地図でみる堀川400年の変遷 - Network2010

地図でみる堀川400年の変遷

慶長15年(1610年)の堀川


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慶長15年(1610年)福島正則によって熱田と名古屋城下を結ぶ堀川が開削されました。総延長約6km、川幅(約22~87m)の堀川堀川が誕生しました。

寛文3年(1663年)御用水の導入


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名古屋城のお堀の水源は、初めは湧き水でした。その湧き水が枯渇したため、寛文3年(1663年)矢作川の下をくぐり庄内川に通じる御用水御用水が開削されました。

天明4年(1784年)大幸川を堀川に接続


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大幸川は、六郷村大字大幸(現:東区大幸)付近から西に向かって流れ、江川にそそいでいました。
明和4年の水害で矢田川の堤防が決壊し、名古屋の北部や西部が浸水する被害が出ました。このとき大幸川からたくさんの水が江川に流れ、江川があふれて被害が広がったのです。
そのため、天明4年(1784年)に黒川大幸川の流れを変え、堀川に流入するよう工事を行いました。

明治10年(1877年)黒川の開削


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それまでの犬山と名古屋の運送経路は、犬山から木曽川をくだり桑名から海をこえて熱田や名古屋に物が運ばれていました。犬山から名古屋へ直接つながる航路をつくることが期待されました。
また、名古屋北部から西部、南部の田に引いていた庄内用水の水が不足し、木曽川の水を庄内川に流して水を増やすことが求められました。
これら、犬山と名古屋の船運と農業用水の取水を目的に黒川黒川(暗渠は暗渠)の開削が行われました。こうして守山区の水分橋から北に矢田川の下を通り庄内川につながる堀川の水源が誕生しました。

video明治地図でたどる堀川(wmv,59秒)

現在の堀川


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堀川下流では、江戸時代の新田開発にはじまり、明治にはいると名古屋港の築港や工業用地造成のため埋め立てが行われました。それに伴って、黒川堀川も延伸し、現在の長さになりました。

名古屋市(市町村パビリオン)

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