家康の蔵書を今に残す「蓬左文庫」
※以下の文章は上の動画から書き起こした内容です。
御文庫(明治初年)。18世紀初頭、名古屋城二の丸庭園内に建設された書物蔵。― 蓬左文庫の名前の由来
蓬左文庫のホウサというのは江戸時代の名古屋の別称です。蓬というのはヨモギですが蓬来の宮を指す言葉です。左というのはひだりなんですが、左方ないし周辺という意味がありまして歴史ある熱田の宮の周辺に出来た新しい町ということで名古屋を洒落て呼んだのが蓬左という意味です。
名古屋城のことも蓬左城と言ってましたので、その蓬左城に伝えられた書物を所蔵する文庫ということで蓬左文庫と命名しました。東京の尾張徳川家の屋敷の中で(昭和10年)開館しました。
展示されている「駿河御譲本」の河内本源氏物語― 御文庫の基礎となった「駿河御譲本」
名古屋につきましては現在の場所になるんですが、大名道具を中心とした徳川美術館が昭和10年のほぼ同じ時期に開館しています。尾張徳川家の蔵書を中心として優れた日本や中国、朝鮮の書物を所蔵している文庫ということが言えます。蔵書の中心になっておりますのが、尾張藩時代の御文庫ということになります。御文庫というのは藩主の蔵書なんです。
その基礎を築きましたのは初代の義直という人物で、徳川家康の九番目の息子になります。家康の文化的な面を一番受け継いだと言われている人物なんですけれども、自身でもいろんな書物を収集したりもしています。文庫をつくるに当たって基礎とした中心が父親から譲られた書物ということになります。これは「駿河御譲本」という風にいうんですが、なぜかといいますと家康は晩年に駿河に隠居をしております。50代以降に書物の収集などにも非常に積極的にかかわりました。
書物の収集に積極的だった徳川家康特に武家がつくった最初の文庫と言われる金沢文庫の蔵書であるとか、秀吉の行った朝鮮出兵で日本にだいぶん入ってきたと言われているお隣の朝鮮半島の李朝で作られた技術の高い金属活字印刷の出版物であるとか、当時としての最高レベルの書物を集めていたわけです。
隠居するに当りまして自分のお気に入りの物を持って隠居しまして、大体1万冊あったと言われていますが、(それを)駿河文庫といっていたわけです。亡くなりましたときに江戸と御三家に分けられまして、義直に対して約3000冊を遺品として渡したということになります。非常に貴重な資料が入っていまして、それを中心に初代藩主義直は尾張藩の文庫の基礎を作っていったということになります。
閲覧室ではコンピュータを使って蔵書のカラー画像を見ることができる― 将来の市民、研究者のために出来るだけ良い状態で残していきたい
重要文化財になっているものなんかを、そうそう皆さんに手にとって見ていただくわけにはいかないのでカラー画像で見ていただいたり、絵本のようなものも出来るだけカラー画像を整備してご覧いただけるような事を考えています。
今の市民の方だけのものではないので、将来の市民、研究者のために出来るだけ良い状態で残していきたいという事なので、保存を考えつつ、より深い研究なり調査なりをしていただけるようなシステムにしていきたいと考えております。
名古屋市蓬左文庫へのアクセス
名古屋市蓬左文庫
〒461-0023名古屋市東区徳川町1001番地
公共交通機関の場合
●名古屋駅より
市バス |
名古屋駅バスターミナル(テルミナ2F)グリーンホーム7番のりば基幹2号系統、「徳川園新出来」停下車徒歩3分
|
---|---|
名鉄バス |
名鉄バスセンター(メルサ3F)4番のりば基幹バス「引山」方面行「徳川園新出来」停下車徒歩3分
|
JR |
JR中央本線、「大曽根」駅下車南出口より徒歩10分
|
地下鉄 |
東山線「藤が丘」方面行、「栄」で名城線「右回り」に乗り換え「大曽根」駅下車3番出口より徒歩15分桜通線「野並」方面行、「車道」駅下車2番出口より徒歩15分
|
●栄より
市バス |
栄バスターミナル(オアシス21)3番のりば基幹2号系統、「徳川園新出来」停下車徒歩3分
|
---|
車で向かう場合
蓬左文庫専用駐車場はありません。徳川園駐車場(有料)をご利用下さい。
大きな地図で見る