シンポジウム「今、国際トリエンナーレとは」 - Network2010

シンポジウム「今、国際トリエンナーレとは」

2008年10月14日、愛知芸術文化センターにおいて「今、国際トリエンナーレとは」と題してシンポジウムが行われました。

水沢勉氏(横浜トリエンナーレ2008 総合ディレクター)、北川フラム氏(越後妻有アートトリエンナーレ 総合ディレクター)の二人が、それぞれ取り組んでいるトリエンナーレについてプレゼンテーションを行い、建畠哲氏(あいちトリエンナーレ2010 芸術監督)が予定している出品作家も含めた「あいちトリエンナーレ2010」の構想について語りました。

神田県知事が語るあいちトリエンナーレ開催の理由と意義  

http://www.youtube.com/v/1XMGEHRcHHA

― あいちトリエンナーレ開催の理由

愛知県で国際芸術祭を開催してみようと、そのような考えに至りましたのはもちろんいろんな理由がありますけども、一つのきっかけは3年前の博覧会であります。おかげさまで愛・地球博は2200万人以上の方々にお越しいただきまして成功裏に終えることができました。もともと博覧会は、文化の大交流イベントという位置づけでございましたけれども、ご承知の通り愛知万博は「環境」という切り口で「自然の叡智 Nature's Wisdom」というのをテーマに行いました。「文化面、中でも芸術面はもう少しあってもよかったな」とこういうご意見を率直にお聞きをいたしました。これが一つのスタートでございます。
それから今一つは、経済の元気さは大変目立っていたわけでありますけれども、文化だとか芸術面の元気はどうだろうかなと、これを色々考えさせられるいろんなことがありました。そこで行政として、この芸術面文化面に真っ正面から取り組んでみようと。芸術文化センターを有効に活用して、何か県民の皆様方や多くの方々に芸術文化をふれ合っていただいたり、あるいは関心を持ってもらう、そんな機会がつくれやしないだろうかと、そこから出発したわけでございます。
したがって、私ども暗中模索のような形で前へ一歩踏み出しました。しかしなかなかこれは難しい仕事でございまして、どのような形がいいんだろうか、あるいは有効だろうか、あるいは皆様方に喜んでいただけるだろうかと、いろいろ悩み、考え、苦悩いたしましたけれども、やはり定期的に継続することが大切だという結論になり、2年あるいは3年ごとに開催するこうした芸術祭という形で、県民の皆様はもちろんでありますけれども、世界に向かって大きくアピールすることによって、この地域の文化力とか、芸術力だとかといったものを、より醸成していきたいと、そんな思いに立ち至ったところでございます。

― 芸術は出会いであり発見である

実は今日、午前中に実行委員会がございました。そこで正式な名称を「あいちトリエンナーレ2010」というふうに決めましたけれども、3年ごとにこの芸術祭を開催しようということも決定をいたしました。また、テーマやらコンセプトやらも基本的な考え方をご了解いただいたところでございます。これまで芸術監督にご就任をいただきました建畠先生に色々とご指導いただき、今日まで進めてまいりましたけれども、現代アートはまだまだ身近というところにはなってない面もあろうかと思います。しかし、現代に生きるものの一人として、現代のアーティストが何を創り、何を意図し、どんな情報を発信しようとしているのか、これを理解するというのは、私はとても素晴らしいことだと思っております。芸術は出会いであり発見であると思いますけれども、そういういい機会と発見の場になることを、私どものこの愛知におけるトリエンナーレも期待をしたいと思っておるところでございます。
2010年でございますので、もう2年を切ってしまいました。これから県も行政挙げて準備をしてまいりたいと思っておりますけれども、これは当然行政の力だけでは力不足でございますので、多くのアーティストの皆様方、県民の皆様方、知恵と力と様々なパワーをお貸しいただきたいと思います。そしてこれを成功させることによって次のこの地域の文化の進行やら発展につながればなと、そんな気持ちでいるところでございますので、どうか今あるところをお酌み取りいただくようお願いを申し上げます。

(この文章は上のインタビュー動画から書き起こした内容です。)
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水沢勉氏による横浜トリエンナーレ2008の紹介

http://www.youtube.com/v/lTBP0kSO8zs

― テーマ性を明確にしたかった

テーマ性を非常に明確にしてみたいなと。もう3回目なんだから、トリエンナーレに盛り込まれてる作品のあるテーマの集約性というか、焦点というのかそういうのを強く持った展覧会になってほしい。そういう意味では街全体にテーマ展が広がっていくというような形、非常にまっとうなやり方だと思うんですけれども、そういうやり方でやってみてもいいのではないかと思ったんですね。
テーマとしてはちょっと特殊な「タイムクレバス」というタイトルを付けて、できればこの展覧会を見た人は、この3回目というのは「タイムクレバス」というタイトルだったということをしっかり記憶に刻んで欲しいという思いもあってこのタイトルを選びました。
横浜はご存じのように300万(人)以上の大都市でして近代港湾都市として非常に発展を遂げた場所ですけれども、今回の展覧会では会場を3つの場所を主要な場所にしました。場所自体は非常に古い横浜の構造をハッキリ表している場所で、これは馬車道であり、これは鉄道道であり、これが合流してぶつかったところに新港、新しい港のふ頭と書きますけども実は非常に古い、パリのポンヌフみたいな古い新橋みたいなものですが、古い新港ですが、その新港の場所に新しい施設を一つ造り、非常に横浜の観光スポットとして有名な赤レンガの1号館を使い、それから日本郵政の海岸通りの倉庫、この3つを空間として使ってます。規模としてはそれほど大きなものではないかもしれない。全部足しても7000㎡ぐらいなんじゃないかと思いますね。1回展に比べるとかなり規模が小さくなっていることは否めない。ただ、この場所が横浜の古い港の中心部であるということはとてもポイントで横浜というのは150年前にはわずか数百人の小さな漁村であったわけですが、この場所は日本の近代化にとっては非常に重要な場所で、美術に限って言えば、高橋由一とワーグマンが出会った場所であり、岡倉天心が育った街であり、そういう非常に新しい部分と東洋の美を追究した人間がここに生まれているということも非常に象徴的な場所ですね。

― 横浜に合わせた会場づくり

これが新港ピアというスペースですね。8月にできあがった建物で、来年の150周年など将来に向けてここは多目的スペースとして使うという場所です。内部は西沢立衛さんが造っていますからちょっと独特の空間になっています。たとえば真ん中はいるとまっすぐ目抜き通りのように貫通していて、向こう側には海が見えていますね。このポイントを絶対崩さないというのが西沢さんの強い意志でございまして、会場構成するときも、この真ん中が目抜き通りになるようになっていて、左右に作品が散らばっていくという構成は絶対守ろうというアイデアで造られています。
今回「タイムクレバス」というテーマを抱えてますからアーティストには必ずそれを意識したプロポーザルを出してもらう、新作の場合は必ずそうです。旧作の場合はキュレータ達と相談して、このテーマに合っていると。でも、やっぱり横浜で展示する以上は横浜の現場を見てもらって横浜に合わせたバージョンになって欲しい、そういう形で会場で創っていったものですね。
これは赤レンガ。展覧会のある種心臓部の役割を赤レンガに与えました。というのはここに映像アーカイブというのがありまして1960年代末から70年代の日本の前衛的な人たち、田中敦子さん、中西夏之、ハイレッドセンター、それのシェルター計画に登場したオノ・ヨーコ、そういった映像がズーッと流れます。この映像は割と見てること多いかもしれないけど、今ある最良の状態の映像を集めるという努力をしたので、もしこの機会、是非時間あったら見て欲しいんですね。そうすると実はこの展覧会の中で発表している作家達はここである横のつながりを持っているということもわかるようにしました。で、昨日ですけども田中民さんはこの赤レンガのテラスに出てパフォーマンスをする。無料でこの田中さんの「場踊り」というパフォーマンスを見ることができたわけです。
で、そこを振り返ると向こう側にNYK、日本郵政の海岸通りの倉庫があって、そこの掘っ立て小屋が民さんの部屋ですね。日本郵政の倉庫というのは1950年代初めに典型的な打ちっ放しのコンクリートの倉庫建築である。でも不思議なことにエンタシスのある柱がありますので、この空間をこう整備してヘルマン・ニッチュのような、ちょっと普通の人にはおぞましいと思われるようなアクションの伴う作品の記録というか遺物といいましょうか、そういうものがここにはインストールされてます。
今回の展覧会ですごく重要なのは、その一つは三溪園ですね。「タイム」という問題が「時間」と「時代」の問題でもあると感じてもらいたかったので、横浜開港150年という短い間に絹貿易によって非常な富を築いた原三溪という人が言ってみればアートのユートピアを創ったということは、先ほどの(高橋)由一とワーグマンが出会って日本の油絵が生まれた、岡倉天心が東洋の美の思想を考えた、そういうなことが生まれた場所であるということを、如実に意識させてくれるというのはこの三溪園という場所で、これは外せないと今回は強く思ったんですね。
一番奥にある東慶寺の仏殿があって中にはホルへ・マキと(エドガルド・)ルドニツキーというアルゼンチンのアーティストが創った光のインスタレーションがあります。この光がゆっくりゆっくり電球なんですけど下りてくる。わずか20分の間ですけれど、その間に横浜のこの三溪園バージョンでは胡弓による演奏がちょうど20分流れて、このお堂の中にずーっとたたずんでこの電球が発光しながら実は徐々に光を弱くしていって20分後に音楽と共に消え去っていくという作品が最後にインスタレーションされています。

(この文章は上のインタビュー動画から書き起こした内容です。)
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北川フラム氏による越後妻有アートトリエンナーレの紹介

http://www.youtube.com/v/go3FrT9eAnw

― アートの芸術祭をやろうとして出発したわけではない

都市そのものが今もう本当にいろんなことに対して、だからその中で私たちは生きているわけですが、本当にいろんな課題を解決できなくなった。グローバリゼーションの中で、革質化しなおかつ管理化されるユニットでしかなくなって記号の中にいるしかなくなってロボット化されているというのが実際の所だと思っています。アルタミラ、ラスコー以来の美術っていうのが果たしてきた役割、つまり自然と人間、文明と人間、社会と人間の位置を常に直観的に測りながら、「これでいいのか」ということを言い続けたのが美術な訳です。その美術が、やっぱり相当厳しくなってきた。都市がいろんなことを解決できるということがかなり厳しくなり、都市の痛みあるいは病むことが美術の痛み・病むことになり、現代美術が何か都市の病気のカルテルになってきた。
私は越後妻有の大地の芸術祭をやってきたときに、アートの芸術祭をやろうと出発したものではありません。現在の日本の中で、要するに捨てられようとしている地域、あるいは人々がものすごく多い。その中でたまたま、色々な意味で中心でないところで生まれ、あるいは生活している人たちが捨てられていく。もうこれはSOSだと。10年後の自分たちの地域、あるいは10年後の自分の家族のことを考えたくないというぐらいの人たちが圧倒的に多い。なんとか少し楽しいことが起きることがないか、ということが大地の芸術祭の出発です。
この地域の約200集落、大字ですが、今までずっと生きてきたそれがとにかく中心でない、効率が悪いということで捨てられるということに対して、ほんとにそれでいいのかということ、そこの生きている人たちと楽しいことをやろうということが大地の芸術祭で、その働きを美術が持てなければ美術なんか無くたっていいぞというふうなつもりでここに入ろうということが生まれたわけです。

― 文化だけは、その土地に固有のものである

もともと散歩道だったところが産業廃棄物が捨てられている、そこを瞑想の公園に変えた。あるいはイギリスの家が日本との関係でこうなる。溜め池にこういったものがあると色々逆に鏡となって四季の変化が見えるだろう。
イリヤ・カバコフの棚田ですね。200年にこの田んぼを止めようとした福島さんが2000年は田んぼができないということの中でイリヤ・カバコフのこの計画、はじめは断られたわけですが、こういったことをやろうとして、これにはものすごく手間暇かかって、日本の農業に対する理解から始まり、福島さんからの聞き書きそういったことを含めながら、提案したものを福島さんはOKして、それどころか2000年から2006年まで田んぼを継続したわけです。
2000年の大地の芸術祭は、とにかく2000回を越える説明の中でオーソライズされなかった6市町村の100人の議員の先生全員反対の中で活動してったわけですが、それを打ち破ったのは他者の土地にものを創ろうとする美術そのものが持っている、つまり縦社会とか私有制を越える一つの可能性だったといえると思います。実際つくり出したときに、いろんな形でそこのまさにお百姓ですね、いろんなことをできる人が関わってくることによってこの作品はイリヤ・カバコフの作品であると同時にそこの人たちの作品になった。これが大地の芸術祭の中で見えてきたことです。
政治経済的にはいろんなことが一緒にならざるを得ない。だけど文化だけは、その土地に固有のものであると、有るものを使って無いものを創っていく、という風なことに変わりだしたわけですね。
大地の芸術祭は現在もいろいろ活動してます。3年に1回では残念になって地域の人達がさびしいということになり、夏休み10daysがあり、今や30日になり、恒常的に活動が行われ、もはや大地の芸術祭の作品づくりというのが当然あるわけですが、かなり多くの人達が地域に入っている。もうアートを創るという以外の活動をしていると思います。2006年はそこでのおじいちゃんおばあちゃんが元気だということにみなさんがものすごく喜びを感じてこれが口コミで大きく広がってきました。空き家全部はもちろん請け負えませんが、少なくともこの間廃校になっている学校及び2008年度閉校する学校すべてに関して、まずちゃんと生き返らせようという活動に入っています。
これは田島征三さんが中心になってやる絵本の美術館。清津峡小学校は企画展示の美術館に変わります。芸大、先端研、および東大情報学環および阪大のコミュニケーションのグループ達が一つの学校を継続的にやる。地域の人たちが今までおにぎり10個でやってきたところを100個持って出て下さいということを要請します。その幟があったところにいろんな人たちがそこで一緒に食べれますよ、というような形ですね。この地域の人にとって本当に都市の人達との交流が重要。
私達の生理そういったものの表れである美術・文化というものは自然に属しているものです。そういったものがやっぱり、どういう風に私達はもう一度元気づけ今あるもうほとんど絶望的な都市あるいは世界の成り行きに対して、何か一つの新しい距離感を示し、そこにもう一度希望あるいは共同の可能性が生まれる。そういうことを本格的に美術あるいはトリエンナーレ、ビエンナーレがやっていく。そういう芸術・文化による地域というのをつくっていかなければ今までの価値観ではもう本当にどうにもならない。そういうふうに思っています。
今日ここに呼ばれてありがとうございます。愛知のトリエンナーレが本当にがんばって行くことを切に望みます。どうもありがとうございました。

(この文章は上のインタビュー動画から書き起こした内容です。)
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建畠哲芸術監督が語るあいちトリエンナーレの構想

http://www.youtube.com/v/P0gBkoQkxOU

記者会見

いわゆる美術館の展覧会との違った性格は、極めて大規模であるということと、会場が名古屋市内に散在している、そういう条件があります。
単発の展覧会ではなくて3年ごとに定期的に開かれる展覧会の第1回目である。
芸術的な中心となる会場は愛知芸術文化センター、名古屋市美術館そして名古屋ボストン美術館という3つの美術館でございます。
それ以外にですね、通り、公園、可能なら商店街あるいは様々な美術の展示場以外の施設というものをなるべく幅広く巻き込んでいきたいということを考えています。

シンポジウム

― 演劇やダンスの方から美術への接近

できうればこれが都市の中で、ある高揚感を醸し出すようなそういう祝祭であって欲しいということがございます。現代美術を中核にしながらも、パフォーミングアーツ、音楽、ダンスといったものと密接な連携をはかっていきたい。美術の方からパフォーミングアートへとアプローチしていくという方向性が展覧会の常であったけれども、逆にですね演劇やダンスの方から美術への接近という、逆方向のベクトルを重んじてみたい。
すでにかなりの作家達とコンタクトを初めてはおりますけれど、まだ、皆さんの前にお披露目する段階ではございません。残念ながら。来年の3月頃、つまり会計年度でいえば今年度の終わりぐらいには、およその輪郭を掴んでいただくような具体的なプランをご報告できるかと思います。

― 4人の日本人作家の紹介

80人前後のアーティストにお願いするんではないかと思うんですが、そのうちの過半は海外から招聘する。ただ、今回ご紹介するのは、準備の都合上すでに確定している4人の日本人作家ですね。
草間彌生さん。もう70代半ばにさしかかるお歳でありながら、非常に精力的な活動を展開し、ますます国際的評価を高めている方です。基本的にはペインターということになるのかもしれませんが、野外のあるいは屋外の空間をダイナミックに使った非常に壮大なインスタレーション、空間そのものを生かした作品に取り組んでらっしゃいます。
渡辺英司さん。名古屋出身の方で、床の上に置かれているオブジェのように見えるものは、いずれも植物図鑑から切り抜いた様々な植物のイメージなんですね。それを床の上に針金を支えにして配置する。オフィスや室内空間などにも進出していって、その空間の性格を変容させると同時に、アートの有り様というものの思わぬ側面を考えさせてくれるだろう。
西野達さん。この地域のご出身ですが、現在はドイツを中心にむしろヨーロッパでの活躍の幅が広い方です。バーゼルの寺院の屋上にある風見鶏ですね、それに彼は着目してですね、足場を組んでそこにひとつの小屋を造りあげたんですね。そうすると風見鶏の部分が、ちょうどここにあるテーブルの上にあたかも置物のように乗ってるわけですね。実はでもこれは置物ではなくって、その下にさっきご覧になった寺院の壮麗な屋根が控えてるわけですね。でも小屋まで上がってくると、それがちょっとした置物にも変わって見える。名古屋の街の中でロケハンしながらユニークなプロジェクトのポイントを探していただけるのではないかと考えております。
島袋道浩さん。彼は造形物を提示するわけでもない。ダンスを踊るわけでもないんですね。プロジェクト単位、現実のプロジェクトの中でもそれがユーモラスな発想に依拠している。例えば、明石のたこに東京観光させる。明石でたこを捕ってきてですね、新幹線に乗って東京まで運んで築地を見せたりなんかするわけですね。凧をあげるプロジェクトとか、愛犬家の犬を募って海の向こうに飼い主が何かオブジェを投げるんですね、それを犬がぱーっと咥えて帰ってくる、その時間を競い合って、トップの犬には表彰状をあげるというような。こうしたことはアートを介在にして人々の間のコミュニケーションというものをもう一度活性化させるという力があるんではないかと思います。

多くの市民の方々に今日の先端的なアーティストの中で最も我々にとって刺激的な仕事をしている、その息吹を伝えたいと。今日という時代の中でアートの意味や、また新たな様相を帯びてきていると思います。そうしたものにも敏感にアンテナを張りながら、今準備に携わっていらっしゃるスタッフと一緒に全力を尽くしていくつもりです。どうかご期待いただければと思っております。

(この文章は上のインタビュー動画から書き起こした内容です。)