花車神明社祭(中村区) - Network2010

花車神明社祭(中村区)

2009年10月10日(土)、11日(日)、名古屋市中村区名駅5丁目の神明社を中心に3輌の山車が各町内を練り歩き、からくり奉納が行われました。

花車神明社祭(中村区)

神明社前に曳き出された紅葉狩り車神明社前に曳き出された紅葉狩り車名駅5丁目の二福神車(旧下花車町)、紅葉狩車(旧上花車町と小鳥町)、 名駅南1丁目の唐子車(旧内屋敷町)の3輌の山車が各町内を曳行し、からくり奉納を行います。

現在、神明社の祭礼に山車が曳き出されていますが、そもそもは文政時代、三の丸天王社(現在の那古野神社)の祭礼に曳き出されていました。天王祭ではこの町内(旧広井村)から9輌の山車が天王社のだんじりに対する献灯車として曳き出されていました。現在、この町内には3輌の山車を残すのみとなりましたが、転売されながらも筒井町の神皇車、常滑の雷神車、浜松市の二福神車(下花車二丁目の先代の山車)の3輌の山車が現在も各地で保存されています。
明治時代に入ると三の丸天王社が城外へと移転し祭礼が衰退したため、献灯車としての役割が無くなり、各山車は地元の祭に出るようになりました。
昭和30年、名古屋まつりに山車が出るようになると、 年に2回曳き出すのは資金的にも大変ということで、名古屋まつりと同じ10月に行われる神明社の祭例に合わせて山車を曳き出すようになりました。
3車の別れでは各車中央で車切りを披露しそれぞれの町内に帰っていく3車の別れでは各車中央で車切りを披露しそれぞれの町内に帰っていく今年は先代の二福神車が浜松から里帰りし、約190年ぶりに町内を曳行しました。夜、神明社の前には4輌の山車が提灯の明かりで浮かび上がり駅前の高層ビルとのコントラストが印象的でした。

翌11日、二福神車と紅葉狩車の2輌が曳き出され、四間道を通って円頓寺商店街の中を曳行しました。今年で 神明小学校が廃校となるため、山車は円頓寺を通って神明小学校へと曳かれ、お別れのからくり奉納が行われました。

2010年度より新明小学校、六反小学校が統合され笹島小学校となり、笹島中学校と合わせて小中一貫教育校となります。

花車神明社祭(2009年)
名駅5丁目の二福神車(旧下花車町)、紅葉狩車(旧上花車町と小鳥町)、 名駅南1丁目の唐子車(旧内屋敷町)の3輌の山車が各町内を曳行し、からくり奉納を行います。
解説:名古屋曳絆会 永田哲也 会長

写真

手前が浜松から里帰りした先代の二福神車. その後ろが現在の二福神車手前が浜松から里帰りした先代の二福神車. その後ろが現在の二福神車

狭い路地を進む先代の二福神車狭い路地を進む先代の二福神車

二福神のからくり. 大黒が打出の小槌で宝袋を叩くと袋から宝船が飛び出す二福神のからくり. 大黒が打出の小槌で宝袋を叩くと袋から宝船が飛び出す

唐子車のからくり.  蓮台に乗った唐子が梅の木に移り、逆立ちして太鼓を叩く唐子車のからくり. 蓮台に乗った唐子が梅の木に移り、逆立ちして太鼓を叩く

紅葉狩車のからくり. 女人形が鬼の顔に早変わりする紅葉狩車のからくり. 女人形が鬼の顔に早変わりする

狭い路地を壁にぶつからないように慎重に回す(紅葉狩車)狭い路地を壁にぶつからないように慎重に回す(紅葉狩車)

神明社そばの路地を慎重に曳いていく(紅葉狩車)神明社そばの路地を慎重に曳いていく(紅葉狩車)

路地の家々でからくりが披露された(二福神車)路地の家々でからくりが披露された(二福神車)

神明社にからくり奉納後、旋回する唐子車神明社にからくり奉納後、旋回する唐子車

神明社前の三叉路で行われた三車の出会い神明社前の三叉路で行われた三車の出会い

三車別れの場所へと引き出されていく唐子車三車別れの場所へと引き出されていく唐子車

三車の別れでは各山車が中央で旋回し各山車蔵へと帰って行く三車の別れでは各山車が中央で旋回し各山車蔵へと帰って行く

高速下を曳かれながら山車蔵に帰って行く唐子車高速下を曳かれながら山車蔵に帰って行く唐子車

旋回する唐子車旋回する唐子車

桜通を横断して円頓寺に向かう山車桜通を横断して円頓寺に向かう山車

桜通を越えて浅間神社前に向かう2輌の山車桜通を越えて浅間神社前に向かう2輌の山車

四間道から見える駅前のビルと山車四間道から見える駅前のビルと山車

四間道を曳かれていく紅葉狩車四間道を曳かれていく紅葉狩車

四間道を通過し円頓寺商店街に入っていく山車四間道を通過し円頓寺商店街に入っていく山車

円頓寺のアーケードを山車2輌が曳かれていく円頓寺のアーケードを山車2輌が曳かれていく