1960年の金城学院大学全景名古屋市守山区大森にある金城学院大学のキャンパスは緑に囲まれた里山の中にあります。これは1948年(昭和23年)に購入した大森の山林(約247,500m2)を活かしながらキャンパスを造ってきたからです。
キャンパス東側には八竜緑地が隣接し、緑地内には八竜湿地という貴重な湿地が残されています。八竜湿地には、東海丘陵要素植物群といわれる世界でも東海地方にしかない貴重な植物も分布しています。
湿地を保全するため定期的に「水源の森と八竜湿地を守る会」有志による手入れが行われているこの八竜湿地が現在も保全されている背景には名古屋市、金城学院大学、地域のボランティア、これら3者の協力があります。
土地の所有者である大学が湿地を管理し、名古屋市が木道やフェンスを整備し、地元のボランティアが湿地を含む里山に手を入れて日常的に管理しています。
官・学・民の3者それぞれが湿地保全の重要性を共有し、各の役割の中で協力し合い、貴重な湿地が保全されています。
同じ環境を共有する利害関係者が協力し合って環境を保全する一つのモデルケースと言えそうです。
地図でみる金城学院大学と八竜湿地
金城学院大学
柏木哲夫学長のコメント(上の動画のコメント内容)
― 創立120周年、大学の設立60周年事業
2009年に学院の創立120周年、大学の設立60周年を迎え、これをいい節目にして新しい出発がしたいということで周年事業をずっと考えてきてたんです。そのなかで、環境が非常にいい。名古屋市内でこれだけの環境を持っている所はそうないんですね。「森の中のキャンパス」という風なイメージ、いろんなところに里山的な自然が残っていますので、里山を育てようという、そんなことを大学全体のプロジェクトとして進めていきたいと考えています。
「森の中のキャンパス」構想について語る柏木哲夫学長― 「森の中のキャンパス」構想
例えば、古いクラブハウスがあったんですが、そのクラブハウスを新しくしたので建物を壊したんです。そこの空間を里山にしようということで、人工的な手を一切加えないで自然に木や花が生えてくる。それを観察し、手を入れながら里山にしていこうという構想。それからちょうど幼稚園と大学の境目あたりに広い空間があるんです、そこに水を流して子供たちをそこで遊ばせたい。また地域の方にも来ていただいて自然を楽しんでいただきたい、といった計画。それから炭焼きをやろう、都会のなかで炭焼きができるということは自然が残っているということですから。そのほかにもいろいろあります。
― COP10開催による環境意識の高まり
2010年は名古屋でのCOP10開催ということもあって、みんなが今環境ということに関して非常に関心があります。どんどん自然破壊が進んでいるなかで、自然の保護という観点が非常に重要だと思っています。里山にしても、炭焼きにしても小川を流す構想にしても、すべてに学生が話し合いのなかに加わって、汗を流してみんなで「森の中のキャンパス」をつくっていこうという構想です。
小野知洋教授のコメント(上の動画のコメント内容)
― 八竜湿地保全にいたる経緯
もともと八竜湿地の土地は、金城大学の敷地内にあったんです。30年くらい前でしょうか。ゴミ収集車の施設をつくるという計画が持ち上がりまして・・。これはいかにもそれを壊してしまうのは惜しいということで、いろいろな経緯があったんですけど、大学の方と土地交換をして湿地は守る、大学の一部をその施設に使うということで保全をされることになりました。湿地というのは置いておくとどんどん変化をしてしまう環境なので維持がなかなか難しいんですけれども、名古屋市の方も貴重なものであるということを認識されまして、今は名古屋市と一種の協力関係を結んで、フェンスであるとか木道であるとかは名古屋市が造っておられて、管理は基本的に名古屋市と地元のボランティアのグループの方が実際の管理をされている、ということになっています。せっかくの施設ですから地域の方ももちろんですし、学生も楽しむ事ができるような場所にしたいという風に思っています。
学内の里山を散策する小野知洋教授― 里山について
里山っていうのは、あまり明確な定義があるものではないんですけれども、基本的には人の生活とかかわりのある林と言うべきでしょうか。まったく自然の成り行きそのままにしてるんではなくって、人が入って、ある程度手を入れることによって維持をされている山という事だと思います。具体的な手入れというのは、適当に伐採をして切ったものを薪に使うとか、炭焼きに使うとか、シイタケ栽培に使うとか、あるいは落葉を肥料に使うとか、人が入ることによって自然に適当な伐採が行われますし。それから里山の代表的な構成種は、この大学の中の木ですと、コナラ、アベマキ、っていう2種類のドングリの木があるんですけど、これは木を切りますと切株から萌芽という芽が出る力が、すばらしく強いんですね。ですから切られましても枯れることなくドンドン芽が出てくる。これがまた、20年も経ったら資源として使えるということで、維持をされている林だということですね。
― これから整備を進める里山像
イメージ的には、とても明るい林。冬になりますと落葉をしますので中がすっかり明るくて、春になると下に、この辺ですとコバノミツバチツツジっていうツツジが咲くんですけど、そういったものが咲き乱れるような林をつくってゆきたい。地域の方も、この場に来て楽しんでいただけるような場にしたい、というのが今回の目的でございます。
水源の森と八竜湿地を守る会
柴田美子代表のコメント(上の動画のコメント内容)
― 湿地が残った理由
もともとは民有地だったんです。ここの斜面の所、湿地の部分に守山環境事業所を建てるという話が出たんです、1960年代から。その頃に、ここはいい湿地があるということで金城大学のもう亡くなられた本田先生って方が、ぜひ残してほしいということで、ずいぶん運動されたんです。環境事業所もここしか場所がないと。ほかをいろいろ当たってみたけどもみんな断られ、もう環境事業所が建たないという所までいってました。環境事業所ができれば、このあたりも開発されて道路が出来たりして(地元にも)いいからということで、(地元も)大いに賛成してて、すでにもう判を押す契約までいってました。ところが、金城大学の本田先生が理事長さんを動かして、環境事業所用地と湿地の土地を交換したんです。それでここが残ったんです。それが1976年でした。
1993年の山火事直後の湿地(写真:柴田美子)― 野火をきっかけに湿地回復へ
それ以後、手を入れずに放っておいたんですが、1993年に火事があったんです。野火があって、ずっと燃えたんです。湿地というのは手を入れないと、どんどん森へ還っていっちゃうんです。ですから、このあたりはすでに木やら笹が生えて、山へ戻る寸前だったんです。それが一度火事になって燃えたので(湿地が)ちょっと回復したんです。じゃあどうやって(湿地の状態に)回復するかということになって、私たちが手を入れてやりましょうという事で関わることになりました。そんな時にちょうど名古屋市が自然ふれあいモデル地区として整備を始めたんです。1995年のことです。私達は1994年から(湿地に)入っていたんですが、(湿地には)重要な植物や動物がいますので、とりあえず保護柵のフェンスを造って。また湿地の中は人間が踏むと荒れて壊れてしまうんです。だからということで木道を造ったんです。それは、こちらと下、重要部分の2箇所を整備しました。
1994年、有志による八竜湿地保全活動がスタート(写真:柴田美子)湿地保全に向けた名古屋市による木道整備(写真:柴田美子)― 会の活動内容
(最初のころ)1994年から1年間は、私たちが秘密でやってたんです。しかし、名古屋市が1995年から(湿地保全の)工事に入ったので、秘密にする必要もなくなって、まず観察会を立ち上げました。メンバーの内、2~3人だけが(湿地の)中に入って、保全作業をしだしたんです。やはり手を入れるのに2~3人では間に合わないので愛護会を設立しました。間伐をお願いしたり、枯れ草を外へ出して頂いたりというようなことを続けて今日にいたっています。(湿地の)草が枯れて肥料になるものですから、毎年冬に刈って枯れ草を外にだして湿地を保っています。また、周りの樹林地はいままで手が入ってないのですごく繁茂してたんです。奥が見えないくらい木が茂っていたんです。それを手を入れて、間伐して、湿地の湧き水もたくさん出てくるようになりました。日常のコツコツした作業しかないんですよこの会は。この湿地を理解していただくために、春3回、秋3回観察会を一般向けにやってます。