犬山市(愛知県) - Network2010

犬山市(愛知県)

田中志典 犬山市長 「歴史と街づくり」について語る  

http://www.youtube.com/v/YZRdLZw3coo

田中志典 犬山市長田中志典 犬山市長― 歴史的な町並みが残った理由

丹羽郡犬山町とそして羽黒村、楽田村、城東村、池野村の1町4村が合併したのが昭和29年の4月1日です。運がよかったといったほうがいいと思うんですが、城下町のど真ん中を走る県道を17mの道路幅員にする都市計画道路プランがあったんです。戦後の高度経済成長の時に、古い建物が壊されて近代的な街になる。電線地中化が行われ、歴史的な町並みづくりが進んでいる電線地中化が行われ、歴史的な町並みづくりが進んでいる
日本中で、どこでもあったことなんですけど犬山市の場合は幸か不幸か、まあ幸の方だと思いますけど、そういうことがほとんど起きなかった。そのうちに今度は、その都市計画道路プランの見直しという運動に発展して、結果的には拡幅は止めて、「いままで通りの道幅で歴史的な町並みを残していこう」「他の市町では見られない街づくりをしよう」という方向になった。どこの街も(かつての)風景としてはこのような風景だったろうというのを犬山市でぜひ再現したいと思うんです。その意味では一つ一つ今復元をしつつありますので、それを続けていけば何処にも負けない街になっていくと思います。
東の宮古墳というのを今調査中でありますけど、ここの古墳と妙感寺古墳、また整備が終わった青塚古墳を見ていただければ犬山の良さを改めて感じていただけると私は思っています。

― COP10に向けた意気込み

犬山市の里山の風景犬山市の里山の風景市内の面積が、約75キロ平米あるんですけど半分以上がいわゆる里山なんですね。丘陵地帯がほぼそのまま残っている。またその周辺にはため池があります。そして木曽川をはじめ川がある。そういう自然に恵まれたところですから名古屋近郊のモデル地区として、ぜひこの犬山をCOP10のサテライト会場的な発想で、犬山で分科会とか開いて欲しいと思っています。来年(2010年)のCOP10にはぜひ何らかの支援ができたらその役割を充分担えるのではないかと思っています。

(この文章は上のインタビュー動画から書き起こした内容です。)
成田山から見た犬山城と木曽川成田山から見た犬山城と木曽川
電線地中化された本町通り電線地中化されている本町通り
赤茶色の土壁と蔵の残る宮田邸赤茶色の土壁と蔵の残る宮田邸
登録有形文化財 奥村家住宅登録有形文化財 奥村家住宅
大縣神社大縣神社
市指定文化財 青塚古墳市指定文化財 青塚古墳
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犬山市ガイドマップ

犬山市街詳細マップ

犬山市街詳細マップ

※上の地図画像をクリックするとGoogleMapが浮き出して表示されます。(閉じるには地図背面の濃いグレーの部分をクリックするか、地図右下の×マークをクリックして下さい。)

犬山市広域マップ

犬山市広域マップ

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国宝 犬山城

国宝 犬山城国宝 犬山城犬山城は、1537年織田信長の叔父である織田信康によって造営されました。
織田家の先祖は越前国の神官で、その子孫常昌は当時越前の守護であった斯波氏に仕えていました。斯波氏が尾張の守護を兼ねることになり、織田家も尾張に移り住むようになりました。
犬山城は尾張と美濃の国境に位置するため、国盗りの要所となり、池田恒興、織田勝長、織田信雄の配下の中川定成など城主はめまぐるしく変わりました。1584年、秀吉にくみした池田恒興が中川定成の守る犬山城を奪い小牧・長久手の戦いの引き金の一つとなりました。
江戸時代にはいった1617年、尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり、2004年に至るまで成瀬家の所有する日本で唯一の個人所有の城でした。
現在は、財団法人犬山城白帝文庫に移管されています。

門越しに見る犬山城門越しに見る犬山城
犬山城天守閣犬山城天守閣
地下1、2階の階段地下1、2階の階段
1階には甲冑や屏風が展示1階には甲冑や屏風が展示
2階の武者走2階の武者走
木曽川を挟んだ犬山城木曽川を挟んだ犬山城

「犬山城を語る」 (財)犬山白帝文庫理事長 成瀬淳子さん
日本最古の天守閣って言われてまして、1537年に織田信長の叔父の織田信康というものが、この地に築城したと言われています。いろいろ移築説等もありますけども、実際はどこから移築されたとかっていうものはまだ研究中で、犬山城は比較的謎の多いお城で通っています。成瀬家が拝領したのは、1617年から平成16年の3月まで、途中、明治維新の時に廃藩置県で明治政府にお戻しした経緯はありますけども、ずっと成瀬家がお預かりしてきたという形になるんでしょうか。家康の九男、義直が尾張を拝領して、当時付け家老というのは平岩が主流だったんですけども、平岩が無くなってその前後に竹腰といって異父兄弟と成瀬家が付け家老として(尾張に)行くようになったという経緯ですね。
平成16年の4月に、財団法人を設立いたしまして個人から法人へと変わりまして、整理がついたものからお見せするという形で展示をさせて頂いてるんですけれど、武士の生き方見たいなものが見えてくる、武具、甲冑であるとか、刀剣であるとかっていうものが主流になり、あとは歴代の(城主の)生活であるとかいう部分が、政治的に分かるように書いてあるものが多いと。犬山城は、なかなかどうして古いものですから、自分の意にそわないことは絶対にしない、やらない。そういう所を、やっぱり皆さんのなかではちょっと理解がいただけない部分が、すごい高いんですけども、私どもはそうやって犬山城に接して、それで犬山城を支えてきた自負がある。代が変わるのに、相続であるとかそういう部分で、いたずらに文物を減らしてゆくことが日本の歴史にいいことなのか。いますぐ手放してしまえば海外にいってしまうと。海外のルーブルでありボストンであり、大英博物館であるというところに、ガラス越しに見ることがいいことなのかって言うことで今回、財団法人化に踏み切って全ての物を、この犬山に残すという主旨で行ってまいりましたので、みなさんにご理解いただきたいなあと思います。それが一番、犬山にとっても犬山の市民にとっても、ものすごい犬山城に愛着がわく形になれたんではないかと、私は思っています。

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国宝茶室 如庵

国宝茶室 如庵国宝茶室 如庵犬山城の東にある庭園・有楽苑(名鉄犬山ホテル敷地内)の中に国宝茶室如庵があります。
如庵は、織田信長の実弟織田有楽斎によって建てられた茶室で、昭和11年に国宝の指定を受けました。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席3名席の1つです。
古暦を腰貼りにした「暦貼り」、竹を詰め打ちにした「有楽窓」など随所に有楽斎の独創的な工夫が凝らされた茶室となっています。

http://www.youtube.com/v/LYTSFnMX_j8

如庵如庵
土間庇袖壁の窓土間庇袖壁の窓
にじり口にじり口
「暦貼り」と写真中央にある「有楽窓」「暦貼り」と写真中央にある「有楽窓」
床の間横の斜めの壁が特徴的床の間横の斜めの壁が特徴的
勝手口からにじり口をのぞむ勝手口からにじり口をのぞむ
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犬山祭とからくり人形

寛永12年(1635)に始まる針綱神社の祭礼で、4月の第1土・日曜の両日行われます。愛知県の有形民俗文化財に指定されている3層の車山が13台くり出 し、笛、太鼓に合わせカラクリ人形を披露します。

「犬山まつりを語る」 犬山市歴史史料館&からくり展示館 館長 溝口正成氏
(犬山まつりは)1635年、この街の針綱神社のお祭りとして始まったといわれています。その時は成瀬の二代目の殿様、正虎のアイデアで、今でいいますと街の活性化にお祭りでも始めたらということで、このお祭りが始まったといわれています。普通は「山車(だし)」といいますが、この街では「車山(やま)」といいます。8mほどの大きな車山(やま)ですので、皆さん「やま」とおっしゃる。漢字でも車山と書いてこの街では「やま」と呼ぶならわしなんですね。もともと車山(やま)とか山車(だし)とかいう類が、なぜ祭りに出るかというのは、神がそこに乗り移るという、一つの対象物なんですね。その神といっしょに街の繁栄を祈願する、そういうことで車山(やま)とか山車(だし)が出るといわれています。この犬山祭りの車山(やま)は、基本的に三層構造になってましてね、犬山型という大変独特な形です。普通は二層構造が多いんですね、三層ですから高さも非常に高い。それが12輌。もう一輌は全国的にみても非常に珍しい舟形の車山(やま)が一輌、の合計13輌。
「からくり」っていうのは、基本的に人形ですね。人形に神が乗り移るという、いわゆる宗教用語でいう「依り代(よりしろ)」といいますんですが、そういう対象物として人形が乗るわけです。関東の方では、張りぼての動かない人形を乗せるお祭りがたくさんあるんですが、愛知を中心とした所はその人形をからくり仕立てでしたという歴史があるんですね。
保存会のひとつの方針としましてですね、祭りを単に伝統文化の継承というのみならず、その利活用として観光的な側面、そして地域の活性化、街づくり、さらには最近は教育、後継者育成もかねましてね青少年の教育活動とか、幅広く保存会が活動してるんですよ。まあそんななかで、特に犬山の祭りは外に開かれた方針でやっているという風にいえると思います。

「からくり人形を語る」 尾陽木偶師 九代目 玉屋庄兵衛氏
からくり人形ってのは、いま正確に残っているのはこの犬山が一番多く、十三町内あって十三町内ともからくり人形が載っているってのは、全国的に見ても一番質が高いですよね。まあ名古屋の東照宮のお祭りがきっかけになって、成瀬の殿様がこの犬山にこういった山車からくりの文化をつくったという。新しいものを造ってはいけないという「新規ご法度」といいますよね、それが尾張という所は、それに歯向かって宗春が「もっと新しいものを取り入れよ」とか、お祭りとかそういったものを推奨したんですよ。そのころに、技術者とかの人達が、この尾張なら仕事があるって事で、いろんな技術者が入ったと思うんですよ。彫金士とかいろんな人たちがね。からくり人形とか、お祭りとか、遊びごとにたいしては、ものすごく奨励したんですよ。だから、からくり人形の技術者が、その当時の愛知に、ものすごく多くなった。
修復するってのは、顔にしても胴にしても塗り方とか造り方っていうのは変えずに。その初代から玉屋庄兵衛ってのは、修理、復元というのが主な仕事ですから。創作はやっぱり、修復の合間あいまを見て造るのが限度ですからね。
今まででも6ヶ国くらい行ってますからねヨーロッパの方は。そういった日本の文化とか技術とかを紹介し・・・。日本って国をヨーロッパの人はよく知ってますよ。江戸時代にこんな物が出来てたとか、木でここまでつくってあるとか、茶運び人形なんかを持ってゆくと、「これが茶運び人形なんだ」、木でここまで出来てる人形、木でつくってある人形が二百年もつっていうのは、びっくりしますよ。ものをつくるという創作活動とか、そういったものは日本人のいいところですから、外国の人に見てもらうと納得してくれる。日本っていう国はやっぱりすごいという事を、もっと分かって欲しいなということで、そういった活動はしてますね。

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旧磯部邸

旧磯部邸(登録有形文化財)旧磯部邸(登録有形文化財)磯部邸は犬山城から名古屋に通じる主要な街道筋にあり、江戸時代から「柏屋」の屋号で呉服商を営んできた町家です。
敷地は間口が約7m、奥行きが約58mと細長い、「ウナギの寝床」と呼ばれる形をしています。これは江戸時代の税金が間口の広さで決まっていたためです。
建物は幕末に建築された木造家屋で、明治初期に地震を受けその時に大きく改修されました。犬山の町屋としては中型であるものの、緩やかなふくらみのある「起り屋根(むくりやね)」や、正面は2階建て裏は平屋の「バンコ2階」が特徴です。また格子戸や無双窓など特徴的な様式を残しています。
平成16年犬山市がまちづくり拠点施設として用地を購入し、犬山の町屋の特徴を見学できる施設として一般公開されています。奥土蔵、展示蔵、和室は展示室(ギャラリー)としても利用されています。

http://www.youtube.com/v/2MYgkpiY7Ss

緩やかなふくらみを持つ「起り屋根(むくりやね)」緩やかなふくらみを持つ「起り(むくり)屋根」
呉服商の名残を残す棚江戸時代の呉服商の名残を残す棚
敷地は間口が狭く、奥行きが広い敷地は間口が狭く、奥行きが広い
中庭も長く伸びている中庭も長く伸びている
和室和室
IMG_5383.jpg奥土蔵と展示蔵
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木曽川うかい

昼鵜飼いも行われている2004年からは昼鵜飼いも行われている鵜飼は、鵜飼舟に乗った鵜匠が鵜(海鳥の一種)を訓練し、川魚を捕らせる古代漁法です。首に手縄をつけた鵜が水中へ潜り鮎をはじめとする川魚を捕らえると、鵜匠が手綱を引き寄せ鵜から魚をはき出させます。
犬山では、1300年の伝統を誇る鵜飼い漁を、国宝犬山城を背景に観覧できます。かがり火の中、鵜匠の巧みな手縄さばきと鵜の妙技を間近で見ることができます。
毎年6月から10月中旬まで行われています。2004年からは、「昼鵜飼い」も全国に先駆けて実施され、昼夜問わず楽しめるようになっています。

http://www.youtube.com/v/K9hKUtThDcc

犬山城のそばで鵜飼い漁が行われる犬山城のそばで鵜飼い漁が行われる
昼鵜飼いも夜のようにかがり火が焚かれる昼鵜飼いも夜のようにかがり火が焚かれる
鵜匠の手縄にたくさんの鵜がつながれている鵜匠の手縄にたくさんの鵜がつながれている
みごと魚を捕まえて水面に上がってきた鵜みごと魚を捕まえて水面に上がってきた鵜
鵜が捕まえた魚を吐き出させる鵜が捕まえた魚を吐き出させる
漁終了後に、鵜飼い漁の説明が行われる漁終了後に、鵜飼い漁の説明が行われる
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日本ライン納涼花火大会

毎年8月、木曽川河畔一帯で日本ライン納涼花火大会が行われます。
木曽川の舟上から花火が打ち上げられ、国宝犬山城を背景に色とりどりの花を咲かせます。約200店の屋台が木曽川両岸に並びお祭りムードを盛り上げています。

http://www.youtube.com/v/arwi8IMYiGE

夕方になるにつれ人が増え始める夕方になるにつれ人が増え始める
夕闇のなかライトアップされる犬山城夕闇のなかライトアップされる犬山城
犬山城を背景に花火を見物する観覧船犬山城を背景に花火を見物する観覧船も
花火は川に浮かべた船から打ち上げられている花火は川に浮かべた船から打ち上げられている
終盤、連続して打ち上げられる鮮やかな花火終盤、連続して打ち上げられる鮮やかな花火
ラストの300mナイアガラ花火ラストの300mナイアガラ花火