Network2010.org - 名古屋100km圏内の情報発信ネットワーク http://network2010.org/ 2018-08-19T11:37:28+09:00 空から見た 小牧・長久手の戦い 2018-08-18T19:55:56+09:00 2018-08-19T11:37:28+09:00 http://network2010.org/article/2047

【動画】空から見た 小牧・長久手の戦い

①空から見た名古屋 2017
② 空から見た 小牧・長久手の戦い
③空から見た 桶狭間の戦い

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シリーズ小牧・長久手の戦い7話索引

賤ヶ岳の戦いで、秀吉の後押しで柴田勝家、織田信孝に勝利した二男・織田信雄は、 尾張・北伊勢・伊賀を領土とし、三法師の後見として焼失を免れた安土城二の丸へ入城天下統一をもくろむ秀吉に退去させられ両者の関係は悪化する。
また、秀吉の 懐柔策は、織田信雄の重臣、3家老に及び、この三者の裏切りを疑った信雄は、 三人を処刑、信雄は徳川家康に援軍を求め家康もこれに応じ、浜松から8000の軍勢を率い清洲へ進軍 小牧長久手の戦いの火蓋が切られる。
清洲城に到着した家康のもとに、織田家の重臣池田恒興が秀吉側について 犬山城を占拠したとの報が届く。犬山城は織田信長の叔父信康が1537年に築城した木曽川を望む城 天守閣は現存する日本最古のものである。徳川家康は1584年3月15日、清洲から小牧山に進み本陣を置いた。
小牧山城は美濃攻略のため1563年築かれた。織田信長の拠点として城下町も作られたが稲葉山城(岐阜城)を奪取後、廃城となった。
秀吉軍の森長可(ながよし)は 小牧山を奪取すべく羽黒に兵を進めた。羽黒城は建仁元年(1201) 梶原影時の孫、梶原影親により築城されたといわれる。その末裔梶原景義は、織田信長に仕えたが本能寺の変で信長に同行し、梶原景義は討ち死、梶原家は絶えた。秀吉はこの城を修復し合戦に備えた。秀吉軍の先鋒森長可は、3000名の軍勢を率い羽黒城の南、八幡林に布陣していた。家康軍は森長可の動きを察知して、酒井忠次、榊原康政ら5000の兵で急襲。森長可の軍勢は四方を敵に囲まれる。野呂助左エ門は森長可の身代わりとなり息子の助三とともに討ち取られた。
羽黒の戦いの勝利の後、家康は小牧城を大規模に改修。 土塁、空堀を築き決戦に備えた。 また小牧山の東側に秀吉軍の南下を防ぐため、蟹清水、北外山、宇田津、田楽などの砦を配置した。1584年3月21日、秀吉は大阪城を出陣、犬山城を経て、楽田に本陣を構えた。徳川軍の強固な防衛線に驚いた秀吉は、小松寺山砦、小口城、内久保砦、岩崎山砦、二重堀砦、青塚砦、外久保砦を築き、徳川軍に対抗すべく兵を配置した。双方の守りは堅く膠着状態が続いた。
4月4日、膠着状態を打破するために池田恒興は、中入り作戦を秀吉に進言。この作戦は隠密裡に敵の陣を迂回して手薄になった家康の本拠岡崎を攻めて、家康を小牧山から誘き出すもの。背後を突かれるリスクも大きかった。池田恒興父子6000人が先鋒 森長可以下3000人が次鋒として岡崎に向かった。第三軍として堀秀政3000人、第四軍三好秀次(羽柴秀次)8000人も続いて出陣。この動きを察知した徳川家康は、丹羽氏次を案内役に、榊原康政1550人、大須賀康高1850人、水野忠重800人を先発に、自らも井伊直政3000人を先鋒にして家康(本隊)3300人、織田信雄3000人の部隊を率いて敵の背後を突くため、勝川を経て小幡城へ向かった。家康は小牧長久手の戦いにあたり 廃城された平山城の小幡城を修復していた。
家康は小幡城で軍団を二分した。徳川家康・織田信雄隊は池田恒興・森長可隊を追走、長久手へ向かい色金山に本陣を構えた。一方、榊原康政・大須賀康高ら別働隊は、西軍しんがりを務める三好秀次隊を追走。4月9日早朝、高さ25m程の丘、白山林で朝食のため休息中の秀次隊を急襲。不意を突かれた秀次隊は長久手方面に敗走し、忠臣木下勘解由は秀次の代わりに殉死した。
やがて色金山で軍議をしていた家康のもとに、白山林での戦勝の報が知らされる。家康は堀秀政と池田恒興・森長可隊を分断するため、本陣を色金山から御旗山へ陣を進める。秀次軍の前方で駐留していた堀秀政は 白山林からの多数の鉄砲音を聞く。敗残兵が続々と長久手に流れ込むのを見て徳川軍の追撃を知った堀秀政は、兵3000をに分散し待ち伏せる。香流川の対岸に大須賀康高・榊原康政の軍が突入、桧ケ根からの銃弾を浴び岩作城方面に敗走する。追撃をもくろむ秀政が目にしたのは、御旗山の家康の馬印の金扇。堀秀政は追撃を諦め全軍を退却させた。
家康軍別働隊による白山林攻撃が始まったころ、池田恒興父子、森長可の軍勢は岡崎をめざし岩崎城付近に進軍していた。岩崎城を守備するのは丹羽氏重と加藤景常。200余名の守備隊は銃撃を浴びせ挑発。この挑発にのった池田恒興は作戦を変更し、本来ならば通過するはずの岩崎城の攻撃を命じる。約3時間の戦闘の末岩崎城は落城。だが、この戦勝が秀吉軍の敗因の一つとなった。ほぼ徹夜の行軍で疲労した池田軍は、付近で朝食をとり、首実験を行っていた。まさにその時、三好秀次軍敗戦の報が入り、池田恒興・森長可の軍勢は長久手へと戻る。
そのころ長久手では、家康軍が御旗山から前山に陣を構えて、秀吉軍に対し万全の体制を備えていた。左右に、井伊直政軍3000、家康本隊3300。それに予備隊織田信雄軍の3000が、池田、森両軍を見下ろす山の斜面に陣を張った。一方、池田、森軍も仏ヶ根付近まで進軍。双方、9000人の軍勢を率いてにらみ合った。合戦が始まると湿地帯に布陣する秀吉軍は、山の傾斜地から放たれる銃弾に見舞われた。まず、森長可が眉間に銃弾を受けて討死し、池田恒興・元助親子も討ち取られた。かろうじて池田輝政は戦線を離脱し落ち延びた。戦いは徳川軍の大勝利に終わった。
長久手での敗戦を知った秀吉は、長久手から小幡城に帰還した家康を討つべく4月9日夕刻、楽田から龍泉寺城に入城し明朝の小幡城総攻撃を命じた。 家康隊はこの情報を察知し、夜陰にまぎれて小牧城に帰還した。明朝この事実を知った秀吉は、追撃をあきらめ小牧・長久手の戦闘は終わった。
長久手で家康に敗退した秀吉は、家康と同盟を結ぶ織田信雄を攻撃をする戦略を取ることにした。秀吉の猛攻に恐れをなした信雄に秀吉は伊勢、伊賀の領土の半分を返還することを条件に、信雄に和議を申し入れ信雄はこれに応じ和議が成立。織田信雄を支援する名目が和議により無くなり家康も戦の継続を断念、兵を引いた。以後、秀吉は天下統一に突き進むことになる。

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豪華絢爛 名古屋城本丸御殿完成 2018-06-07T17:13:55+09:00 2018-06-07T18:52:13+09:00 http://network2010.org/article/2046

【動画】豪華絢爛 名古屋城本丸御殿完成

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名古屋城本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物で、現在、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と言われていました。2009年より始まった復元工事も完了し、2018年6月8日に全体公開にいたりました。木造での復元が決まった天守閣と優美な御殿が並び立つ様は一見の価値があります。また、御殿内部は現代の匠により伝統技術や技法を駆使して、山水花鳥などを画材とした障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られています。

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  • 名古屋城本丸御殿完成

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第24回 春姫道中 Final 2018-04-24T18:51:28+09:00 2018-06-07T18:50:25+09:00 http://network2010.org/article/2045

【動画】第24回 春姫道中 Final

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2018年4月22日、第24回 春姫道中 Finalが開催された。名古屋城本丸御殿復元を目的として夢童由里子氏(故人)を中心に24年前に第1回目が開催された。
春姫は紀州和歌山浅野家から尾張藩初代藩主徳川義直に嫁いできた。春姫道中はその嫁入り道中を再現しており、第24代春姫は多数の応募者の中から篠田愛純さんが選ばれた。名古屋城本丸御殿の完成公開を2018年6月8日にひかえ、本年がFinalとなる。
主催者の本丸ネットワークの三輪理事長は、本丸御殿復元の目的を果たした充実感と、今後の展開として名古屋城のさらなる整備に向けた提言や推進に対する意欲的な活動を目指していると語っている。

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  • 第24回 春姫道中 Final

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名古屋東照宮創建四百年 2018-04-20T14:21:11+09:00 2018-04-24T20:56:53+09:00 http://network2010.org/article/2044

【動画】名古屋東照宮創建400年

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名古屋東照宮は尾張藩初代藩主徳川義直が父徳川家康の霊を弔うため名古屋城内三之丸に創建した。江戸幕府が崩壊、明治維新となり明治9年(1876) 名古屋鎮台が城内に置かれたため名古屋城外の旧藩校明倫堂跡地に三之丸天王社とともに移転された。
毎年、前日祭は4月16日に、本祭の東照宮祭は17日に行われる。東照宮祭では各町内から九輌の山車が出され東照宮から御旅所までの本町通を神輿を先頭に約7千人の行列が往来。本町通の沿道は見物人でにぎわった。東照宮祭の行列は昭和初期まで行われ名古屋まつりと呼ばれ、名古屋最大の祭りとして名古屋市民に親しまれた。1945年の空襲で国宝の楼門、社殿や山車が焼失、東照宮祭の行列は中止されることになった。その名残は現在の名古屋まつりの山車行列に色濃く残されている。

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名古屋城の名品 2018-04-20T11:05:14+09:00 2018-04-20T14:12:30+09:00 http://network2010.org/article/2043

【動画】名古屋城の名品

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名古屋のシンボルを復興したいという市民の声は大きく、昭和34年(1959)に現在の天守が、鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元されました。内部は歴史博物館となり、名古屋城の歴史や、近世武家文化を伝える役割を担うことになりました。その中で、戦災焼失を免れた本丸御殿障壁画をはじめ、武具、絵画、歴史資料などを、積極的に収集、公開してきました。また障壁画、刀剣などの修理、修復など、資料を良い状態で保存し、後世に伝える取り組みも行ってきました。本展では、現在の天守が再建されて以来、60年近くにわたって収集、保管してきたコレクションの中から、代表的なものを展示しています。/br (名古屋城HPから)。

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  • 名古屋城蔵

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去りゆく昭和・・・さらば名古屋城天守閣 2018-04-05T19:38:23+09:00 2018-04-20T14:11:26+09:00 http://network2010.org/article/2042

【動画】去りゆく昭和・・・さらば名古屋城天守閣

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映像資料提供:名古屋市広報課

現在の名古屋城天守閣は、市民の浄財により鉄筋鉄骨コンクリート構造で再建され1959年10月1日竣工式を迎えた。以後、約60年のあいだ名古屋市のシンボルとして歩んできた。名古屋城天守閣の木造再建により取り壊されることとなり、2018年5月7日に入城が禁止されることになった。
戦後昭和の変遷を見届けた天守閣は、まもなくその役割を終える。この映像では、戦後から昭和の高度成長期にいたる名古屋市の変遷を紹介しながら、名古屋城天守閣の歩みを紹介している。

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  • さらば名古屋城天守閣

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シリーズ堀川と名古屋城No6 名古屋城の明日を語る 2018-03-25T16:25:32+09:00 2018-04-05T19:57:40+09:00 http://network2010.org/article/2041

【動画】シリーズNo6 名古屋城の明日を語る

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現在、名古屋城では様々なプロジェクトが進んでいます。2018年3月29日には金シャチ横丁がオープン、6月8日には名古屋城本丸御殿の全体公開が開始されます。また2022年完成をめざし名古屋城天守閣の木造再建が始動しています。その他、二之丸庭園の保存・整備事業も行われ、愛知県体育館の名城公園北園への移転も決定しています。名古屋城の東側では、愛知学院大学のキャンパス創設、民主導の商業施設tonarinoの誕生(名城公園北園内)など新しい人の流れが生まれつつあります。名古屋城西側に位置するホテルナゴヤキャッスルでは、この流れに対応し”城景のおもてなし”をコンセプトに展開しています。
第6弾は「名古屋城の明日を語る」のテーマで名古屋城総合事務所 西野所長、名古屋市緑政土木局緑地部 今西部長、愛知学院大学地域センター所長 鵜飼教授、株式会社 新東通信 谷会長、ホテルナゴヤキャッスル 二村総支配人に現在のプロジェクトの進捗状況と今後の計画などをお聞きしています。(2018年3月)

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シリーズ「堀川と名古屋城」Menu

①名古屋港から庄内川
② 熱田神宮と神事
③白鳥貯木場
④佐屋街道を行く
⑤納屋橋から五条橋へ
⑥名古屋城の明日を語る

掲載映像のダイジェスト

  • No1名古屋城の明日を語る

  • No2名古屋城の明日を語る

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  • No6名古屋城の明日を語る

  • NO7名古屋城の明日を語る

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  • No9名古屋城の明日を語る

  • No10名古屋城の明日を語る

  • No11名古屋城の明日を語る

  • No12名古屋城の明日を語る

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  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

  • No30名古屋城の明日を語る

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空から見た 桶狭間の戦い 2018-02-12T13:35:28+09:00 2018-08-19T10:52:35+09:00 http://network2010.org/article/2040

【動画】桶狭間の戦い---信長と義元の進軍路を辿る

①空から見た名古屋 2017
② 空から見た 小牧・長久手の戦い
③空から見た 桶狭間の戦い

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桶狭間の戦いにおける織田信長と今川義元の決戦当日の進軍路を通して戦いの詳細を諸説を織り交ぜて説明、また進軍路沿線にある史跡を紹介する。推定進軍路はドローンによる空中撮影をふんだんに使ってダイナミックに描いている。

取材協力(ドローン撮影含む)
清須市 清須市観光協会 清須市ガイドボランティアの会 萱津神社 名古屋市秀吉清正記念館 本願寺名古屋別院 真宗大谷派名古屋別院 円通寺 光明禅寺 桶狭間古戦場保存会 大高地域観光推進協議会 大高歴史の会 名古屋市緑区地域力推進室 有松あないびとの会 とよあけ桶狭間ガイドボランティアの会 高徳院 豊明市 NAGAYA DRONE

掲載映像のダイジェスト

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シリーズ 堀川と名古屋城No5 納屋橋~五条橋 2018-01-15T17:29:47+09:00 2018-03-27T10:00:15+09:00 http://network2010.org/article/2039

【動画】シリーズNo5 納屋橋~五条橋

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堀川納屋橋から五条橋にかけての西側にある、柳橋中央市場、四間道、円頓寺商店街を紹介。

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シリーズ「堀川と名古屋城」Menu

①名古屋港から庄内川
② 熱田神宮と神事
③白鳥貯木場
④佐屋街道を行く
⑤納屋橋から五条橋へ
⑥名古屋城の明日を語る

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清洲城下の変遷 2018-01-07T19:48:19+09:00 2018-03-29T13:38:25+09:00 http://network2010.org/article/2038

【動画】清洲城下の変遷

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清洲城は、尾張守護斯波氏の居城下津(おりつ)城の別郭として築城された。1478年、下津城のが焼失、守護所が清洲に移転されて織田大和守家の居城として尾張下四郡の中心とった。その後、守護代織田信友が 城主となるが、織田信長との争いに敗れ死亡、信長が那古野城から移り、改修を加えて本拠とした。1560 年の桶狭間の戦いは、圧倒的な不利な状況で今川義元軍を奇襲し打ち破ったことで知られている。
1582年、信長が本能寺の変で明智光秀に殺害されると、清洲城で清洲会議がおこなわれ清洲城は次男・織田信雄が相続することになった。信雄は城郭の大改修を行い天守閣などの建設を行い巨大な郭域に生まれ変わった。1600年の関ヶ原の戦い後も尾張の首府として人口6万人を数える関東の巨鎮として繁栄した。
1610年、徳川家康は、来るべき豊臣方との決戦に向けて低湿地で防衛力に難点のある清洲から、熱田台地の北端の名古屋への移転を決定した。世にいう「清洲越し」である。神社・仏閣を含む町ぐるみの移転せ清洲の町は荒廃した。清須の復活は後年、徳川家康によって美濃路の整備が行われ美濃路最大の宿場が設置されて実現することになった。現在の天守は、平成元年(1989)に建設された模擬天守である。

清洲城下の変遷ダイジェスト

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