沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第6回「志賀公園遺跡」

志賀公園遺跡

志賀公園. 愛知県名古屋市北区中丸町2丁目66

志賀公園. 愛知県名古屋市北区中丸町2丁目66

昭和五年(一九三〇)、西志賀土地区画整理組合が平手政秀を顕彰するための公園を造成した。地下を掘りすすんでゆくと土師器、須恵器、山茶碗等が出てきた。小栗鉄次郎、吉田富夫氏らの調査によって、弥生時代前期の東限の貴重な遺跡であることが判明した。

その後も名古屋市教育委員会により、昭和五十一年(一九七六)、平成五年(一九九三)に調査が行なわれた。

昭和五十一年の調査では、十三世紀代の山茶碗などが出土する遺物包含層と、五世紀前半の土師器が出土する遺物包含層が確認された。

平成五年の調査では、八世紀から十六世紀代の遺物包含層と、弥生時代後期から六世紀代の遺物が出土する自然流路の堆積層が確認されている。

平手政秀を顕彰するための公園として造成された志賀公園

平手政秀を顕彰するための公園として造成された志賀公園

名古屋市教育委員会発行の『志賀公園遺跡発掘調査の概要』(一九九四年刊)のまとめは、次のように結んでいる。

土層の堆積状況からみる限り、本遺跡の環境は二つに大きく分かれる。ひとつは、自然流路と考えられるところに砂シルト層、砂層が流れ込むように堆積し、そこでの人間の活動がみられない時期、もうひとつは、砂シルト層が安定して堆積し、柱穴が掘られるように、そこで何らかの生活が営まれた時期である。前者の自然流路の上端からは弥生後期から六世紀代にかけての遺物が出土し、流路の堆積が古墳時代までと考えられる。それに対し、後者の安定した砂シルト層からは八世紀代から十六世紀代にかけての遺物が出土しているので、ほぼ中世までにわたってこの地層が堆積したと考えられる。

志賀公園の由来看板

志賀公園の由来看板

地図


より大きな地図で 沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」 ‎ を表示