沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第1講 西大須 第3回「猫飛び横町」

猫飛び横町

昭和8年の名古屋地図。薄桃色に色づけされている地域が大須の遊郭 旭廊があった場所

昭和8年の名古屋地図。薄桃色に色づけされている地域が大須の遊郭 旭廊があった場所

大須の遊郭、旭廊のなかに音羽町という町があった。音羽町は大須観音の北、一本目の東西の通りが若松町、二本目が花園町、三本目が音羽町である。南北の通り、常盤町と富岡町の間にある町だ。 『昭和八年住宅地図』によれば、音羽町の通りは北側は九軒、南側は七軒の住居者の名前が書かれ、あと空欄になっている。音羽町は、この狭い小路の両側にできた町だ。この狭い小さな町が猫飛び横町と呼ばれていた。

昭和十五年ごろに撮影された猫飛び横町の写真を見ている。狭い小路に向かいあうようにして建っている格子づくりの二階建ての家。二階の庇から向かいの家の庇に猫が飛ぶような狭い町、その町の名を「猫飛び横町」とは言いえて妙だ。 明治四十四年に刊行された『花くらべ』(花競会刊)という遊廓細見記がある。そのなかに「猫飛びある記」が載っている。

富岡町の各楼を素見果てし西側を御園にぬける小路あり。いと狭ければ猫飛びと誰がつけたるか面白し。軒近ければ、しかいふわれも軒下伝ふ猫。北のかかりを美の宇とて、ここにお職はまるぼちゃの愛嬌ざかり売れざかり、それに似たる勝山は瓜実ならでまる切の其片われとしられたり。したたるゑがほこがね歯のげにすてがたきけしきなり。ある人がみのうへのこともわすれてあそふかなけに勝山のけしきみとれて次を松花楼といふ。いろに秋花みつる花、まぶの色花、いとよ花、月の花山さむし花、よし花つけてあげずとも一言こゑをかけしやんせ、客をまつ花線香花、仲居は客をまち、小猫も縁のはなにねて、はなをならすか面白し。

このような遊女の評判記を読んで、旭廊に遊客がつめかけたのであろう。「猫飛びある記」の冒頭に書かれているのが猫飛び横町だ。すでに明治の終わり頃から、猫飛び横町という俗名で呼ばれていたことがわかる。

旭廊には、多くの遊客が毎夜毎夜つめかけてきた。借金にしばられ、日毎に変わる相手に身をまかす遊女の寂しさをまぎらしてくれるのが猫だ。猫は、誰が自分をかわいがってくれるか、誰が自分の主人であるかをよく知っている。「小猫も縁のはなにねて、はなをならす」そのしぐさを見ることは、遊女にとって、つらい仕事を忘れることのできる時間だ。

遊女は、猫飛び横町から自由に外に出ることのできない籠の鳥だ。猫は庇から庇へと思いのままに飛びまわることのできる自由の身だ。遊女は猫の境涯に羨望を感じたことであろう。いくら客に、猫のようにはなをならしても遊女は自由になることはできない。

かつての大須を今によみがえらせてくれる俗名が、猫飛び横町だ。消えた町の面影を俗名によって、思い浮かべることができる、かつてのこの町の昔の情景が彷彿として浮かんでくる。

地図


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