けて、東照宮とともに現在地(旧藩校 明倫堂跡地)に移転されました。