名古屋駅エリア(名古屋開府400年マップ) - Network2010

名古屋駅エリア

名古屋駅 - 名古屋開府400年マップ

地図記号の意味
gmapr_red.gif:現在
gmapr_yellow.gif:戦後
gmapr_brown.gif:明治~戦前
gmapr_orange.gif:資料
gmapr_pink.gif:尾張名所図会

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名古屋駅の変遷

東海道線と中山道幹線鉄道計画案図東海道線と中山道幹線鉄道計画案図明治16年(1883)政府は東西両京を結ぶ幹線鉄道を中山道に建設することに決定しました。軍事的な理由により海岸線から離れた中山道に敷設する計画でした。
中山道を走り大垣に抜けるこの案は名古屋にとって今後の発展に大きな支障をきたすものでした。
当時の名古屋区長吉田禄在は、県令国貞廉平とともにこの案に異議をとなえました。木曽から美濃路を越す難所である馬篭峠での工事の困難や東海道線の経済的な優位性を訴えて、公債募集も始まっていたこの案をくつがえし、名古屋を通過する東海道線の開通にこぎつけました。

開業当時の名古屋駅(鶴舞図書館 提供)開業当時の名古屋駅(鶴舞図書館 提供)開業当時の名古屋駅構内(鶴舞図書館 提供)開業当時の名古屋駅構内(鶴舞図書館 提供)反対もありましたが明治19年(1886)5月1日、名古屋駅は笹島に建設され開業当初置かれた地から「笹島停車場」とも呼ばれていました。駅は木造平屋建て、ホームは壁面が板張りで屋根はありませんでした。
東海道全通の時点でも、新橋~神戸間の直通列車は日に往復4本でした。
客車が3両、前後に荷物車が一両ずつの5両編成で運行され、また都心と駅を結ぶため、広小路通を笹島まで延長する工事も突貫工事で行われました。
大正中頃の名古屋駅前(名古屋市市政資料館)大正中頃の名古屋駅前(名古屋市市政資料館 提供)大正中頃の名古屋駅鉄道停車場構内(名古屋市市政資料館 提供)大正中頃の名古屋駅鉄道停車場構内(名古屋市市政資料館 提供)それから12年後の明治31年(1898)京都についで全国2番目の市内電車が名古屋電気鉄道により広小路(笹島・県庁前間)の運転をはじめました。大正10年(1921)には、東京・大阪につぐ全国第3位の大都市になりました。


昭和11年3月、建設途中の名古屋駅(名古屋市広報課 提供)昭和11年3月、建設途中の名古屋駅(名古屋市広報課 提供)昭和11年、名古屋駅から伸びる桜通(名古屋都市センター 提供)昭和11年、名古屋駅から伸びる桜通(名古屋都市センター 提供)昭和9年(1934)には百万都市達成を成しとげ、中川運河や公会堂などが建設されました。
名古屋駅が大きく変貌を遂げたのは、昭和12(1937)年に南部の臨界工業地帯で名古屋汎太平洋平和博覧会の開催が決まり、それに向けてのインフラ整備がなされた時でした。
笹島から北西約500mに名古屋駅が新築移転、名古屋駅へのアクセス道路として桜通(名古屋駅前~大津通間)の建設が行われました。
昭和25年の名古屋駅前(名古屋都市センター 提供)昭和25年の名古屋駅前(名古屋都市センター 提供)昭和36年の名古屋駅(名古屋都市センター 提供)昭和36年の名古屋駅(名古屋都市センター 提供)以後、1999年、デパート、オフィス、ホテルを擁する大規模な駅ビルとしてJRセントラルタワーズ(高さ245m)が開業するまで名古屋の玄関口としての機能を果たしました。


1999年に開業したJRセントラルタワーズ1999年に開業したJRセントラルタワーズ2007年にはJR名古屋駅の北に名古屋ルーセントタワー(高さ180m)、JR名古屋駅から名駅通を挟んですぐ向かいにミッドランドスクエア(高さ247m)が相次いで開業し、2008年には広小路沿いにモード学園スパイラルタワーズ(高さ170m)が完成するなど、名古屋駅周辺はさながら名古屋摩天楼の様相を見せ始めています。