Network2010.org - 名古屋100km圏内の情報発信ネットワーク http://network2010.org/ 2019-05-13T13:59:05+09:00 リニア時代の名古屋のまちづくりーNo 4中日ビルの再建 2019-05-13T11:19:33+09:00 2019-05-13T13:59:05+09:00 http://network2010.org/article/2079

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.4 中日ビルの再建

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①栄地区再生へ
②久屋大通公園再生
③名古屋テレビ塔
④中日ビル

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第4回目として、 中部日本ビルディング株式会社 金森昭夫社長に中日ビルの建替えや栄地区の再生に 果たす役割をお聞きしました。

インタビュー要約

戦後復興と中日ビル

中部日本新聞(1965年改名)は、戦時中の1942年、新愛知新聞と名古屋新聞が合併し誕生しました。名古屋新聞の本社が現在の若宮大通と久屋大通が交差する場所にあり、中部日本新聞が置かれました。終戦直後の1946年、本社が中区御幸本町の旧新愛知新聞本社へ移転され中部日本新聞中日会館となり、名古屋タイムズ社が入居することなりました。戦後の復興計画で100m道路建設が持ち上がり、立ち退くこととなりました。代替地としていただいたのが現在の中日ビル(中区栄四丁目)のある場所です。現在では、当時より広い2000坪ほどありますが、当初新しく新聞社を建設する予定でした。しかし、新聞の発行部数が伸びており、この敷地面積では不足であるということで、断念することになりました。その代わりとして市民の皆さんに楽しんでいただけるビルを建設しようということになり中日ビル建設にいたりました。

その後の中日ビルの歩み

新聞社の建てるビルなので、ある程度の公共性、社会性、情報性、文化性が必要であろうとして、一般の商業ビルとは少し違う特徴を持ったビル建設になりました。昭和40年代までは、栄といいますと久屋大通の西側の地域を指していました。当時、中日ビルのある栄四丁目あたりは、武平通とか新栄と呼ばれていました。中日劇場開業時のパンフレットにも栄東と書いてありました。中日ビルの建設によって人の流れが東に移行し、栄ゾーンが東側に広がったといった功績はあると思います。中日ビルの屋上にある回転レストランは、栄の名物となりました。名古屋市民はもちろん、東海地方や東京、遠くは九州から来られた方にも、ここで食事をすると名古屋の街の魅力を感じることが出来たと好評でした。また、中日ドラゴンズの球団事務所が6階にあり、優勝パレードの終着点が中日ビルということもあって、中日ビルから久屋大通にかけて、何万人という人々が集まって監督、選手とともに名古屋が元気になったと喜んでいただきました。

栄地区の潜在力

最近は百貨店の売上げ高や地価上昇率などが、栄地区より名古屋駅地区が上回るなど、いろんな意味で栄の地盤沈下が言われています。しかし、栄は都市集積が名古屋駅に比べて圧倒的に進んでいると思います。商店街だけではなくビジネス拠点でもありますし、文化の拠点でもあります。ちょっと足をのばせば官庁街、名古屋城もありますし、南には大須もあります。東京における丸の内、銀座、浅草、上野などの特徴ある街が凝縮された地域であるといえます。栄は潜在的な力を圧倒的に持っています。残念ながら、その潜在的な力を引き出すことには至っていませんが、これを実現することが名古屋全体の力を引き出すことにつながると考えています。

栄バスターミナル跡地暫定活用事業

(株)中日新聞社を代表構成法人として、(株)三晃社、中部土木(株)、(株)電通中部支社、(株)名古屋三越の計5社で、栄バスターミナル跡地の暫定活用事業提案を行い採用されました。2020年から3年間限定ですが広場を整備、運営します。2020年夏には東京五輪、パラリンピックが開催されますので、関連イベントや パブリックビューイングなどで名古屋からも東京五輪を盛り上げよう、五輪を楽しみながらバスターミナル跡地の楽しく利用できればと考えています。

中日ビル建て替え

中日ビルは、2019年3月に閉館し翌日の4月1日から解体工事に入っています。多少ダブル時期はありますが、おおよそ18ヶ月かかります。2021年の初め頃から新築工事に入り、2023年中には、建物全体の外観とか大枠は出来上がり、その後、半年程かけて内装を行い、2024年度の早い時期のオープンを目指しています。多目的、複合ビルなので一つのコンセプトで表せませんが、思いとしては四つの機能を持たせたいと思っています。楽しむ、憩う、働く、集う。具体的には最上階から順にホテル、オフィス、集客フロアー、飲食と物販などのフロアーをバランス良く配置して、いろんな方々に楽しんでいただければと考えています。 中日劇場をなくすのは大変残念だという声を沢山いただきましたので、規模は小さくなりますが多目的ホールの設置を予定しています。洋楽、邦楽、コンサート、寄席・落語、小演劇などのスペースとして、またウイークデーはビジネスユースにご利用いただければと考えています。

久屋大通公園の再整備

栄地区での一番の課題は、久屋大通をいかに上手く使うかということです。終戦直後にせっかく先人は作ってくれた都市基盤。正直に言って名古屋市民は充分に生かしきっていなかった。東西の人の流れを分断する大きな川の流れのようになっていました。ようやく行政が中心になって久屋大通に人を呼び込めるような開発が始まりました。久屋大通公園の再整備が進み、中日ビルが連携できれば、栄の面的拡大が進むと思います。他の大都市と比較して都心にこれだけの緑地があり、面的な広がりを持つスペースはありません。また、愛知芸術文化センターのような文化の拠点もあります。ヨーロッパの都市に見られるような中心に広場、教会、市庁舎があり、人が集まって楽しめる新しい形の都心ができればいいと考えていますし、また、新しい中日ビルがそのための一助になればと思っています。

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リニア時代の名古屋のまちづくりNo.3 名古屋テレビ塔 2019-04-01T16:07:40+09:00 2019-05-13T13:30:26+09:00 http://network2010.org/article/2077

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.3 名古屋テレビ塔

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①栄地区再生へ
②久屋大通公園再生
③名古屋テレビ塔
④中日ビル

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第3回目として、 名古屋テレビ塔株式会社 大澤 和宏社長にテレビ塔の歩みと再生計画について、お聞きしました。

インタビュー要約

名古屋テレビ塔の歩み

太平洋戦争後、名古屋でも大規模な復興計画が作成され、そのプロジェクトの中心として若宮大通と久屋大通の2本の100m道路が建設されました。当時はその幅員の大きさから飛行場でも作るのかと言われたものです。名古屋テレビ塔は久屋大通の中心的なシンボルとして昭和29年に完成しました。NHKと民間放送各社がテレビ塔から電波を発信する日本で始めての集約電波塔で、名古屋テレビ塔完成の4年後に東京タワーが竣工しましたが、テレビ放送が始まる前から計画されたのは、ものづくりが盛んな名古屋ならではのことと思います。 航空法(昭和27年7月)が出来る前に認可されたため、それ以後に建設されたタワーが赤白ですが名古屋テレビ塔の色はシルバーです。建設後、赤白に塗りなおすように航空局から要請がありましたが、都市景観を担当されている学識者の意見もあって回避することができました。全国で銀色のタワーは、ここだけです。さらに、この当時は今のようなタワー建設技術がありませんので、三菱重工 神戸造船所で部材をつくり、こちらに搬入。船舶技術を使って部材の接続もリベット打ちで行いました。建築技術から見ても非常に貴重なもので、平成17年7月に国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。

タワー事業を考えたとき、一番重要なのは立地です。名古屋テレビ塔は久屋大通公園の中心に建設された、公園がにぎわい、多くの来訪者に一部がタワーに上がっていただくというのがタワー事業経営の一番のポイントになります。全国のタワーにおいても、例えば2年後に完成した大阪の通天閣は新世界という街のなかに作られて、夜にもなると何処ともなく人が集まってくる、4年後に出来た、東京タワーにおいては、東京都の観光のシンボルとして観光バスが何十台と収容できる駐車場を持っています。その意味で、名古屋テレビ塔は久屋大通公園と一体となて今日まで歩んできました。

電波塔から名古屋観光のランドマークへ

名古屋テレビ塔はテレビ放送(アナログ)の送信を主に建設され、展望台など空きスペースを利用して観光事業を行うことが特徴でした。一方東京タワーは、観光に重点を置いた設備になっています。平成23年(2011年)にアナログ放送終了し、収益面での大きな柱を失うことになりました。アナログ放送終了後の対策は、今から15年ほど前から行ってきました。放送に使用してきた空きスペースを観光に使うことにしました。実は、放送事業と観光事業は相性がよくありません。放送事業はセキュリティ上、人の立ち入りが禁止されます、一方、観光事業はなるべく多くの方に入って楽しんでいただくことがポイントになります。スペースが広ければいいんですが、名古屋テレビ塔のように狭い空間での放送と観光の相性は厳しいものがありました。一方、 名古屋テレビ塔株式会社は、観光事業を目的として設立されたので、前向きに考えれば観光事業に軸足を置いて、今まで放送に使っていたスペースを観光用に転用し事業を展開してゆくのが、再生事業の一番のポイントと考え15年間取り組みを行ってきました。その中での一番の課題は、南海トラフ地震に対する免震対策です。色んな案がありましたが、何十億といった費用が必要で民間が対応するには大きなハードルとなりました。近年になって、文化財である名古屋テレビ塔の外観を変えず、また低コストの世界で始めての免震工法が開発され再生事業のスタートを切ることができました。

名古屋テレビ塔再生へ!

再生後テレビ塔の概要を説明します。送信アンテナがある最上部はそのままにして、今後あたらしい放送、通信需要があればそれに対応することが可能です。決して電波塔としての機能を失うわけではありません。展望台は、現在夜を中心に夜景を楽しみながらプロジェクションマッピングを展望窓に投影するイベントを数年にわたり開発してきました。再生後は、演出面をさらに充実させて進化させていこうと考えています。下層部分にはホテルを誘致する予定です。名古屋はビジネスホテルが中心なので高級感を持ちつつ、テレビ塔の立地を生かして特徴のあるものを誘致したいと思っています。

テレビ塔エリアの話になりますが、名古屋市がPark-PFI制度を使って、整備・運営事業者には三井不動産を代表とする企業グループが選定されました。テレビ塔の南側に100mの水盤が設置されテレビ塔の姿を水面に映ります。夜には一新されたライティング「 煌(きらめき)」が水面に映り、新たな魅力を提供することでしょう。北側は、イベント広場になりテレビ塔を背景にイベントが展開されます。このエリアとテレビ塔のコラボによって、今までの単独に立つテレビ塔といったイメージは大きく変わるでしょうし、また期待もしています。久屋大通公園再生事業は、栄地区活性化の大きな核となると考えています。

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リニア時代の名古屋のまちづくりNo.2 久屋大通再生 2019-03-14T13:44:21+09:00 2019-05-13T13:30:07+09:00 http://network2010.org/article/2076

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.2 久屋大通再生

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①栄地区再生へ
②久屋大通公園再生
③名古屋テレビ塔
④中日ビル

大画面でご覧になりたい方はYouTube Network2010で

Network2010では、リニア時代の名古屋のまちづくりをメインテーマとして名古屋駅、笹島、名古屋港など名古屋市西部地区を取材して掲載しましたが、第2弾として栄地区の再生!をテーマとして新しいシリーズを開始します。2019年1月初頭より久屋大通公園北エリア・テレビ塔エリアの整備運営事業が開始され、栄地区の再生がスタートしました。このシリーズでは、2020年オリンピック開催時期にあわせた久屋大通公園北エリア・テレビ塔エリアの整備運営事業終了までほぼ1ヶ月に1度のペースで、官民各界の提言をインタビュー取材いたします。また、完成時にあわせて総集編を制作する予定です。映像制作はNetwork2010(任意団体)が行い、運営はNPO法人 ビジュアルコンテンツ・プロダクトネットワークが行います。民主導の形態で行いますが、取材・制作に当たっては整備運営事業を推進する名古屋市住宅都市局と密に情報交換し、密度の濃いコンテンツを皆様にお送りする予定です。

第2回目として、名古屋市:久屋大通再生有識者懇談会の座長を務めておられる堀越 哲美(愛知産業大学 学長)に、久屋大通の今後の整備についてお伺いしました。

インタビュー要約

久屋大通の誕生と歩み

第二次世界大戦後の戦災復興事業として100m道路の建設が考えられました。名古屋では当時の佐藤正俊市長と田淵寿郎氏(市助役)が中心になって100m道路の建設が進められました。戦災復興事業として全国的に100m道路の建設が唱えられましたが、実現に至ったのは名古屋の久屋大通と若宮大通、広島の平和大通だけでした。その他名古屋では50m道路が九本建設されました。徳川家康によってつくられた名古屋城下は中心部が碁盤の目に区画され、戦後になって久屋大通は碁盤割の東端に100m道路が建設されたのが名古屋の特徴です。戦前の耕地整備事業、戦後の復興事業がこれからの「まちづくり」に大きな遺産を残してくれました。

久屋大通の建設は、防災機能の充実や道路の多目的化が意図としてあったんだろうと思います。それで駐車場を地下につくり、道路の中に公園の機能を持たせて、歩く人にとっても、車にとっても通りやすい道をつくってきたのが一つの特色だと思っています。

久屋大通の再生計画

栄地区周辺の街は、道路の沿線で北から南と違っています。現在でも東側と西側が違いますし。例えば、錦通と広小路通を挟んで北側と南側が違います。桜通から北はまた違う展開で、静かな公園になっています。街ごとの意味合いは随分違っていると思います。久屋大通公園の南側については現在検討していますが、北側に人が行きやすくなり、集まりやすくなる事が重要だと思います。

今回パークPFIという試みを行いますが、これだけ大規模で、しかも都心の一等地の公園に適応するのは全国でも第1号で、画期的なことです。テレビ塔界隈と南と北とは整備内容がちがいます。テレビ塔界隈までは、街のにぎわいを創出するため、例えば2階建てが想定されていますが店舗等が置かれます。北側にも一部カフェ的なものなどもありますが、スポーツを楽しむ人達の着替えの場所などの施設が置かれます。公園全体をそれらの施設でつないぐことで回遊性が高まって行くと考えています。

三箇所を結ぶトライアングル

現在、名古屋駅元気になって栄が寂れているといった感じがありますが、しかし元々の中心である栄を繁栄させることが重要です。栄と名古屋城と名古屋駅のトライアングルを結ぶことが大事です。もうひとつ忘れてはいけないのが、栄地区の南にある大須で、久屋大通の南と接続しています。この大須もターゲットに入れつつ、それぞれ持っている特性を生かしていかなくてはいけません。栄は賑わいがあり又、大きな緑地広場を持っている。名古屋城は天守閣の木造再建を控えていますが、本丸御殿も再建され他に例を見ない歴史・文化の観光スポット。それに交通こ結節点でありリニアが開通する名古屋駅。二都物語(チャールズ・ディケンズの長編小説)は知られていますが、三都物語みたいな三箇所を結ぶトライアングルを形成することが大事で、その間の活性化が名古屋全体を引き上げることになると考えています。

リニア開通に向けて

リニア中央新幹線の名古屋延伸が2027年という事なので、それまでに色んなことをやって欲しいわけです。栄の久屋大通公園バスターミナル(2019年3月末閉鎖)の跡地の暫定利用(2023年3月まで)が先月コンペで決まりました。これと北側の再生・整備が起爆剤になって、2027年のリニア開通に向けて南側の再生・整備を進める展開になると思います。

「まちづくり」を担う人材の育成

「まちづくり」に関わる人たちを増やしていかなくてはいけないと思います。専門家を育てる必要もありますが、例えば、市民が活動するなかで官民で事業を起こすこと等で人材を育ててゆく必要があると考えます。学校での教育だけでなく、役所、NPO、市民団体などが一丸となり、街をあげて「まちづくり」を行う必要があり、それに参加することが人材育成につながってゆくことと思っています。

映像ダイジェスト

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リニア時代の名古屋のまちづくりNo.1 栄地区再生へ  2019-01-31T10:32:18+09:00 2019-05-13T13:29:42+09:00 http://network2010.org/article/2075

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.1 栄地区再生へ

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①栄地区再生へ
②久屋大通公園再生
③名古屋テレビ塔
④中日ビル

大画面でご覧になりたい方はYouTube Network2010で

Network2010では、リニア時代の名古屋のまちづくりをメインテーマとして名古屋駅、笹島、名古屋港など名古屋市西部地区を取材して掲載しましたが、第2弾として栄地区の再生!をテーマとして新しいシリーズを開始します。2019年1月初頭より久屋大通公園北エリア・テレビ塔エリアの整備運営事業が開始され、栄地区の再生がスタートしました。このシリーズでは、2020年オリンピック開催時期にあわせた久屋大通公園北エリア・テレビ塔エリアの整備運営事業終了までほぼ1ヶ月に1度のペースで、官民各界の提言をインタビュー取材いたします。また、完成時にあわせて総集編を制作する予定です。映像制作はNetwork2010(任意団体)が行い、運営はNPO法人 ビジュアルコンテンツ・プロダクトネットワークが行います。民主導の形態で行いますが、取材・制作に当たっては整備運営事業を推進する名古屋市住宅都市局と密に情報交換し、密度の濃いコンテンツを皆様にお送りする予定です。

第1回として、整備運営事業を担当する名古屋市住宅都市局の光安達也局長にリニア新幹線開通に向けた名古屋のインフラ整備、栄地区の再生のプランなどをインタビュ取材いたしました。

インタビュー要約

リニア時代の名古屋のまちづくり

リニア中央新幹線が開業すると東京と名古屋が40分で、大阪まで1時間で結ばれます。巨大なスーパーメガリージョンと呼んでいますが、そういった圏域が誕生することになります。7000万人の圏域人口がありますので、そこの中心都市としての役割を生かしながら名古屋はさらに発展していかねばならないと考えています。

名古屋港と都心を結ぶ水のみち

ささしまライブが2017年10月に「まちびらき」を迎え、新たな名古屋のにぎわい拠点ができました。また、中川運河の水上交通(クルーズ名古屋)も始まり、名古屋港と都心部を結ぶ新たなルートが誕生することになりました。

栄地区の再生

栄は名古屋の昔からの繁華街として発展してきました。都市は複数の核を持たないと発展しないと思っていますし、昔ながらの街がしっかり生きててこそ都市としての風格が出てきます。その意味で、栄の再生はこれからの重要な課題です。

久屋大通公園の再生と整備

名古屋の都心部の一等地に、これだけの広大な空間があることは全国的にも稀で、そこを活用して名古屋の再生を行っていくことは、世界に冠たる名古屋になるためには大きなものだと思っています。今回は、パークPFIを適用し民間の能力・アイデア・ノウハウ・資金力を活用します。久屋大通公園が人を多く集めてブランドを持つような地域になれば、それを起爆剤としてまわりの建物が再建される時も非常に質の良い建物になってゆきますので、久屋大通公園の再生を非常に期待しています。

久屋大通公園北エリアについては、オリンピック開催の2020年春のオープンをめざしています。テレビ塔エリアについては2020年7月、オリンピック開催に向けてオープンをめざしています。また現在、久屋大通公園南エリアの再生方法を検討しており、北エリア、テレビ塔エリア完成後に2027年のリニア中央新幹線が開業に向けて完成をめざしています。

魅力あるまちづくりへ歩み

いままでの「まちづくり」は、ハードを中心に進められてきました。人が暮らしやすさ、活動しやさを優先し一から「まちづくり」を行ってきましたが、現在ではそういったインフラ整備はほぼ完了しています。これからは、今ある街の中に、どうやって人を呼び寄せる魅力をつくるかが課題となります。名古屋を行って楽しく、行って良い街にする方法は整備作業を進めてゆく中で、それぞれの地域の特色を生かながら具体化してゆこうと考えています。

リニア時代の名古屋のまちづくり 栄地区再生へNo.1 映像ダイジェスト

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Nagoya Castle seen from the sky 2019-01-05T15:11:12+09:00 2019-01-05T18:56:17+09:00 http://network2010.org/article/2074

【Video work】Nagoya Castle seen from the sky May 2017-August 2018 

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①Nagoya seen from the sky Vol.1
②Nagoya seen from the sky Vol.2
③Nagoya Expressway seen from the sky
④Hida Takayama seen from the sky
⑤Nagoya Castle seen from the sky

YouTube Network2010(the full screen)

The image which photoed Nagoya Castle from the sky during the period in May, 2017 to August, 2018 using the drone.

Hida Takayama seen from the sky

  • May, 2017

  • May, 2017

  • May, 2017

  • ---------------

  • August, 2017

  • October, 2017

  • November, 2017

  • November, 2017

  • December, 2017

  • January, 2018

  • January, 2018

  • March, 2018

  • March, 2018

  • March, 2018

  • April, 2018

  • April, 2018

  • May, 2018

  • May, 2018

  • June, 2018

  • August, 2018

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空から見た名古屋城 2017~2018年 2019-01-05T15:09:40+09:00 2019-01-05T18:41:46+09:00 http://network2010.org/article/2073

【動画】空から見た名古屋城 2017年5月~2018年8月

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①空から見た名古屋Vol.2
②空から見た名古屋 2017
③空から見た 名古屋高速道路
④空から見た 桶狭間の戦い
⑤空から見た 小牧・長久手の戦い
⑥空から見た 飛騨高山
⑦空から見た 名古屋城

大画面でご覧になりたい方はYouTube Network2010で

2017年5月から2018年8月までのドローンによる名古屋城の空撮映像。

  • 2017年5月

  • 2017年5月

  • 2017年5月

  • 2017年5月

  • 2017年8月

  • 2017年10月

  • 2017年11月

  • 2017年11月

  • 2017年12月

  • 2018年1月

  • 2018年1月

  • 2018年3月

  • 2018年3月

  • 2018年3月

  • 2018年3月

  • 2018年3月

  • 2018年4月

  • 2018年4月

  • 2018年4月

  • 2018年5月

  • 2018年5月

  • 2018年6月

  • 2018年6月

  • 2018年8月

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空から見た飛騨高山城下町 2018-12-25T09:39:40+09:00 2019-01-05T17:47:29+09:00 http://network2010.org/article/2072

【動画】空から見た名古屋Vol.2

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①空から見た名古屋Vol.2
②空から見た名古屋 2017
③空から見た 名古屋高速道路
④空から見た 桶狭間の戦い
⑤空から見た 小牧・長久手の戦い
⑥空から見た 飛騨高山
⑦空から見た 名古屋城

大画面でご覧になりたい方はYouTube Network2010で

天正13年(1585)金森長近は豊臣秀吉の命を受け、三木氏の松倉城を攻め落として飛騨を平定。翌年、飛騨国3万3千石の国主として入府した。長近は、天正16年(1588)より高山城の建築に着手、天神山城跡を利用して本丸、二之丸、三之丸を築き、城を囲む高台に侍屋敷、宮川の東側に町人町を配置した。また、東側の山すそには数々の寺院を移築・建立。城下町から東西南北に伸びる街道も整備し高山を飛騨の政治・文化の中心とした。このように飛騨高山の原型は金森長近によりつくられた。元禄5年(1692)、幕府は、金森氏の出羽国上ノ山(山形県)への転封命じ、飛騨は幕府直轄地(天領)となった。元禄8年(1695)、高山城破却の命令が下り金沢藩により跡形も無く取り壊された。その後、金森氏の下屋敷は高山陣屋として使われた。高山陣屋は現存する天領の陣屋としては全国唯一のものである。しかし高山城や侍屋敷は取り壊されたが、町屋や東山の寺院群は残されて今もほぼ400年前の原形をとどめている。

  • 空から見た飛騨高山

  • 空から見た飛騨高山

  • 宮川と中橋

  • 空から見た飛騨高山

  • 宮川と鍛冶橋

  • 空から見た飛騨高山

  • 金森長近騎馬像

  • 金森長近騎馬像(城山公園)

  • 高山城跡(城山公園)

  • 高山城下図

  • 高山城下図

  • 高山城下図

  • 高山城下図

  • 高山城下図

  • 高山城下図

  • 金森家の転封

  • 金森家の転封

  • 飛騨高山天領に

  • 高山城の取り壊し

  • 高山城の取り壊し

  • 金森家下屋敷、陣屋に

  • 高山陣屋

  • 高山陣屋

  • 高山陣屋

  • 空から見た飛騨高山

  • 空から見た飛騨高山

  • 空から見た飛騨高山

  • 三町伝統的建造物群保存地区

  • 三町伝統的建造物群保存地区

  • 三町伝統的建造物群保存地区

  • 三町伝統的建造物群保存地区

  • 三町伝統的建造物群保存地区

  • 三町伝統的建造物群保存地区

  • 三町伝統的建造物群保存地区

  • 三町伝統的建造物群保存地区

  • 桜山八幡宮

  • 高山祭屋台会館

  • 春の高山祭(山王祭)

  • 秋の高山祭(八幡祭)

  • 空から見た飛騨高山

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Hida Takayama seen from the sky 2018-12-25T09:39:23+09:00 2019-01-05T18:57:24+09:00 http://network2010.org/article/2071

【Video work】Hida Takayama seen from the sky

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①Nagoya seen from the sky Vol.1
②Nagoya seen from the sky Vol.2
③Nagoya Expressway seen from the sky
④Hida Takayama seen from the sky
⑤Nagoya Castle seen from the sky

YouTube Network2010(the full screen)

The history of modern Takayama dates back to 1596, when Nagachika Kanamori, a feudal lord, tooko control of the Hida resion. In 1588, Kanamori started to complete the constraction of Takayama Castle and the infrastructure of the castle town it protected. The higher ground around the castle was designated as a residential area for the samurai and the lower ground, now the Old Private Houses, was for the merchant housing. In the eastern hills, now the Higashiyama Temple Area, the temples and shrines were built or relocated from other places. Kanamori also built and maintained the roads which stretch from the castle town to all four cardinal directions and made Takayama the political and economical center of the Hida resion. By Kanamori's efforts, the foundation of today's Takayama was established.In 1692,the territory of Kanamori family was changed by the command of the Tokugawa shogunate. Hida region came under the direct control of the Tokugawa shogunate. Then the Takayama Jinya, a branch office of the government,was placed in Takayama. Although Takayama Castle and the samurai residences were all torn down, the merchant town and the Higashiyama Temple Area remained. After that, Takayama kept on developing at the lead of the merchants called Dannashu.The towns and streets of central Takayama still remain in the form 400 years ago.

Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

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  • Hida Takayama seen from the sky

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  • Hida Takayama seen from the sky

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  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

  • Hida Takayama seen from the sky

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お伊勢参りの道 鳥羽道-鳥羽市 2018-12-05T19:44:02+09:00 2018-12-08T11:44:16+09:00 http://network2010.org/article/2069

【動画】鳥羽市総集編日本語版

お伊勢参りの道
美濃街道 関ケ原町・大垣市
美濃街道 養老町
お伊勢参りの道 美濃街道 桑名市
参宮街道 四日市市・鈴鹿市
参宮街道 津市
参宮街道 松阪市
参宮街道 明和町
参宮街道 伊勢市
二見道 伊勢市
伊勢別街道 亀山市
伊勢別街道 津市
鳥羽道 鳥羽市
鳥羽道 志摩市

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三重県内を通る鳥羽道は、磯部町上之郷からかつての城下であった鳥羽を通り、堂坂峠を経て宇治(伊勢)へと続く街道です。磯部から鳥羽までは国道167号と、鳥羽から伊勢までは県道37号鳥羽松阪線とほぼ同じルートを通っています。

鳥羽道 内宮から鳥羽市の史跡

  • 伊勢神宮内宮

  • 五十鈴川

  • 道標

  • 月読宮・伊佐奈岐宮

  • 月読宮・伊佐奈岐宮

  • 葦立弖神社

  • 葦立弖神社

  • 伊勢神宮御神田

  • 伊勢神宮御神田

  • 道標

  • 河原地蔵

  • 庚申碑

  • 堅神神社

  • 道標

  • 地蔵

  • 源五郎地蔵

  • 峠御門(番所)跡

  • 峠御門(番所)跡

  • 本照寺

  • 常安寺(九鬼家菩提寺)

  • 曹洞宗志摩随一の名刹

  • 九鬼家の廟所

  • 賀多神社

  • 鳥羽道

  • 遊郭跡

  • 鳥羽みなとまち文学館

  • 鳥羽みなとまち文学館

  • 鳥羽城跡

  • 鳥羽城模型

  • 鳥羽城模型

  • 鳥羽城跡

  • 鳥羽城跡

  • 金胎寺

  • 松尾芭蕉碑

  • 鳥羽大庄屋 かどや

  • 鳥羽大庄屋 かどや

  • 西念寺

  • 赤崎神社

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【動画】鳥羽水族館

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  • 鳥羽水族館

  • 鳥羽水族館正面

  • イルカショー

  • ジュゴン

  • ジュゴン

  • ラッコ

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【動画】御木本真珠島

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  • ミキモト真珠島

  • 御木本幸吉像

  • 真珠博物館

  • 真珠博物館

  • 真珠博物館

  • 真珠博物館

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【動画】海の博物館

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  • 海の博物館

  • 海の博物館

  • 海の博物館

  • 海の博物館

  • 海の博物館

  • 海の博物館

  • 石神さん(神明神社)

  • 石神さん(神明神社)

  • 石神さん(神明神社)

  • 相差海女文化資料館

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お伊勢参りの道
美濃街道 関ケ原町・大垣市
美濃街道 養老町
お伊勢参りの道 美濃街道 桑名市
参宮街道 四日市市・鈴鹿市
参宮街道 津市
参宮街道 松阪市
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二見道 伊勢市
伊勢別街道 亀山市
伊勢別街道 津市
鳥羽道 鳥羽市
鳥羽道 志摩市
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History of Nagoya Castle 400 years 2018-11-30T17:45:53+09:00 2018-12-03T11:36:59+09:00 http://network2010.org/article/2068

【Video】History of Nagoya Castle 400 years

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①History of Nagoya Castle 400 years
②Changes for 130 years of Nagoya station
③Changes for 130 years of Sakae zone in Nagoya city

Nagoya Castle was built by Tokugawa Ieyasu about 400 years ago.The changes for 400 years of this castle are introduced.

YouTube Network2010(the full screen)

  • Primary Nagoya Castle 1518

  • Primary Nagoya Castle 1518

  • Ruins of Primary Nagoya Castle

  • Ruins of Primary Nagoya Castle

  • Primary Kiyosu Castle

  • Kiyosu Castle imitation keep

  • Kiyosu Castle imitation keep

  • Ruins of Komaki Castle

  • Ruins of Gifu Castle

  • Ruins of Primary Nagoya Castle

  • Oda Nobunaga

  • Toyotomi Hideyoshi

  • Toyotomi Hideyoshi

  • The battle of Sekigahara 1600

  • The battle of Sekigahara 1600

  • Tokugawa Ieyasu & Edo Map

  • Tokugawa Ieyasu & Edo Map

  • Tokugawa Ieyasu & Edo Map

  • The ruin of Kiyosu Castle

  • The ruin of Kiyosu Castle

  • The ruin of Kiyosu Castle

  • the transfer of the capital

  • Nagoya Castle fortification

  • Nagoya Castle fortification

  • Nagoya Castle fortification

  • Nagoya Castle fortification

  • Nagoya castle town Map

  • Nagoya castle town Map

  • Nagoya castle keep Introduction

  • Nagoya castle keep Introduction

  • Nagoya castle

  • Honmaru Palace

  • Honmaru Palace Jorakuden

  • Ninomaru Palace

  • Honmaru Palace & Nagoya castle

  • The collapse of the Edo shogunate

  • Nagoya castle keep 1873 around

  • Nagoya castle keep 1873 around

  • Nagoya garrison

  • Nagoya castle 1893

  • Nagoya castle 1893

  • Nagoya castle 1893

  • Nagoya castle 1893

  • The first national treasure

  • Burned down Nagoya Castle 1945

  • Nagoya castle 1950 around

  • Nagoya castle Map 1955

  • Reconstraction of the castle

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • Honmaru Palace Restoration

  • June 2018 completed

  • June 2018 completed

  • Genkan Ichinoma

  • Omoteshoin Jodannoma

  • Taimenjo Tsuginoma

  • Taimenjo Jodannoma

  • Sagino roka

  • Jorakuden Jodannoma

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