徳川園(大名庭園) - Network2010

徳川園(大名庭園)

尾張徳川の大名庭園「徳川園」

http://www.youtube.com/v/dE8Smef5IaA

※以下の文章は上の動画から書き起こした内容です。

光友が亡くなり敷地は成瀬、渡辺、石河ら家臣の下屋敷となった(江戸後期名古屋城下図)光友が亡くなり敷地は成瀬、渡辺、石河ら家臣の下屋敷となった(江戸後期名古屋城下図)― 徳川園のはじまり

徳川園は、二代目尾張藩主徳川光友公が江戸から戻って来られて名古屋で隠居されることになり、その隠居所として造営されたのが始まりです。

徳川園は、ちょうど名古屋城から東の方へと来た台地(名古屋台地)のはずれの手前の位置に選ばれました。隠居所というと小さいこじんまりとしたイメージを持たれるかもしれませんが、坪数で言いますと13万坪という広大なお屋敷でした。
さすがに二代尾張徳川家の殿様だけのことはありますので、広大な隠居所がこの土地に用意されたということです。

二代目尾張藩主光友様がお亡くなりになって、成瀬、渡辺、石河ら家臣(尾張藩重臣)たちに分割して下屋敷の用地として渡されました。
明治になってから、これらの家臣(尾張藩重臣)たちが、この土地はもともと徳川様から預けられた土地だということで、お返ししますということになって、再び徳川様ゆかりの土地になったわけです。お屋敷のまわりには薬草園などがあったと聞いております。

― 名古屋市への寄付と徳川美術館の建設

昭和6年(1931年)一大転機がありました。お屋敷の部分を名古屋市に寄付するという申し出が(徳川家から)あり、名古屋市が管理することになりました。
また、残された土地に昭和10年(1935年)徳川美術館を建設され、美術館とお屋敷が一体となった徳川家ゆかりの場所になりました。
同時に、駿河御譲本を中心とする蔵書は東京目白の邸内に「蓬左文庫」として公開されましたが、戦争により10年足らずで閉館、戦後の昭和25年(1950年)「蓬左文庫」は名古屋市に管理を委託され、現在地で一般に公開されることになりました。

― 葵公園から再び徳川園へ

葵公園として親しまれていた頃の様子葵公園として親しまれていた頃の様子戦災で大部分を焼失した徳川園は、葵公園と名前を変えて野球場やプール、結婚式場、東図書館などが次々と造られました。
しかし(時代と共に各施設の)老朽化も激しくなりましたので、徳川美術館、蓬左文庫、そしてかつて徳川園というお屋敷のあった場所をリニューアルするにあたって、もう一度原点に立ち返って世界に向けて情報を発信できるような「武家文化の拠点」として整備しよう、という話が持ち上がりました。また2005年には、愛知万博の開催が決定していましたので、これに間に合わせる形で徳川園の建設が行われました。

「池泉回遊式」の特徴である大きな池には鯉や鴨も泳いでいる「池泉回遊式」の特徴である大きな池「龍仙湖」には鯉や鴨も泳いでいる13万坪あった広大な隠居所を当時そのままに復元することは不可能であるので、現状の限られた敷地のなかで世界に向けて「これぞ徳川家の武家文化を象徴する庭園」であることをアピールするため、「池泉回遊式」といわれる大名庭園様式での再現を目指しました。
大きな池を作り、その池の周りを来場者のみなさんが散策する。地形は変化に富み、山があり、川があり、里があり、海に至るという日本の自然風景を凝縮したような 「池泉回遊式」の大名庭園の様式をここで再現しようということになりました。

― 大曽根の瀧と龍門の瀧

徳川園には瀧が二つございます。一つは最上流にあります「大曽根の瀧」この瀧は豪壮な瀧で、空に向かって岩が組まれておりまして大量の水が湧き出てくるという仕掛けになっています。下流にある池からポンプで汲み上げて循環する仕組みになっています。

江戸の別荘にあった「龍門の滝」を偶然発見された当時の石組みで再現江戸の別荘にあった「龍門の滝」を偶然発見された当時の石組みで再現もう一つの「龍門の瀧」は、二代目の徳川光友様が江戸にお住まいであった頃に別荘を造られ、その庭の一角にあったのが龍門の瀧です。
幸運にも、その石組みが早稲田大学の敷地(新宿区早稲田大学グラウンド)の下から偶然発見され、早稲田大学から(石を)譲りうけ、(龍門の瀧の石組に)使用することができました。

池の鯉が滝を昇って龍になるという伝説を持ち、大名格になると自身の庭園のなかに龍門の瀧を造りました。また龍門の瀧には仕掛けが施してありました。
大名を招いて園遊会などを開かれるとき、20人から50人ほどの御付の家来衆とお庭をめぐられるのが通例でした。ご一行の最後尾が龍門の瀧の前にある飛び石を沢渡りのように渡り終えられるかどうかという時に突然、先ほどまでさらさらと落ちていた龍門の瀧の水量が鉄砲水のように増して、最後尾の家来衆が全身、びしょぬれになる姿を振り返り、招かれたご一同が大爆笑するといった仕掛けが施されていたということです。
これにならい徳川園の龍門の瀧でも人工的に時間がきますと、瀧の水量が増す仕掛けがしてあります。

― いつ来ても花に出会える

4月下旬、牡丹園には色とりどりの牡丹が咲き誇る4月下旬、牡丹園には色とりどりの牡丹が咲き誇る4月の中旬から下旬になると、大きな牡丹(ぼたん)の花が咲き乱れます。55種類の早咲きから遅咲きのさまざまな種類の牡丹の花が1000本ほど植えてあります。
白、赤、桃色、そして遅咲きの黄色い牡丹まであり次々と咲いてゆきますので徳川園を代表する花でございます。
四季折々のいろんな花が咲くよいに自然風に植えつけられていますので、いつ来ていただいても何らかのお花に出会えるのが徳川園の特徴だと思っています。

(この文章は上の動画から書き起こした内容です。)
上流から龍仙湖へと流れる小川に沿って歩道が続く上流から龍仙湖へと流れる小川に沿って歩道が続く
「大曽根の瀧」下段。石の上に鴨の姿も「大曽根の瀧」下段。石の上に鴨の姿も
落差6mの三段の「大曽根の瀧」の上段、中段落差6mの三段の「大曽根の瀧」の上段、中段
木陰で涼しい「大曽根の瀧」付近木陰で涼しい「大曽根の瀧」付近
梅や桃の木に囲まれた休み処「四睡庵」梅や桃の木に囲まれた休み処「四睡庵」
菖蒲田。見頃は5月下旬から6月初旬菖蒲田。見頃は5月下旬から6月初旬
中国杭州の西湖にある堤防を模した西湖堤中国杭州の西湖にある堤防を模した西湖堤
龍仙湖に浮かぶ3つの島を渡って回遊する龍仙湖に浮かぶ3つの島を渡って回遊する
4月中旬から見頃となる牡丹園4月中旬から見頃となる牡丹園
光友の諡號「瑞龍院」から名づけられた茶室「瑞龍亭」光友の諡號「瑞龍院」から名づけられた茶室「瑞龍亭」
「瑞龍亭」からの龍仙湖と西湖堤の眺望「瑞龍亭」からの龍仙湖と西湖堤の眺望
「瑞龍亭」に至る露地「瑞龍亭」にいたる露地の様子
海に見立てて作られた「龍仙湖」海に見立てて作られた「龍仙湖」
龍仙湖に面する二層の建物「観仙楼」龍仙湖に面する二層の建物「観仙楼」
「龍門の滝」の脇の小道「龍門の滝」の脇の小道

徳川園の牡丹(ぼたん)

http://www.youtube.com/v/fANaLfQ1Meg

徳川園へのアクセス

公共交通機関の場合

●名古屋駅より

市バス
名古屋駅バスターミナル(テルミナ2F)グリーンホーム7番のりば基幹2号系統、「徳川園新出来」停下車徒歩3分
名鉄バス
名鉄バスセンター(メルサ3F)4番のりば基幹バス「引山」方面行「徳川園新出来」停下車徒歩3分
JR
JR中央本線、「大曽根」駅下車南出口より徒歩10分
地下鉄
東山線「藤が丘」方面行、「栄」で名城線「右回り」に乗り換え「大曽根」駅下車3番出口より徒歩15分桜通線「野並」方面行、「車道」駅下車2番出口より徒歩15分

●栄より

市バス
栄バスターミナル(オアシス21)3番のりば基幹2号系統、「徳川園新出来」停下車徒歩3分

車で向かう場合

徳川園駐車場(有料)をご利用下さい。


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