筒井町天王祭 - Network2010

筒井町天王祭

2009年6月6日・7日、名古屋市東区筒井町一帯で「筒井町天王祭」が行われました。2台の山車が町内を威勢良く巡回して、からくりを披露し、疫病よけの祈願が行われました。

筒井町天王祭

からくりを披露しながら進む「湯取車」、奥に「神皇車」からくりを披露しながら進む「湯取車」、左奥に「神皇車」天王祭は、酷暑の夏に、疫病が流行しないように 牛頭天王(ごずてんのう)に祈願する祭礼です。

筒井町天王祭は、天保年間にこの地で疫病が流行し、それを鎮めるために津島神社(愛知県津島市)より御札を受け、祀ったのが始まりといわれています。
筒井町では、尾張徳川家菩提寺であった建中寺門前の「神皇車」と筒井商店街の東側の情妙寺前にある「湯取車」の2車が、毎年6月の第1土・日曜日に「須佐之男社」に『答礼』(からくりの奉納)し、町内の無病息災・家内安全を祈願します。

「神皇車」は、かつての広井村新屋敷所有の三之丸天王祭(現在の那古野神社の祭礼)の見舞車でした。1887年に名古屋停車場が笹島に造られ、村民が移転したため当時の筒井町が買い取り現在に至っています。
「湯取車」は、万治元年(1658)に東照宮の祭礼車として桑名町で作られました。幾度かの改造を経て天保2年(1831)に桑名町が新しく山車を建造した際、この古車(湯取車)を当時の情妙寺前が譲り受けました。東照宮祭(名古屋まつり)に曳かれていた、現存する唯一の祭礼車となっています。
「神皇車」は旧筒井町1丁目~3丁目、「湯取車」は旧筒井町4丁目と旧車道4丁目の自治会がそれぞれ山車を管理しています。

たくさん提灯をつけて商店街を曳かれていく神皇車たくさん提灯をつけて商店街を曳かれていく「神皇車」 牛頭天王は疫病の神。牛頭天王とスサノオに対する神仏習合の信仰を祇園信仰といい、中世までには日本全国に広まった。このため祇園信仰では牛頭天王とスサノオは同一視される。

筒井町天王祭(2009年)
筒井町では、2台の山車を持ち、氏子町内を無病息災・家内安全を祈り奉曳する。湯取車は旧東照宮祭に曳かれていた由緒ある山車で、神皇車もかつては三之丸天王祭の見舞車として伝えられてきた山車を譲り受けたもの。
解説:名古屋曳絆会 幹事 伊藤剛二

筒井町天王祭(2006年)
2006年の筒井町天王祭の様子。夜の引き回しは間近で撮影、迫力満点です。

写真

建中寺の境内に出店が出て祭りの賑わい建中寺の境内に出店が出て祭りの賑わい

建中寺の山門の地面には山車の轍が幾筋も付いている山門前の地面には山車の轍が幾筋も付いている

建中寺山門横にある須佐之男社建中寺山門横にある須佐之男社

町内各所に止まってはからくりが披露される町内各所に止まってはからくりが披露される

湯取車のからくり、釜の中から紙吹雪の演出湯取車のからくり、釜の中から紙吹雪の演出

お囃子が祭を盛り上げるお囃子が祭を盛り上げる

大きな団扇で合図を行う大きな団扇で合図を行う

電線にも気を配りながら町内を巡回する電線にも気を配りながら町内を巡回する

方向転換が祭の見せ場。山車を担ぎ上げて回る方向転換が祭の見せ場。山車を担ぎ上げて回る

2車連なって町内を巡回する2車連なって町内を巡回する

神皇車のからくり。武内宿禰が手をかざしてあたりを見回す神皇車のからくり。武内宿禰が手をかざしてあたりを見回す

神IMG_1727.JPG火入れされて赤く浮かび上がる神皇車

建中寺前の山車の周りはごった返す程の人出建中寺前の山車の周りはごった返す程の人出

提灯を付けた山車が商店街を勇壮に曳かれていく提灯を付けた山車が商店街を勇壮に曳かれていく

前輪を浮かせて旋回する山車に歓声が上がった前輪を浮かせて旋回する山車に歓声が上がった

沿道の人をかき分けて山車は曳かれていく沿道の人をかき分けて山車は曳かれていく