名古屋城400年史 - Network2010

名古屋城400年史

江戸時代 - 名古屋城築城

清洲城下図清洲城下図江戸時代の当初は、尾張の中心は清州にありました。徳川家康は四男松平忠吉を藩主に任じ、統治に当たらせていました。しかし慶長十二年(1607年)忠吉は若くして夭逝しました。家康はその後任に甲府藩主であった第九子の徳川義直を甲府より移封しました。

義直の家臣山下氏勝は、水利には勝っているが五条川の氾濫や水攻めに弱いことも藩都の移転を決めました。築城にあたり、名古屋、古渡、小牧などが候補地に選ばれましたが、アクセスや防御の面を考慮した結果、名古屋台地の北端の名古屋の地が選ばれました。家康は、加藤清正、池田輝政、浅野幸長、福島正則などの豊臣恩顧の西国大名に築城を命じました。
名古屋城-尾張名所図会名古屋城-尾張名所図会
江戸時代の名古屋城図江戸時代の名古屋城図二の丸御殿平面図二の丸御殿平面図慶長15年(1610年)にはじまった築城は約4年の歳月を経て完成しました。同時に城下町の建設や堀川の開削なども進められ、藩都は清州より名古屋に移転され、後に「清州越し」と呼ばれています。

五層五階の天守閣を持ち、屋根には金鯱が燦然と輝き名古屋城下を見下ろしていました。本丸には本丸御殿が造営され、元和6年(1620年)将軍上洛時には上洛殿が増築され以後、御成り専用に使用され、居住や政務は将軍の御座所として使われていた二之丸御殿を改修して使用しました。敷地内には、日本で最大規模の広大な二之丸庭園があり藩主専用の庭としてつかわれていました。

明治時代 - 名古屋城取り壊しの危機

明治10年の名古屋城地図明治10年の名古屋城地図明治末頃の名古屋城地図明治末頃の名古屋城地図大政奉還によって徳川政権が滅亡し明治政府が樹立されると、全国的に城の取り壊しが行われました。
尾張藩は名古屋城の取り壊しを新政府に申し出たが、ドイツ公使マックス・フォン・ブラントの助言などもあり、天守閣と本丸御殿は残されることになりました。解体のため降ろされた金鯱の一つがウイーン万博に出展され、帰国後、日本全国で公開されました。その後金鯱は、取り壊しの危機を乗り越えた名古屋城天守閣に戻されました。

三之丸は、江戸時代には上級武士の屋敷や、東照宮や亀尾天王社(現在の那古野神社)などが建ち並んでいました。明治時代に入ると、上級武士の屋敷は取り壊され、東照宮や亀尾天王社は明治9年(1876年)場外に移転されました。

名古屋鎮台(明治19年)名古屋鎮台(明治19年)

第3師団司令部(大正2年)第3師団司令部(大正2年)

金シャチのない名古屋城金シャチのない名古屋城

名古屋城内は陸軍省の所管となり明治6年(1873年)に名古屋鎮台が置かれた。明治21年(1888年)、名古屋鎮台は第三師団と改称された。解体された二之丸御殿の跡には歩兵第六連隊、三之丸には第三師団の歩兵連隊、騎兵連隊、砲兵大隊、輜重兵(しちょうへい)大隊、師団司令部、旅団指令部、衛戌(えいじゅ)病院などが置かれた。

明治26年(1893年)名古屋城天守閣と本丸御殿のある本丸は、宮内省に所管が移され皇室関係者が利用する名古屋離宮になった。

名古屋離宮と陸軍飛行機(大正中期)名古屋離宮と陸軍飛行機(大正中期)

名古屋離宮と陸軍飛行機(大正時代中頃)名古屋離宮と陸軍飛行機(大正時代中頃)

名古屋離宮(大正2年)名古屋離宮(大正2年)

名古屋離宮(昭和2年)名古屋離宮(昭和2年)

昭和時代 - 天守閣、本丸御殿ともに焼失

建設まもない名古屋市役所建設まもない名古屋市役所昭和5年(1930年)宮内庁から名古屋市に下賜され、やっと一般に公開されることになりました。

昭和時代を迎えると騎兵連隊は守山に移転し、その跡地に昭和8年(1933年)、市庁舎が昭和13年(1938年)、県庁舎が移転新築されました。また輜重兵(しちょうへい)大隊跡地には愛知県護国神社が建設されました。
昭和16年の名古屋城地図昭和16年の名古屋城地図昭和7年の名古屋城地図昭和7年の名古屋城地図
昭和20年(1945年)5月14日空襲により名古屋は焼土と化しました。名古屋のシンボルであった名古屋城天守閣は本丸御殿とともに焼失してしまいました。

消失前の名古屋城(昭和12年)消失前の名古屋城(昭和12年)

消失前の名古屋城と本丸御殿消失前の名古屋城と本丸御殿

戦後 - 三之丸に米軍キャンプ

昭和33年の名古屋城地図昭和33年の名古屋城地図敗戦とともに米軍の進駐がはじまりました。名古屋でも名古屋城三之丸と白川公園に昭和33年(1958年)に撤退するまで米軍のキャンプが設置されました。

昭和34年(1959年)になって市民の熱意により名古屋城が再建されました。

一方、昭和24年(1949年)、新制大学の設置により、旧制高校、旧制専門学校、師範学校は新制大学に包括されました。名古屋城の二之丸には名古屋大学の本部、教育、文学、法学部が置かれ、のちに東山キャンパスに移転するまで高等教育の場となっていました。

再建される名古屋城再建される名古屋城

金シャチが取り付けられる金シャチが取り付けられる

再建直後の名古屋城再建直後の名古屋城

現在 - 再建待たれる本丸御殿

現在の名古屋城地図現在の名古屋城地図現在、三之丸には各省の出先機関や愛知県、名古屋市の庁舎が軒を並べる官庁街を形成している。戦前には練兵場となっていた場所は名城公園として市民に親しまれています。

現在名古屋城本丸御殿の再建が名古屋市により決定され、2008年度には着工されることが決まっています。

本丸御殿平面図本丸御殿平面図

本丸御殿跡と名古屋城本丸御殿跡と名古屋城

名古屋城と本丸御殿
名古屋城と本丸御殿を紹介します。

名古屋市(市町村パビリオン)

名古屋市(市町村パビリオン)

関連サイト

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