Network2010.org - 名古屋100km圏内の情報発信ネットワーク http://network2010.org/ 2018-01-15T18:15:50+09:00 シリーズ 堀川と名古屋城No5 納屋橋~五条橋 2018-01-15T17:29:47+09:00 2018-01-15T18:15:50+09:00 http://network2010.org/article/2039

【動画】シリーズNo5 納屋橋~五条橋

堀川納屋橋から五条橋にかけての西側にある、柳橋中央市場、四間道、円頓寺商店街を紹介。

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シリーズ「堀川と名古屋城」Menu

①名古屋港から庄内川
② 熱田神宮と神事
③白鳥貯木場
④佐屋街道を行く
⑤納屋橋から五条橋へ

掲載映像のダイジェスト

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清洲城下の変遷 2018-01-07T19:48:19+09:00 2018-01-07T21:06:59+09:00 http://network2010.org/article/2038

【動画】清洲城下の変遷

清洲城は、尾張守護斯波氏の居城下津(おりつ)城の別郭として築城された。1478年、下津城のが焼失、守護所が清洲に移転されて織田大和守家の居城として尾張下四郡の中心とった。その後、守護代織田信友が 城主となるが、織田信長との争いに敗れ死亡、信長が那古野城から移り、改修を加えて本拠とした。1560 年の桶狭間の戦いは、圧倒的な不利な状況で今川義元軍を奇襲し打ち破ったことで知られている。
1582年、信長が本能寺の変で明智光秀に殺害されると、清洲城で清洲会議がおこなわれ清洲城は次男・織田信雄が相続することになった。信雄は城郭の大改修を行い天守閣などの建設を行い巨大な郭域に生まれ変わった。1600年の関ヶ原の戦い後も尾張の首府として人口6万人を数える関東の巨鎮として繁栄した。
1610年、徳川家康は、来るべき豊臣方との決戦に向けて低湿地で防衛力に難点のある清洲から、熱田台地の北端の名古屋への移転を決定した。世にいう「清洲越し」である。神社・仏閣を含む町ぐるみの移転せ清洲の町は荒廃した。清須の復活は後年、徳川家康によって美濃路の整備が行われ美濃路最大の宿場が設置されて実現することになった。現在の天守は、平成元年(1989)に建設された模擬天守である。

清洲城下の変遷ダイジェスト

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空から見た名古屋 2017 2018-01-06T18:12:31+09:00 2018-01-06T19:19:15+09:00 http://network2010.org/article/2037

【動画】空から見た名古屋2017

2017年にドローンで撮影した変貌する名古屋市南西部の映像。

空から見た名古屋2017ダイジェスト

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名古屋 柳橋中央市場の一日 2017-12-25T09:52:31+09:00 2017-12-25T11:23:01+09:00 http://network2010.org/article/2036

【動画】柳橋中央市場

柳橋中央市場は、都心部一等地に構え約100年もの歴史を持つ全国最大級の規模の民間市場。魚類のほか肉、野菜、フルーツ、乾物の専門店が並び一般客も買い物できる開かれた市場。午前1時過ぎから準備作業が始まる。午前4時過ぎからセリ落とされた魚が柳橋中央市場に運びこまれ営業開始に向け準備作業が本格化する。昼時になると柳橋中央市場はランチスポットに変身、名古屋駅付近に勤務するサラリーマンやOLでにぎわいをみせる。

地図

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北斎×西別院「北斎の大だるまがよみがえる」 2017-11-29T18:31:57+09:00 2017-11-30T19:55:46+09:00 http://network2010.org/article/2030

【動画】北斎×西別院「北斎の大だるまがよみがえる」

200年前の文化14(1817)年10月5日(新暦11月22日)、浮世絵師葛飾北斎は西掛所(本願寺名古屋別院)の境内に120畳敷の巨大な紙を広げ、達磨大師の半身像を描く大掛かりな興業を行いました。完成した大だるま絵は第二次世界大戦時に焼失したと言われていますが、幸いなことに興業の一部始終が記録された資料が残っています。
尾張藩士の高力猿猴庵(こうりきえんこうあん 1756~1831)によって書き留められた『北斎大画即書細図』(名古屋市博物館蔵)には、興業当日のスケジュールや賑わいはもちろん、この日のために用意された和紙や筆、絵の具にいたるまで事細かに情報が記されています。
西別院の開創300年という節目を迎えるに当たり、貴重な資料を基に、可能な限り当時の製法で大だるま絵の復元に挑戦します。江戸時代における尾張名古屋の文化力がこの名古屋にて伝承・復元される瞬間を体感できるプロジェクトです。
(本願寺名古屋別院HPより)

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2017 円頓寺 秋のパリ祭 2017-11-17T20:55:21+09:00 2017-11-29T18:54:17+09:00 http://network2010.org/article/2029

【動画】2017 円頓寺 秋のパリ祭

円頓寺商店街やその界隈を愛する店主や仲間達の「パリが大好き」という思いがギュッとひとつになって、「商店街にパリの魔法をかけちゃおう!」と始まった【円頓寺秋のパリ祭HPより】

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シリーズ堀川と名古屋城No4 佐屋街道を行く 2017-11-01T15:22:04+09:00 2018-01-15T18:15:08+09:00 http://network2010.org/article/2028

【動画】佐屋街道を行く

佐屋街道は、名古屋市の熱田から陸路で岩塚宿、万場宿、神守宿をへて佐屋宿から船で佐屋川、木曽川を下り桑名へいたる。佐屋宿から桑名への水路は三里の渡しと呼ばれていた。東海道の熱田宮宿から桑名間は海路の七里の渡しで結ばれていたが、女性や船酔いに弱い旅人には天候条件に左右されない陸路を通る佐屋街道が使われた。この映像では、佐屋街道に沿って周辺地域の紹介も行っている。

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シリーズ「堀川と名古屋城」Menu

①名古屋港から庄内川
② 熱田神宮と神事
③白鳥貯木場
④佐屋街道を行く
⑤納屋橋から五条橋へ

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シリーズ名古屋港から名駅へNo7 ささしまライブ24 2017-09-28T17:33:38+09:00 2017-10-02T14:00:33+09:00 http://network2010.org/article/2027

【動画】シリーズ名古屋港から名駅へNo7 ささしまライブ24

ささしまライブ24は、旧国鉄笹島貨物駅跡地の約12.4ヘクタールと中川運河船だまり周辺を含む大規模な開発事業。2017年10月初旬に「まちびらき」を迎える。また工事が進む椿町線によって、あおなみ線JR関西本線、近鉄名古屋線など鉄道施設で分断されていた太閤地区とささしまライブ24地区がアンダーパスの整備によって結ばれる。ささしまライブ24地区を東西に縦貫する笹島線は、椿町線と分岐し名駅通と接続される。これによって、名古屋駅西太閤地区から栄方面、名古屋西南部へのアクセスが飛躍的に向上する。
「まちびらき」と同時に、中川運河の堀止から名古屋港ガーデンふ頭、金城ふ頭への水上交通定期運航が開始され、鉄道、陸路、水路の新しいアクセスポイントになることが期待される。

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シリーズ「名古屋港から名駅へ」Menu

①水のみち中川運河
② 名古屋港
③名古屋海洋博物館と名古屋港水族館
④リニア時代の名古屋のまちづくり
⑤露橋水処理センター
⑥中川運河クルーズ2017
⑦ささしまライブ24

✰他のシリーズもご覧ください✰

✱映像で綴る名古屋の400年
✱堀川と名古屋城
✱変貌する名古屋城

地図

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シリーズ堀川と名古屋城No3 白鳥貯木場と木曽式伐木運材 2017-09-18T09:17:06+09:00 2018-01-15T18:14:48+09:00 http://network2010.org/article/2026

【動画】白鳥貯木場と木曽式伐木運材

江戸時代、堀川の河口にあった白鳥貯木場は木曽地方や飛騨地方から伐木された木材の一大集散地。尾張藩で使用される以外の余剰材は商人に払い下げられ江戸、大坂に送られた。この映像は、江戸時代後期の木曽地方や飛騨地方での伐木や白鳥までの運材の様子を描いた絵巻物「木曽式伐木運材図会」を使って、当時の様子を紹介している。また、八百津町、川辺町にあった綱場(上流から流してきた材木をここで集積して、筏に仕立てる場所)跡をドローンによる空中からの映像で紹介している。
取材協力:林野庁中部森林管理局 八百津町 川辺町 NAGAYA DRONE(ドローン撮影)

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シリーズ「堀川と名古屋城」Menu

①名古屋港から庄内川
② 熱田神宮と神事
③白鳥貯木場
④佐屋街道を行く
⑤納屋橋から五条橋へ

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✱名古屋港から名駅へ
✱映像で綴る名古屋の400年
✱変貌する名古屋城

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古地図で見る 江戸城下と尾張藩江戸屋敷 2017-09-06T17:46:22+09:00 2017-10-02T14:11:39+09:00 http://network2010.org/article/2023

【動画】古地図で見る 江戸城下と尾張屋敷

尾張徳川家は江戸に総坪数は31万1000坪余にもなる屋敷を所持し、諸大名のなかで最大規模を誇っていた。尾張藩上屋敷【市谷屋敷】は当主の住まいで政庁も置かれた。明治4年(1871)、兵部省用地として召し上げられ、以後は一貫して陸軍用地となり、現在は防衛省の敷地となっている。
尾張藩中屋敷【麹町屋敷】は、江戸城外堀の四谷門内(現東京都千代田区麹町)に拝領した屋敷。総坪数1万7870坪余あった。幕末を迎え、明治2年(1869)に政府に接収された。尾張藩下屋敷【戸山屋敷】は、和田戸山(現新宿区戸山〉にあり避災邸と休息用の別邸を兼ねた下屋敷として整備された。尾張藩蔵屋敷は、江戸初期南八丁堀にあったが明暦の大火のあと築地地区の埋立地に移転された。
[徳川黎明会HP参照]

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索引
①江戸時代の名古屋城下
②1868→1888名古屋区時代
③1889→1926名古屋市誕生
④1926→1958昭和時代の幕開け
⑤1958→1968昭和30年代の名古屋
⑥江戸城下と尾張藩江戸屋敷

✰他のシリーズもご覧ください✰

✱名古屋港から名駅へ
✱堀川と名古屋城
✱変貌する名古屋城

江戸城下図と尾張藩江戸屋敷

  • 江戸城下と尾張藩江戸屋敷

  • 江戸城下と現在対比

  • 南から見た尾張藩江戸屋敷

  • 南から見た尾張藩江戸屋敷

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