Network2010.org - 名古屋100km圏内の情報発信ネットワーク http://network2010.org/ 2017-03-23T12:36:24+09:00 シリーズ名古屋港から名駅へNo3 名古屋海洋博物館と名古屋港水族館 2017-03-17T16:23:14+09:00 2017-03-17T17:28:33+09:00 http://network2010.org/article/2002

【動画】『シリーズ名古屋港から名駅へ2017-2027』名古屋海洋博物館と名古屋港水族館

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名古屋海洋博物館は、「日本一の国際貿易港・名古屋港」をテーマに、港の役割や人々の暮らしとの関わりなどをわかりやすく紹介しています。実物やパノラマ模型、港の臨場感をたっぷり体験できるシミュレータなど、魅力いっぱいの展示となっています。

名古屋港水族館は、世界の海に暮らすさまざまな生き物たちの生態や進化を知ることができる水族館。多種多様な生物の飼育展示やイルカパフォーマンスを始めとしたイベント、日ごろの研究成果から生命の神秘やその躍動を全身で学び、体感していただけます
。 (ウエブサイト参照)

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  • 名古屋港ガーデンふ頭

    名古屋港ガーデンふ頭

  • ポートビルと南極観測船ふじ

    ポートビルと南極観測船ふじ

  • 名古屋海洋博物館入口

    名古屋海洋博物館入口

  • 名古屋海洋博物館展示

    名古屋海洋博物館展示

  • 名古屋海洋博物館展示

    名古屋海洋博物館展示

  • 名古屋海洋博物館展示

    名古屋海洋博物館展示

  • 操船シュミレーター

    操船シュミレーター

  • 操船シュミレーター

    操船シュミレーター

  • ガントリークレーンシュミレーター

    ガントリークレーンシュミレーター

  • ガントリークレーンシュミレーター

    ガントリークレーンシュミレーター

  • ガントリークレーンシュミレーター

    ガントリークレーンシュミレーター

  • 名古屋海洋博物館展示

    名古屋海洋博物館展示

  • 南極観測船ふじ

    南極観測船ふじ

  • 名古屋港水族館

    名古屋港水族館

  • サンゴ礁大水槽

    サンゴ礁大水槽

  • ライブコーラル(生体サンゴ)水槽

    ライブコーラル(生体サンゴ)水槽

  • ウミガメ人工砂浜

    ウミガメ人工砂浜

  • ウミガメの子供

    ウミガメの子供

  • アカウミガメ

    アカウミガメ

  • ペンギン水槽

    ペンギン水槽

  • ペンギン水槽

    ペンギン水槽

  • ナンキョクオキアミ

    ナンキョクオキアミ

  • 名古屋港水族館

    名古屋港水族館

  • バンドウイルカ

    バンドウイルカ

  • ベルーガ

    ベルーガ

  • ベルーガトレーニング

    ベルーガトレーニング

  • シャチ

    シャチ

  • シャチ

    シャチ

  • イルカパフォーマンス

    イルカパフォーマンス

  • イルカパフォーマンス

    イルカパフォーマンス

  • マイワシのトルネード

    マイワシのトルネード

  • マイワシのトルネード

    マイワシのトルネード

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シリーズ名古屋港から名駅へNo2 名古屋港 2017-03-16T13:13:37+09:00 2017-03-23T12:36:24+09:00 http://network2010.org/article/2001

【動画】『シリーズ名古屋港から名駅へ2017-2027』名古屋港

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名古屋港は、明治40年(1907)に開港し、4市1村(名古屋市・東海市・知多市・弥富市・飛島村)にわたる広大な陸域(4,216㎡)と水域(8,184㎡)を有しています。物流、生産、防災、交流、交通の機能が備わった総合港湾として発展し、世界約170の国・地域と結ばれています。また、近年金城ふ頭、ガーデンふ頭に 象徴されるようにイベント・ふれあい・交流の場としても注目を浴びています。(名古屋港管理組合パンフレット参照)

『シリーズ名古屋港から名駅へ2017-2027』は、2027年のリニア中央新幹線の開通に向けてさまざまなプロジェクトが進む、名古屋港から名古屋駅までの紹介する企画です。映像制作にあたってはドーロンによる空中からの映像も使用し変貌する名古屋の魅力を発信するとともに、次世代の遺産となることを目標にかかげます。

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  • 名古屋港域

    名古屋港域

  • ガーデンふ頭

    ガーデンふ頭

  • ガーデンふ頭

    ガーデンふ頭

  • ガーデンふ頭

    ガーデンふ頭

  • 名古屋港水族館

    名古屋港水族館

  • ガーデンふ頭西端

    ガーデンふ頭西端

  • 堀川河口

    堀川河口

  • 中川運河河口

    中川運河河口

  • 大手ふ頭

    大手ふ頭

  • 大手ふ頭と稲永ふ頭

    大手ふ頭と稲永ふ頭

  • 稲永ふ頭と空見ふ頭

    稲永ふ頭と空見ふ頭

  • フェリー乗り場

    フェリー乗り場

  • 北方より見る金城ふ頭

    北方より見る金城ふ頭

  • 金城ふ頭南端

    金城ふ頭南端

  • あおなみ線金城ふ頭駅周辺

    あおなみ線金城ふ頭駅周辺

  • あおなみ線金城ふ頭駅周辺

    あおなみ線金城ふ頭駅周辺

  • あおなみ線金城ふ頭駅周辺

    あおなみ線金城ふ頭駅周辺

  • あおなみ線金城ふ頭駅周辺

    あおなみ線金城ふ頭駅周辺

  • 名港中央大橋

    名港中央大橋

  • 新日本製鉄(東海元浜ふ頭)

    新日本製鉄(東海元浜ふ頭)

  • 東海元浜ふ頭

    東海元浜ふ頭

  • 知多半島方面

    知多半島方面

  • ポートアイランド

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  • 金城ふ頭と飛島ふ頭

    金城ふ頭と飛島ふ頭

  • 飛島ふ頭東側

    飛島ふ頭東側

  • 飛島ふ頭東側

    飛島ふ頭東側

  • 木場金岡ふ頭

    木場金岡ふ頭

  • 木場金岡ふ頭

    木場金岡ふ頭

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シリーズ名古屋港から名駅へ 2017-2027 2017-03-16T13:12:10+09:00 2017-03-17T16:28:40+09:00 http://network2010.org/article/2000 名古屋港から名駅へ

名古屋港から名駅へ

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『シリーズ名古屋港から名駅へ2017-2027』は、2027年のリニア中央新幹線の開通に向けてさまざまなプロジェクトが進む、名古屋港から名古屋駅までの紹介する企画です。映像制作にあたってはドーロン(協力:中部大学発ベンチャー 株式会社テラ・ラボ)による空中からの映像も使用し変貌する名古屋の魅力を発信するとともに、次世代の遺産となることを目標にかかげます。

取材は名古屋市住宅都市局および関係部局、名古屋港管理組合その他関連する民間企業等の協力で行われます。また、運営は特定非営利活動法人ビジュアルコンテンツ・プロダクトネットワークが行い 民間主導による協賛広告および寄付等によって賄う予定です。企業各位のご協力をお願いします。

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古地図と映像で名古屋400年を辿る No.05 尾張名所図会で江戸時代を見る 2017-01-24T11:33:52+09:00 2017-01-31T20:05:25+09:00 http://network2010.org/article/1998

【動画】江戸時代の名古屋城下

尾張名所図会は江戸時代後期の尾張名古屋の様子を描写した単色の版画絵です。江戸時代末期から明治時代初期にかけて刊行されました。Network2010は、より鮮明に江戸時代の風俗を紹介するためデジタル技術を使い単色絵にイメージ着色する作業を行いました。

索引
①1958→1968昭和30年代の名古屋
②1926→1958昭和時代の幕開け
③1889→1926名古屋市誕生
④1868→1888名古屋区時代
⑤江戸時代の名古屋城下

江戸時代後期の有松・鳴海・星崎・笠寺と東海道

Map01

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  • ①-1桶狭間古戦場

    ①-1桶狭間古戦場

  • ①-2織田信長出陣の図

    ①-2織田信長出陣の図

  • ①-3桶狭間今川陣中

    ①-3桶狭間今川陣中

  • ①-4桶狭間合戦雨中の進撃

    ①-4桶狭間合戦雨中の進撃

  • ①-5今川義元討死

    ①-5今川義元討死

  • ②-1有松絞り店

    ②-1有松絞り店

  • ②-2現在の有松

    ②-2現在の有松

  • ③-1扇川と瑞泉寺

    ③-1扇川と瑞泉寺

  • ③-2成海神社

    ③-2成海神社

  • ③-3鳴海潟古覧

    ③-3鳴海潟古覧

  • ④星崎塩田

    ④星崎塩田

  • ⑤-1笠寺観音

    ⑤-1笠寺観音

  • ⑤-2笠寺縁起

    ⑤-2笠寺縁起

  • ⑥戸部村眺望

    ⑥戸部村眺望

  • ⑦山崎川と師長公屋敷跡

    ⑦山崎川と師長公屋敷跡

  • ⑧呼続浜古覧

    ⑧呼続浜古覧

桶狭間の戦いは、1560年、織田信長と今川義元は桶狭間(愛知県)で戦い、織田信長が少数の軍勢で今川義元を倒し、織田信長の名を全国に知らした戦いです。尾張名所図会で合戦の様子をご覧ください。
東海道知立宿と鳴海宿の間に有松は位置しています。竹田庄九郎らによって誕生した有松絞りは、尾張藩の特産品として保護され東海道を往来する旅人により街道一の名産品とうたわれました。
瑞泉寺は、応永三年(1396)根古屋の城主安原宗範の創建した曹洞宗の名刹。瑞泉寺の背後には、桶狭間合戦の時、織田軍が陣を構えた善照寺砦が丘の上にあり、今川方の鳴海城をにらんでいます。成海神社は、686年に創建され扇川に面した天神山に置かれていましたが、1394年安原宗範がその場所に根古屋城を築いたため、現在地に移転されました。
江戸時代星崎・前浜では良質な塩が生産されていました。生産された塩は、塩付街道から足助を経由して信州方面に運ばれ、塩付街道の通る御器所村の沢庵漬はこの塩を利用して盛んになったと言われています。
笠寺観音は、天平時代(8世紀)に善光上人によって建立されました。甚目寺観音、荒子観音、竜泉寺観音とならび、尾張四観音の一つに数えられて名古屋城を守護する役割もになっていました。
松尾芭蕉が記した「寝覚めの里よびつぎ」は、宮宿から渡し舟の出航を知らせる声が人から人へ呼びついがれたことから呼続となったと言われています。

江戸時代後期のの熱田宿

Map02

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  • ①姥堂と裁断橋 

    ①姥堂と裁断橋

  • ②精進川と正覚寺

    ②精進川と正覚寺

  • ③-1源太夫社(上知麻我神社)

    ③-1源太夫社(上知麻我神社)

  • ③-2源太夫社初市

    ③-2源太夫社初市

  • ④-1七里の渡し船着場

    ④-1七里の渡し船着場

  • ④-2七里の渡し跡

    ④-2七里の渡し跡

  • ⑤築地の遊興(神戸)

    ⑤築地の遊興(神戸)

  • ⑥大瀬古魚市場

    ⑥大瀬古魚市場

  • ⑦南宮祭

    ⑦南宮祭

  • ⑧-1熱田神宮

    ⑧-1熱田神宮

  • ⑧-2日本武尊と宮簀媛の別れ

    ⑧-2日本武尊と宮簀媛の別れ

  • ⑧-3踏歌神事

    ⑧-3踏歌神事

  • ⑧-4御的射神事 

    ⑧-4御的射神事

  • ⑧-5御的射神事

    ⑧-5御的射神事

  • ⑧-6大官祈年祭夕供御

    ⑧-6大官祈年祭夕供御

  • ⑧-7大宮舞楽

    ⑧-7大宮舞楽

姥堂は、精進川に架かる裁断橋のほとりある祠です。その昔、川でおぼれた僧侶の衣服を盗んだ老婆は そのたたりで死んでしまい、老婆のさまよう霊を供養して縁者が奪衣婆の像を姥堂に安置しといわれています。
源太夫社(上知我痲神社)は、東海道と美濃路の分岐する追分に建てられていました。知恵の神様として「知恵の文殊(もんじゅ)さま」と呼ばれて現在も崇拝されています。国道の建設で移転され、現在は熱田神宮の境内に鎮座しています。
七里の渡しは宮宿から桑名宿まで船で渡る東海道で唯一の海上路でした。その距離が七里であったことから七里の渡しとよばれ、満潮時には沿岸に浮かぶ島をぬうように、干潮のときは沖まで小舟で行き帆かけ舟に乗って旅をしました。熱田の浜の神戸には、豪商や高級武士などの船待ち客を相手にする旅館が立ち並んでいました。鳴海、星崎の遠景を望み、夏には夕涼み、秋には月見など楽みました。船着き場には商人たちの荷が山積みになっていたと言われています。
現在の熱田区木之免町、大瀬子公園のあたりの風景。近海の魚類はもとより、遠近諸国からは船で、三河の吉田からは徒歩で運ばれた魚を尾張藩指定の六軒の問屋が売りさばいていました。
南宮祭(熱田天王祭)は、平安中期頃、熱田周辺で疫病が流行しその厄除けとして始まったと伝えられています。室町中期になると京都祇園祭の影響もあり傘鉾型の山車が参加するようになり、江戸中期には高さ約20mにもなる大山もありました。
熱田神宮は、第12代景行天皇の御代に日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃の宮簀媛命(みやすひめのみこと)が三種の神器の草薙剣(くさなぎの つるぎ)をこの地に祀ったのが起源とされる伊勢神宮に次ぐ大社です。踏歌神事は、新春一月十一日、舞と歌曲により大地の精霊を鎮め、除厄と招福を祈ります。神矢により豊年と除災を祈る御的射神事(歩射神事)は、大的に向かって六人の射手が矢を中央の千木に向けて放ちます。大官祈年祭夕供御(祈年祭)は、春三月、一年間の五穀豊穣を祈る祭りです。大宮舞楽(舞楽神事)は、平安時代より伝わる高舞台で舞う雅びやかな平安絵巻。

江戸時代後期の熱田神宮と美濃路周辺

Map03

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  • ①誓願寺 源頼朝生誕地

    ①誓願寺 源頼朝生誕地

  •  ②本遠寺境内からの眺望

    ②本遠寺境内からの眺望

  • ③法持寺と白鳥陵

    ③法持寺と白鳥陵

  • ④藤団子・旗屋町松飾

    ④藤団子・旗屋町松飾

平安時代末期、熱田大宮司藤原氏の別邸があったあたりで、藤原季範の 娘由良御前は、源義朝の正室となり、実家に帰り頼朝を生んだといわれている。享禄二年(1529)別邸跡に誓願寺が建立されました。
白鳥古墳は、5世紀末頃から6世紀前半頃に築造された前方後円墳で全長が約74m、最大幅25m。法持寺のすぐ隣にあるこの古墳は、白鳥となってこの地に戻った、日本武尊の墓と伝えられています。
藤団子は、古来より熱田の名物として伝わる干菓子。米粉や砂糖を使って 出来た五色の環を、麻ひもで結っています。

江戸時代後期の断夫山~熱田神宮一之鳥居

Map04

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  • ①断夫山・住吉神社

    ①断夫山・住吉神社

  • ②-1熱田神宮一之鳥居

    ②-1熱田神宮一之鳥居

  • ②-2一之鳥居跡

    ②-2一之鳥居跡

  • ③沢観音妙安寺

    ③沢観音妙安寺

断夫山古墳は,東海地方最大の前方後円墳。毎年3月3日に立ち入りが許され、人々が熱田の景観を楽みました。
一之鳥居は、熱田神宮周辺にあった八つの鳥居の一つ。尾頭にあった一の鳥居はひときは大きく、三丈五尺(11.6m)もあり道行く人を驚かせました。
沢観音妙安寺は、熱田神宮の周辺にあった四観音のひとつで、堀川沿いにあり遠くは鈴鹿山系も望まれる名古屋三景のひとつでした。

江戸時代後期の橘町・東別院周辺

Map05

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  • ①小栗街道と古渡稲荷 

    ①小栗街道と古渡稲荷

  • ②東輪寺

    ②東輪寺

  • ③川口屋

    ③川口屋

  • ④芝居地と栄国寺

    ④芝居地と栄国寺

  • ⑤-1東別院掛所

    ⑤-1東別院掛所

  • ⑤-2東別院東側

    ⑤-2東別院東側

  • ⑥富士見原

    ⑥富士見原

  • ⑦酔雪楼遊宴の図

    ⑦酔雪楼遊宴の図

  • ⑧堀川 日置橋

    ⑧堀川 日置橋

  • ⑨西別院掛所 

    ⑨西別院掛所

小栗街道は鎌倉街道(鎌倉と京都を結ぶ古道)の一部で、古渡稲荷の前で美濃路と交差していました。東輪寺は、禅宗の一派黄檗宗の寺院。川口屋は橘町の大木戸近くの本町通の東側に面して飴とおこしを 販売し、神宮詣でのいき返りの客で繁盛しました。
徳川光友(尾張藩2代藩主)は、芝居の興行権を認めて町の活性化につとめました。光友が名付け親となった橘町にも芝居小屋「橘座」が出来ました。東別院は1690年、尾張藩主徳川光友 より織田信長の父信秀の居城「古渡城」 の跡地1万坪の寄進を受けて建てられた真宗大谷派の寺院です。明治初期には博覧会が開かれたり、名古屋場内から愛知県庁が移転されました。
東別院の東北に小高い丘があり、そこから東を見ると猿投山の左越しに富士山を望むことができたので富士見原と呼ばれました。酔雪楼は、富士見原の一部で遠くは富士山も望める景勝地として知られていました。俳人や書家などの文人たちが、景観を楽しみながら酒を酌み交わす場所でもありました。
日置橋から北、数町にわたって堀川の両岸には数百本の桜が植えられ花見時になると多くの見物客でにぎわい、名古屋城下を代表する景勝地でした。慶長14年(1609)の「清須越し」で名古屋に移転されました。
文化14年(1817)葛飾北斎が境内で、120畳敷きの達磨の大画を描き注目を集めたことで有名です。明治6年(1873)、医学講習所が置かれました。

江戸時代後期の大須門前町・白川公園

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  • ①-1七ッ寺

    ①-1七ッ寺

  •  ①-2七ッ寺茶屋

    ①-2七ッ寺茶屋

  • ②清寿院と門前町

    ②清寿院と門前町

  • ③大須観音

    ③大須観音

  • ④大須奉納馬の頭

    ④大須奉納馬の頭

  • ⑤大光院

    ⑤大光院

  • ⑥大光院縁日・阿弥陀寺

    ⑥大光院縁日・阿弥陀寺

  • ⑦若宮祭山車

    ⑦若宮祭山車

  • ⑧総見寺

    ⑧総見寺

  • ⑨-1万松寺

    ⑨-1万松寺

  • ⑨-2万松寺白雪稲荷

    ⑨-2万松寺白雪稲荷

  • ⑩性高院

    ⑩性高院

  • ⑪政秀寺・白林寺

    ⑪政秀寺・白林寺

  • ⑫若宮八幡宮

    ⑫若宮八幡宮

  • ⑬南寺町寺院群

    ⑬南寺町寺院群

  • ⑭天王崎洲崎神社 

    ⑭天王崎洲崎神社

七ッ寺境内には、二代藩主徳川光友により寄進された三重の塔が建っていました。また、『一切経』参千余巻を所蔵しています。参拝客は、七ッ寺の境内にある茶店で庭園を楽しみながら時を過ごしました。
清寿院は、那古の山古墳にあった修験道の寺院、明治になり廃寺されました。
大須観音は、真言宗の寺院。慶長17年(1612)に羽島市の大須郷から移転されました。また、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」があります。
大光院明王殿は烏瑟沙摩明王を本尊とし、お線香の煙を手に受けて身体にさすると心身の病、苦痛を快癒すると伝えられています。阿弥陀寺木像涅槃会は、釈迦の亡くなった2月15日(陰暦)におこなわれます。頭を北に右わきを下に横たわった釈迦を弟子たちが見守っています。
織田信長の次男信雄は、本能寺の変で亡くなった父の霊を弔うため伊勢国大島村にあった安国寺を清洲に移し総見寺と改名して再興しました。「清州越し」により慶長15年(1610)名古屋に移転され、境内には信長公、信雄公の廟が置かれています。万松寺は、織田信長の父信秀が建立した織田家の菩提寺。信秀の葬儀の日、信長が抹香を仏前に投げつけ「大うつけ」と呼ばれた逸話は有名です。慶長15年(1610)名古屋城下建設のため現在地に移転されました。
性高院は、徳川家康の四男、松平忠吉の菩提寺。忠吉は関ケ原の戦いで井伊直政とともに奮戦、その功もあり清洲城主に任じられました。しかし若くして夭逝、清洲越しによって寺号を「性高院」と改め大須に移転されました。忠吉には跡継ぎがなく家康の九男義直が初代の名古屋城主となりました。
政秀寺は、織田信長が家臣の平手政秀の菩提を弔うため天文22年(1553)小牧に建立し、江戸時代初頭に名古屋に移転されました。白林寺は、尾張徳川家附家老成瀬氏ゆかりの寺院です。
若宮八幡宮は、八世紀初頭に名古屋城三の丸の地に創建されたと伝えられています。慶長15年(1610)に名古屋城築城のため現在地に移転。例祭である若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、天王社の天王祭とならんで名古屋三大祭と言われました。
現在の白川公園には、大小多くの寺院が集積していました。太平洋戦争末期に市内各所に移転されました。
その昔、洲崎神社の西側は入海でした。洲崎神社は牛頭天王社とも呼ばれ、このあたりは天王崎と呼ばれていました。対岸には法蔵寺の八角堂が見えます。

江戸時代後期の碁盤割(名古屋城下中心部)

Map07

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  • ①広小路本町夏の夕景

    ①広小路本町夏の夕景

  • ②医学館薬品会

    ②医学館薬品会

  • ③朝日神明宮・広井八幡傘鉾祭

    ③朝日神明宮・広井八幡傘鉾祭

  • ④小見山宗法店

    ④小見山宗法店

  • ⑤聖徳寺と福生院

    ⑤聖徳寺と福生院

  • ⑥本町4丁目植木市

    ⑥本町4丁目植木市

  • ⑦伝馬会所

    ⑦伝馬会所

  • ⑧桜天神

    ⑧桜天神

  • ⑨本町3丁目植木市

    ⑨本町3丁目植木市

  • ⑩浄念寺・光円寺

    ⑩浄念寺・光円寺

  • ⑪魚の棚通東照宮祭夜

    ⑪魚の棚通東照宮祭夜

  • ⑫茶屋町 いとう呉服店

    ⑫茶屋町 いとう呉服店

  • ⑬広井三倉(尾張藩米蔵)

    ⑬広井三倉(尾張藩米蔵)

  • ⑭四間道・円頓寺と慶栄寺 

    ⑭四間道・円頓寺と慶栄寺

徳川家康は名古屋城下建設時、名古屋城の南の区域を碁盤の目のように区画し「碁盤割」と呼ばれました。広小路ができる前は堀切筋と呼ばれ道幅三間(3.64m)の狭い道でしたが、万治3年(1660)、万治の大火と呼ばれる大火事が発生し城下町の大半を焼き尽くしました。それを契機に延焼を防ぐため久屋町から長者町までの区間が4倍以上拡幅され広小路が建設されました。夏の夜は涼を求めて多くの人が芝居、物まね、居合抜きの芸を夜が更けるまで楽しみました。
浅井家は尾張藩の侍医を勤めるかたわら、医学館という医学塾をつくり医師の試験も行っていました。 毎年六月十日に万国の物産や動物を公開し、多くの見物人が集まりました。
朝日神社は城下町碁盤割りの守護神として、清洲城下、朝日郷から移転されました。広井八幡傘鉾祭は神輿を材木町の白山社まで渡御し山車が焼失後は、傘鉾がでるようになりました。
紀州和歌山の浅野幸長の家臣であった小見山家は、幸長の娘春姫が尾張藩祖徳川義直に嫁いだのをきっかけに尾張藩に随行しました。 後に、尾張藩医となった小見山宗法は、尾張藩の筆頭の薬屋として繁盛しました。
本町三・四丁目は名古屋城下でもっとも賑やかな地域でした。大丸の店の前では毎年二月二十五日桜天満宮祭礼前後の三日間に植木市が開かれ、近隣の村からも植木を売る村人が店を並べまるで森の中を歩くような錯覚におちいりました。
公用人馬の取次所である伝馬会所周辺は、美濃路の名古屋宿にあたります。本陣や脇本陣はありませんでしたが「札の辻」とよばれる高札場が設置され、丸栄百貨店の前身十一屋が店舗を構えていたました。美濃路はここで西に折れ本町通と分岐します。
桜天満宮は、織田信秀(織田信長の父)が京都の北野天満宮に参詣したとき、夢枕に現れた菅原道真のお告げに従い創建したといわれています。神木に桜の大樹が多かったので桜天満宮と呼ばれました。
堀川東岸の木挽町、久屋町筋には魚を売る店が多く魚の棚と呼ばれていました。東照宮の祭礼の十六日には見物客相手に弁当などを販売。家ごとに提灯を掲げ、芸妓が赤たすきで手伝っています。
伊藤呉服店の起源は、慶長16年(1611)、織田信長の家臣伊藤源左衛門祐道が名古屋の本町で呉服小間物商を始めたことに由来します。その後、万治2年(1659)祐道の遺児・祐基が茶屋町に呉服小間物問屋を開業。「現金売り正札付き掛け値なし」の商法は庶民の支持を受けました。明和5年(1768)上野の松坂屋を買収、いとう松坂屋と改めました。
福島正則は小田原の北条攻めに出陣し兵糧不足を経験しました。その教訓から清州城内に三つの大きな食糧庫を建設ました。清州越しで藩都が名古屋に移ると、納屋橋の南の堀川東岸に米蔵を建設し尾張藩の官倉としました。倉の数は以前より増しましたが、昔どおり三倉と呼ばれました。
四間道は、元禄13年(1700年)の大火の後、延焼を防ぐこともあり四間(7m)に拡張されてこの名前がつきました。
江戸時代の初期、円頓寺周辺は徳川義直の側室・貞松院の下屋敷など武家屋敷が並んでいました。享保9年(1724)の大火の後、円頓寺や慶栄寺が移転し門前町として大須に並ぶ繁華街となりました。

江戸時代後期の名古屋城周辺

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  • ①-1名古屋城右

    ①-1名古屋城右

  • ①-2名古屋城 

    ①-2名古屋城

  • ①-3名古屋城左

    ①-3名古屋城左

  • ②-1三之丸天王社

    ②-1三之丸天王社

  • ②-2三之丸天王祭

    ②-2三之丸天王祭

  • ③-1名古屋東照宮

    ③-1名古屋東照宮

  • 東照宮祭舞楽奉納4月16日

    ③-2東照宮祭舞楽奉納4月16日

  • ③-3東照宮祭神輿渡御 4月17日

    ③-3東照宮祭神輿渡御 4月17日

  • ③-4神輿渡御

    ③-4神輿渡御

  • ③-5神輿渡御

    ③-5神輿渡御

  •  ③-6橋弁慶車

    ③-6橋弁慶車

  • ③-7林和靖車

    ③-7林和靖車

  • ③-8雷電車

    ③-8雷電車

  • ③-9二福神車

    ③-9二福神車

  • ③-10湯取神子車

    ③-10湯取神子車

  • ③-11唐子車・小鍛冶車

    ③-11唐子車・小鍛冶車

  • ③-12石橋車

    ③-12石橋車

  • ③-13猩々車 

    ③-13猩々車

名古屋城は蓬左城ともよばれていました。「蓬左」とは蓬莱の宮、熱田神宮の左側にある町を示しています。名古屋城は江戸初期の代表的な平城で、本丸、 二の丸、西の丸、御深井丸、三の丸からなっており、五層の天守と小天守が連結しています。天守の屋根の両端には金鯱が飾られ名古屋城下を見下ろしていました。
大小天守閣の石垣工事を行った加藤清正は巨石を修羅(重い石材などを運搬するために用いられた木製の大型そり)に乗せて運ぶとき、石の上に乗り気勢を上げたと伝えられています。
亀尾天王社(三之丸天王社)は名古屋城内三之丸にあり、創建時より若宮八幡社に隣接していました。名古屋城築城で移転することになりましたが、移転不可のご神託により若宮神社のみが現在地に移転されました。明治9年(1876)、陸軍の施設が建設されることになり、旧藩校明倫堂跡地に移転、那古野神社と改称されました。例祭である天王祭は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされ、毎年6月15・16日に若宮祭と同時に行われ二つの祭礼を総称して祇園祭と呼ばれていました。
尾張藩初代藩主徳川義直は元和5年(1619)、父徳川家康遺徳をしのび名古屋城内三の丸、亀尾天王社の隣地に東照宮を建立しました。明治維新になり亀尾天王社とともに旧藩校明倫堂跡地に移転されました。東照宮祭礼は四月十五・十六日に行われ、十六日には山車や三基の神輿が加わった総勢4000人を超える行列が名古屋城を出て本町通を下り末広町の御旅所へ向いました。名古屋三大祭りのなかでも最大の規模を誇っており、 戦前まで「名古屋祭」と言えばこの東照宮祭を指していました。

江戸時代後期の東武家町と建中寺

Map09

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  • ①-1七尾天神社

    ①-1七尾天神社

  • ①-2七尾天神出現の図

    ①-2七尾天神出現の図

  • ②長久寺

    ②長久寺

  • ③山吹谷・養念寺烏が池

    ③山吹谷・養念寺烏が池

  • ④養念寺・松山天道宮

    ④養念寺・松山天道宮

  • ⑤相応寺

    ⑤相応寺

  • ⑥-1建中寺惣門

    ⑥-1建中寺惣門

  • ⑥-2建中寺本堂

    ⑥-2建中寺本堂

七尾天神社は、文亀年間(1501~4)に、天神池に七つの尾を持った霊亀が菅原道真の木像を背負って現れたことから始まります。霊亀の背に七度水をかけると学業成就及び諸願成就すると言い伝えられています。(七尾天神社HPより)
長久寺は、清洲越し(1610)により名古屋に移転された真言宗智山派の寺院。
江戸時代、山吹谷公園一帯は山吹の花の咲く名所で山吹谷と呼ばれる景勝地でした。
養念寺の裏庭にある「烏が池」は、泥土が黒い為、水が黒く見えることから「烏が池」の名前がついたと言われます。烏が池庭園は、江戸時代名園として知られ多くの文人墨客が訪れ、池を愛でた詩歌を詠んだと言われています。(養念寺HP参照)
相応寺は尾張藩初代藩主義直の生母相応院(お亀の方)の菩提寺。建中寺は第二代目尾張藩主徳川 光友が慶安4年(1651)、父の藩祖義直の菩提を弔うため に建立した尾張徳川家の菩提寺です。徳川家霊廟は県指定有形文化財、総門、 三門、鐘楼、御成門・本堂・経堂・開山堂 ・源正公廟は市指定有形文化財、徳興殿は国登録有形文化財となっています。

江戸時代後期の東寺町

Map10

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  • ① 東寺町北 

    ① 東寺町北

  • ②東寺町(駿河街道)

    ②東寺町(駿河街道)

  • ③東寺町南

    ③東寺町南

  • ④現在の東寺町

    ④現在の東寺町

徳川家康は名古屋城下を防備するため 西、南、東に寺町を建設しました。その 一つ東寺町は駿河町を 起点とする駿河街道(現在の飯田街道)に交差する禅寺町筋と法華寺町筋に沿って寺院群が構成されていました。北は現在の桜通、南は瓦町あたりまでにまたがり大きな門前町を形成していました。
駿河街道は八事を経由し途中分岐して中山道や家康のルーツ岡崎に通じる街 道として重要視されました。尾張名所図会には平行して伸びる禅寺町筋と法華寺町筋沿って並ぶ中小の寺院群を西から俯瞰して描いている様子が描かれています。
昭和初期までは江戸時代のたたずまいを残していましたが、現在ではビルの谷間に寺院が埋まって点在しています。

江戸時代後期の名古屋城下

Map11

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  • ①月見坂

    ①月見坂

  • ②東山春興

    ②東山春興

  • ③御器所沢庵漬

    ③御器所沢庵漬

  • ④中根村

    ④中根村

  • ⑤音聞山

    ⑤音聞山

  • ⑥西寺町と新道

    ⑥西寺町と新道

  • ⑦枇杷島橋

    ⑦枇杷島橋

  • ⑧下小田井青果物問屋

    ⑧下小田井青果物問屋

月見坂は、現在の千種区覚王山付近。
名古屋城下の東にある東山では、春のひとときを三味線音色を聞きながら酒食を楽しみました。
江戸時代の末期、御器所村は大根の生産が盛んでした。このため御器所村は沢庵(たくあん)漬の産地として知られていました。
名古屋城の西、美濃路から南に延びる新道沿いには小規模な寺院が並び、西寺町を形成していました。
庄内川にかかる枇杷島橋は元和八年(1622)に完成しました。東西に二つの橋を持ち大橋は七十間(約129m)、小橋は二十七間(約50m)ある日本でも最大級の橋でした。川のなかには中島があり二つの橋をつないでいました。
下小田井の青果市は、江戸時代、山田家、野口家により創設された日本三大市場の一つでした。山田九左衛門家の住居は、現在問屋記念館として西枇杷島(清須市)に移転復元され、江戸時代の青果問屋の様子を現代に伝えています。

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古地図と映像で名古屋400年を辿る No.04 明治時代初期の名古屋 2017-01-24T11:33:01+09:00 2017-01-31T19:55:24+09:00 http://network2010.org/article/1997

【動画】明治維新、愛知県名古屋区時代

明治2年(1869)に尾張藩が名古屋藩と改称され、その後、同4年の廃藩置県により名古屋県、翌年には 愛知県と改まりました。 明治11年12月、郡区町村編制法の実施により名古屋区という行政区が生まれ、名古屋区役所が開設され初代名古屋区長に吉田禄在が就任しました。明治21年市町村制の公布により翌年10月1日、名古屋に市制が施行され名古屋市が誕生するまで区制時代が続きました。

索引
①1958→1968昭和30年代の名古屋
②1926→1958昭和時代の幕開け
③1889→1926名古屋市誕生
④1868→1888名古屋区時代
⑤江戸時代の名古屋城下

明治20年頃の熱田周辺

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  • ①名古屋港開港前の熱田港

    ①名古屋港開港前の熱田港

  • ②熱田神宮

    ②熱田神宮

名古屋港ができるまで、名古屋のウオータフロントは熱田港でした。熱田港の沖合いは遠浅で大規模な港を建設する浚渫技術がなかったため、四日市まで運ばれた貨物を小型船に積み替えて熱田港まで回漕せざるをえませんでした。
明治時代の半ばを過ぎると浚渫技術も進み名古屋港の建設が始まります。

明治20年頃の大須・白川公園周辺

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  • ①-1大須観音

    ①-1大須観音

  • ①-2大須観音

    ①-2大須観音

  • ②-1愛知県立医学専門学校

    ②-1愛知県立医学専門学校

  • ②-2医学専門学校の跡

    ②-2医学専門学校の跡

清須越により岐阜県の大須郷から転した大須観音は、明治時代に入っても「観音さん」の愛称で親しまれ、また大須の商店街は歓楽街として繁栄しました。明治25年(1893)3月宝生座からの出火により大須観音は、ほぼ全焼。本堂は再建されましたが五重塔は再建されませんでした。
明治4年(1871)に旧尾張藩の評定所・奉行所跡地に開設された「仮病院・仮医学校」が起源。その後、一時西本願寺掛所にありましたが明治10年(1877)、堀川の東岸天王崎町に移転しました。大正3年(1914)現在の名古屋大学医学部のある鶴舞に移転するまで医学教育を行いました。

明治20年頃の名古屋駅と中心部

Map03

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  • ①-1名古屋駅笹島で開業

    ①-1名古屋駅笹島で開業

  • ①-2名古屋駅構内

    ①-2名古屋駅構内

  • ②木橋時代の納屋橋

    ②木橋時代の納屋橋

  • ③名古屋郵便局

    ③名古屋郵便局

  • ④名古屋電信局

    ④名古屋電信局

  • ⑤名古屋区庁舎(初代市庁舎)

    ⑤名古屋区庁舎(初代市庁舎)

  • ⑥愛知県庁(南久屋町)

    ⑥愛知県庁(南久屋町)

  • ⑦名古屋銀行

    ⑦名古屋銀行

  • ⑧-1茶屋町いとう呉服店

    ⑧-1茶屋町いとう呉服店

  • ⑧-2いとう呉服店内部

    ⑧-2いとう呉服店内部

明治16年(1883)政府は東西両京を結ぶ幹線鉄道を中山道に建設することに決定しました。軍事的な理由により海岸線から離れた中山道に敷設する計画でした。中山道を走り大垣に抜けるこの案は名古屋にとって 今後の発展に大きな支障をきたすものでした。当時の名古屋区長吉田禄在は、県令国貞廉平とともにこの案に異議をとなえました。木曽から美濃路を越す難所である馬篭峠での工事の困難や、東海道線の経済的な優位性を訴えて公債募集も始まっていたこの案をくつがえし、名古屋を通過する東海道線の開通にこぎつけました。反対もありましたが明治19年(1886)5月1日 名古屋駅は当時沼地と田んぼであった笹島に建設され、開業当初は置かれた地から「笹島停車場」 とも呼ばれていました。また都心と駅を結ぶため、堀川まで拡充されていた広小路通を笹島まで延長する工事も突貫工事で行われました。開業当時の名古屋駅は木造平屋建て、ホームは壁面が板張りで屋根はありませんでした。東海道全通の時点でも、新橋~神戸間の直通列車は日に往復4本。客車が3両、前後に荷物車が一両ずつの5両編成で運行されていました。開業12年後の明治31年(1898)京都についで全国2番目の市内電車(ちんちん電車)が名古屋電気鉄道により笹島~県庁前間の運転をはじめました。
堀川にかかる納屋橋は、名古屋停車場開業に合わせ拡幅されました。大正2年(1913)、近代的な鉄石混用の橋に建て替えられました。
明治4年(1871)、広小路本町交差点の東南角に名古屋郵便役所が開業、明治8年(1875)に名古屋郵便局と改称されました。名古屋電信局は郵便局と向かいあうかたちで、明治五年(1872)に建設されました。当時の名古屋では珍しい西洋館で、郵便局とともに文明開化の象徴とされました。
名古屋城内の旧竹腰邸から東別院に移った愛知県庁は明治10(1877)、広小路通の終点の南久屋町に西洋風な新庁舎に移転しました。その後、中央線の開通により千種停車場が開業、広小路の 延長が決まり再度、明治33年(1900)南武平町に移転されました。
愛知銀行、伊藤銀行とともに東海銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身である名古屋銀行は、明治15年(1882)名古屋の商人が集まって伝馬町に設立されました。
いとう呉服店は、慶長16年(1611)本町で創業。万治2年(1659)に茶屋町で呉服小間物問屋を開業。明和5年(1768)念願の江戸に進出、上野の松坂屋を買収して、いとう松坂屋と名を改めました。明治43年(1910)栄町南西角に百貨店として移転するまで茶屋町で営業を続けました。

明治20年頃の名古屋城周辺

Map04

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  • ①金シャチのない名古屋城

    ①金シャチのない名古屋城

  • ②名古屋鎮台

    ②名古屋鎮台

明治4年(1871)名古屋城は取り壊しの危機を迎え金鯱が天守閣から降ろされました。金鯱は東京に運ばれ明治6年(1873)には、1尾がウイーンの万国博覧会に出品され好評を得たことは知られています。その後関係者の尽力もあって名古屋城の取り壊しは中止されました。
明治6年(1873)徴兵令公布にともない、従来の東京・大阪・仙台・熊本の四鎮台に加えて名古屋・広島にも鎮台が設置されました。鎮台とは常設されるものとしては最大の部隊単位。名古屋鎮台は名古屋城内三の丸におかれ、明治21年(1888)に第三師団に改組されました。

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古地図と映像で名古屋400年を辿る No.03 名古屋市制スタート、そして三大都市に! 2017-01-24T11:31:00+09:00 2017-02-01T11:33:32+09:00 http://network2010.org/article/1996

【動画】名古屋市誕生そして三大都市へ

明治21年(1888)市町村制の公布により翌年10月1日、名古屋に市制が施行され名古屋市が誕生しました。市庁舎は栄町交差点の南西角にあった名古屋区役所がそのまま使用されました。明治41年(1908)、 区政が導入され中区、東区、西区、南区の4区時代がスタートしました。明治42年(1909)には千種町、御器所村を編入、人口も40万を超える中核都市に発展してゆきました。
大正10年(1921)には、千種町、東山村、中村町、愛知町、常盤村、御器所村、呼続町、笠寺村、八幡村、荒子村、小碓町、六郷村、 清水町、杉村、金城村、枇杷島町の16町村が名古屋市に編入され、名古屋市の市域面積は東京市の2倍、人口は60万を超え東京・大阪につぐ 全国第3位の大都市になりました。

索引
①1958→1968昭和30年代の名古屋
②1926→1958昭和時代の幕開け
③1889→1926名古屋市誕生
④1868→1888名古屋区時代
⑤江戸時代の名古屋城下

開港当時の名古屋港

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  • ①ロセッタ丸入港(明治39年)

    ①ロセッタ丸入港(明治39年)

  • ②名古屋港開港(明治40年)

    ②名古屋港開港(明治40年)

  • ③名古屋港開港(明治40年)

    ③名古屋港開港(明治40年)

  •  ④飛行機初飛来(明治末)

    ④飛行機初飛来(明治末)

名古屋港ができるまで、名古屋のウオータフロントは熱田でした。熱田港の沖合いは遠浅で干拓事業には適していましたが、熱田港への大型船の入港をはばむ大きな要因となっていました。そのため当時は四日市まで運ばれた貨物を小型船に積み替えて熱田港まで回漕せざるをえませんでした。
明治31年(1898)には浚渫工事が始まり、翌年には浚渫船三隻を購入する契約が結ばれ、初めて浚渫機による港湾建設工事が行われました。名古屋港開港前年の明治39年(1906)には新聞社主催で全国を巡洋する博覧会用の船舶ロセッタ丸が入港し、海岸沿いには、多くの見物客が押し寄せました。
明治40年(1907)名古屋港が開港しました。明治43年(1910)には名古屋港第一期工事が完了し3,000トン級の船舶が最大10隻停泊できるようになり、外洋から物資が直接名古屋に入荷されることが可能になりました。明治43年(1910)名古屋港第一期工事が完了すると、引き続き600トン級の船舶の入港を可能とするため第二期工事が開始されました。

明治末頃の熱田周辺

Map02

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  • ①明治時代中頃の熱田港

    ①明治時代中頃の熱田港

  • ② 名古屋港の浚渫工事

    ② 名古屋港の浚渫工事

  • ③上知麻我神社

    ③上知麻我神社

  • ④熱田魚市場

    ④熱田魚市場

  • ⑤白鳥貯木場

    ⑤白鳥貯木場

  • ⑥愛知セメント

    ⑥愛知セメント

  • ⑦日本車両製造株式会社

    ⑦日本車両製造株式会社

  • ⑧新堀川の竣工(明治43年)

    ⑧新堀川の竣工(明治43年)

上知我痲神社は、東海道と美濃路の分岐する追分に建てられていました。知恵の神様として「知恵の文殊(もんじゅ)さま」と呼ばれて崇拝されていましたが、国道建設のため、戦後移転され現在は熱田神宮の境内に鎮座しています。
江戸時代から続く木之挽町、大瀬子にかけての浜の魚市場は、明治・大正時代に入っても隆盛をきわめていました。
熱田神宮の東、東海道線の東側には、日本車両製造株式会社(明治29年)、熱田兵器製作所(明治37)が建設され鉄道車両や兵器の製造を行っていました。
洪水による被害や、産業の物流を担うこともあって、精進川の河川改修が計画され明治43年(1910)新堀川が竣工しました。

明治末頃の金山周辺

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  • ①名古屋瓦斯工場

    ①名古屋瓦斯工場

  • ②三重紡績

    ②三重紡績

名古屋瓦斯は、明治39年(1906)に、奥田正香らによって現在の東邦ガスの前身、名古屋瓦斯が設立されました。名古屋瓦斯は翌明治40年(1906)に開業し、市内に初めてガスを灯用として供給しました。開業当時、名古屋瓦斯の工場は精進川(新堀川)沿いにありました。
明治19年(1886)に渋沢栄一らの援助を受けて伊藤伝七が三重紡績株式会社を創立、明治38年(1904)に尾張、名古屋両紡績会社を合併し三重紡績名古屋工場となりました。 大正3年(1914)大阪紡績と三重紡績が合併して東洋紡績株式会社となりました。

ものづくり都市への変貌

  • 陶器工場0

    陶器工場

  • 工作機械工場

    工作機械工場

  • 毛織物工場

    毛織物工場

  • 撚糸織物工場

    撚糸織物工場

  • バイオリンの製造

    バイオリンの製造

  • 扇子工場

    扇子工場

  • マッチ工場

    マッチ工場

  • 消防ポンプ工場

    消防ポンプ工場

明治末頃の大須・鶴舞公園周辺

Map04

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  • ①東別院彼岸のにぎわい

    ①東別院彼岸のにぎわい

  • ②日露戦争、戦勝記念式典

    ②日露戦争、戦勝記念式典

  • ③花園町 旭廓

    ③花園町 旭廓

  • ④西別院

    ④西別院

  • ⑤-1大須観音表参道

    ⑤-1大須観音表参道

  • ⑤-2大須観音

    ⑤-2大須観音

  • ⑥年末の大須門前町

    ⑥年末の大須門前町

  • ⑦愛知県商品陳列館

    ⑦愛知県商品陳列館

  • ⑧新堀川と武徳殿

    ⑧新堀川と武徳殿

  • ⑨-1第十回関西府県連合共進会

    ⑨-1第十回関西府県連合共進会

  • ⑨-1第十回関西府県連合共進会

    ⑨-1第十回関西府県連合共進会

  • ⑨-1第十回関西府県連合共進会

    ⑨-1第十回関西府県連合共進会

  • ⑩名古屋高等工業学校

    ⑩名古屋高等工業学校

  • ⑪-1濃尾地震(明治24年)

    ⑪-1濃尾地震(明治24年)

  •  ⑪濃尾地震罹災者 愛知病院

    ⑪濃尾地震罹災者 愛知病院

  • ⑫東陽館庭園(料理旅館)

    ⑫東陽館庭園(料理旅館)

明治24年(1891)日本史上最大級の直下型地震が発生しました。濃尾地方に甚大な被害をもたらし濃尾地震と名づけられました。この地震で、根尾谷断層が地表に出現し、現在、国の天然記念物に指定されています。
岐阜出身の実業家山田才吉は、明治29年(1896)に料理旅館「東陽館」を開業しました。広大な庭園や396畳の大広間を持つ巨大な娯楽施設は、人気を呼びましたが、明治36年(1903)に火災で焼失してしまいました。その後も才吉は南陽館(明治43年)、名古屋教育水族館、聚楽園(大正5年)などの 観光施設を次々と建設、また守口漬の考案者としても知られています。
春と秋の彼岸には、多くの露店や見世物、サーカスなどが境内にならび、多くの参詣者を楽しませました。東別院参詣後は本町通を北上して大須商店街へと向う人の流れが途切れませんでした。明治37(1904)2月に始まった日露戦争は、ポーツマス条約の講和により明治38(1905)の9月に終わりました。 日本の勝利を祝う凱旋歓迎会が東別院境内でも行われました。
安政五年(1858)に出来た北野新地(大須観音の北)の遊郭は、明治7年に 大須観音の堂裏、堀川以東の五ヶ所に移転させられました。この時以来、大須界隈の遊郭を旭遊郭と呼ぶようになったといわれています。 大正12年、中村へ移転しました。
愛知県商品陳列館は明治末期に商工業の振興を目的として大須門前町に建てられたルネサンス様式の堂々たる建物。主に愛知県の工業製品が陳列されていましたが、昭和9年(1934)に取り壊されました。
第10回関西府県連合共進会は、明治43年3月16日~6月13日の会期で現在の鶴舞公園周辺で開催されました。会期中260万を越える入場者を数え、またこの博覧会を期に名古屋のインフラ整備が飛躍的に進みました。

明治末頃の名古屋駅・柳町周辺

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Map05

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  • ①名古屋駅(明治時代末)

    ①名古屋駅(明治時代末)

  • ② 名古屋駅(大正時代末)

    ② 名古屋駅(大正時代末)

  • ③名古屋駅構内(大正時代末)

    ③名古屋駅構内(大正時代末)

  • ④駅前の人力車

    ④駅前の人力車

名古屋駅の乗客数は、大正時代に入ると飛躍的にのび、大正時代中期には年間200万人に達し大正末期には400万人を超える程になりました。自動車の普及していなかった時代の一般的な交通・運送手段は人力車でした。車夫たちが名古屋駅前に待機して客待しています。

明治末頃の名古屋市中心部

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Map06

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  • ①御園座こけら落とし

    ①御園座こけら落とし

  • ②日露戦争、戦勝記念門

    ②日露戦争、戦勝記念門

  • ③名古屋郵便局

    ③名古屋郵便局

  • ④-1広小路(明治時代末)

    ④-1広小路(明治時代末)

  • ④-2いとう呉服店の栄町進出

    ④-2いとう呉服店の栄町進出

  • ④-3いとう呉服店の栄町進出

    ④-3いとう呉服店の栄町進出

  • ④-4いとう呉服店の内部

    ④-4いとう呉服店の内部

  • ⑤日本銀行名古屋支店

    ⑤日本銀行名古屋支店

  • ⑥-1中央バザール

    ⑥-1中央バザール

  • ⑥-2中央バザール内部

    ⑥-2中央バザール内部

  •  ⑦名古屋商業会議所

    ⑦名古屋商業会議所

  • ⑧-1移転された市役所

    ⑧-1移転された市役所

  • ⑧-2市役所と広小路

    ⑧-2市役所と広小路

  • ⑨-1官庁街(明治時代末)

    ⑨-1官庁街(明治時代末)

  • ⑨-2ちんちん電車

    ⑨-2ちんちん電車

  • ⑩愛知県会議事堂(明治33年移転)

    ⑩愛知県会議事堂(明治33年移転)

  • ⑪愛知県庁(明治33年移転)

    ⑪愛知県庁(明治33年移転)

  • ⑫栄警察署

    ⑫栄警察署

  •  ⑬愛知県立高等女学校朝礼

    ⑬愛知県立高等女学校朝礼

  • ⑮-1名古屋株式取引所

    ⑮-1名古屋株式取引所

  • ⑮-2明治銀行

    ⑮-2明治銀行

  • ⑯桜通完成前の風景

    ⑯桜通完成前の風景

  • ⑰名古屋国技館

    ⑰名古屋国技館

  • ⑱-1東照宮祭

    ⑱-1東照宮祭

  • ⑱-2東照宮祭

    ⑱-2東照宮祭

御園座は、明治座を手本にして作られた名古屋で最初の大劇場。こけら落とし興行は市川左団次一座に より行われました。
明治30年(1897)、愛知、岐阜、三重を業務区域とする日本銀行名古屋支店が全国で6番目の支店として新柳町に開業しました。その後、明治37年(1904)、レンガ造りのモダンな庁舎が栄町に建設され移転しました。
中央バザールは小売商人に売り場を賃貸する小売商館。市内には名古屋商品館や 盛商館、大須バザールなどの小売商館もありました。
株式会社いとう呉服店は、茶屋町から名古屋市役所の跡地に移転。名古屋で初めての3階建ての近代的な百貨店として営業を始めました。
明治14年(1881)創立された名古屋商法会議所は、明治23年(1890)、名古屋商業会議所に改組されました。その後名古屋商工会議所となり大池町に移転しました。
栄町交差点角にあった名古屋市役所は、明治40年(1907)、火災で焼失。愛知県庁と広小路をはさんだ西側に新築移転されました。
南久屋町にあった愛知県庁は、路面電車の千種駅延長のため明治33年(1900)、議事堂とともに 南武平町に移転されました。
愛知県立高等女学校は、明治36年(1903)に開校、大正4年(1915)に愛知県立第一高等女学校と改称されました。
伝馬町にあった名古屋株式取引所は、明治19年(1886)に設立されました。一旦解散されて明治26年(1893)、株式会社名古屋株式取引所となりました。昭和3年(1928)に現在地に移転しています。
辰野金吾博士の設計で、大正3年(1914)に完成した名古屋国技館は、名実ともに日本一の国技館でした、しかし人口40万人台の当時の名古屋では入場者数も伸びず、経営も困難になり開館10年も経たず閉鎖されました。
戦前までは、東照宮の祭礼が「名古屋まつり」と呼ばれ、名古屋で最大のまつりとして盛大に行われました。各町内から山車が参加し名古屋城で終結する山車揃えが行われ、現在の「名古屋まつり」にもこの伝統が引き継がれています。

明治末頃の名古屋城周辺

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  • ①-1名古屋離宮

    ①-1名古屋離宮

  • ①-2名古屋城上空の陸軍機演習

    ①-2名古屋城上空の陸軍機演習

  • ①-3名古屋城上空の陸軍機演習

    ①-3名古屋城上空の陸軍機演習

  • ②第三師団司令部

    ②第三師団司令部

  • ③名古屋陸軍地方幼年学校

    ③名古屋陸軍地方幼年学校

  • ④名古屋控訴院 

    ④名古屋控訴院

名古屋城は明治26年(1893)、陸軍省から宮内省に移管され、名古屋離宮となりました。その後、昭和5年(1930)、名古屋市に下賜され一般公開されることとなりました。名古屋城内にあった名古屋鎮台は、明治19年(1886)に第三師団と改組され司令部が設置されました。
明治29年(1896)に設置された名古屋陸軍地方幼年学校は、大正9年(1920)に名古屋陸軍幼年学校に改称されました。13歳から16歳で入校し3年間の教育が行われました。
明治14年(1881)に名古屋控訴裁判所が名古屋城の南、外堀通と本町通 の交差する、西側の角地に開所。明治19年(1886)に名古屋控訴院に改称され、大正11年(1922)、東区主税町に移転しました。現在は市政資料館となっています。 class="index">

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古地図と映像で名古屋400年を辿る No.02 昭和時代の幕開け、そして戦争へ 2017-01-24T11:29:25+09:00 2017-01-31T19:47:16+09:00 http://network2010.org/article/1995

【動画】昭和時代の幕開け、敗戦と戦後の復興

昭和時代の幕開けとともに世界的規模で経済恐慌がおこりました。名古屋も例外ではなく昭和初頭に達成される見込みであった人口100万人突破も昭和9年(1933)に持ち越されました。しかし、昭和7(1932)に入ると外国貿易総額は上向きに転じ、昭和8年には過去最高の数字を残すまでになりました。綿織物産業の貢献に加えて軍事費の増大による重工業、とりわけ航空機などの軍需関連企業の成長でした。また、自動車生産など新しい産業が起こったのもこの時期です。

索引
①1958→1968昭和30年代の名古屋
②1926→1958昭和時代の幕開け
③1889→1926名古屋市誕生
④1868→1888名古屋区時代
⑤江戸時代の名古屋城下

昭和初頭の名古屋港周辺

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  • ①名古屋港桟橋

    ①名古屋港桟橋

  • ②東邦電力

    ②東邦電力

  • ③三菱航空機製作所

    ③三菱航空機製作所

  • ④名古屋飛行場(十号地)

    ④名古屋飛行場(十号地)

  • ⑤-1中川口閘門

    ⑤-1中川口閘門

  • ⑤-2現在の中川運河

    ⑤-2現在の中川運河

  • ⑥港新橋竣工前の渡し

    ⑥港新橋竣工前の渡し

  • ⑦港新橋(昭和7年竣工)

    ⑦港新橋(昭和7年竣工)

  • ⑧-1名古屋汎太平洋平和博覧会

    ⑧-1名古屋汎太平洋平和博覧会

  •  ⑧-2名古屋汎太平洋平和博覧会

    ⑧-2名古屋汎太平洋平和博覧会

東邦電力は戦時下の昭和17年(1942)に解散、昭和26年(1951)、電気事業再編により中部電力が設立されました。三菱航空機製作所では零戦の開発とエンジンの製造が行われていました。
中川運河は名古屋港から笹島貨物駅までの既存の河川を改修整備して運河として利用する目的で行われ、昭和5年(1930)に幹線及び北支線の供用が開始されました。現在では、物流輸送では衰退しましたが、都会の貴重な水辺区間として見直され、平成29年秋には、名古屋港から笹島への観光定期船の運航が予定されています。
昭和7年(1932)に、はね上げ式の旧港新橋が完成されるまで東築地から堀川の対岸まで県営の渡し船が運航していました。
昭和12年(1937)3月15日から5月31日までの78日間の会期で南部臨海地帯で名古屋汎太平洋平和博覧会が開催さました。これにあわせて名古屋駅の移転、桜通、東山動植物園の建設などのインフラ整備が進みました。また、東・西・南・中の四区制から千種区・中村区・昭和区・熱田区・中川区・港区が加わり10区体制となりました。

昭和初頭の熱田神宮周辺

Map02

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  • ①-1現在の堀川熱田付近

    ①-1現在の堀川熱田付近

  • ①-2大瀬古橋

    ①-2大瀬古橋

  • ②白鳥貯木場

    ②白鳥貯木場

  • ③-1熱田神宮

    ③-1熱田神宮

  • ③-2熱田神宮

    ③-2熱田神宮

  • ④国鉄熱田駅

    ④国鉄熱田駅

  • ⑤-1熱田兵器製作所

    ⑤-1熱田兵器製作所

  •  ⑤-2熱田兵器製作所跡

    ⑤-2熱田兵器製作所跡

  • ⑥第八高等学校

    ⑥第八高等学校

  •  ⑦堀川(尾頭橋付近)

    ⑦堀川(尾頭橋付近)

昭和8年当時の熱田周辺住宅地図

  • 熱田周辺住宅地図

    熱田周辺住宅地図

  • 熱田周辺住宅地図

    熱田周辺住宅地図

昭和初頭の大須・鶴舞公園

Map03

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  • ①中川運河

    ①中川運河

  • ②松重閘門

    ②松重閘門

  • ③-1本町通橘町付近

    ③-1本町通橘町付近

  • ③-2本町通橘町付近

    ③-2本町通橘町付近

  •  ④-1七ッ寺

    ④-1七ッ寺

  •  ④-2大須観音

    ④-2大須観音

  • ④-3大須仲店

    ④-3大須仲店

  • ④-4本町通大須門前町

    ④-4本町通大須門前町

  • ⑤大須万松寺通

    ⑤大須万松寺通

  • ⑥大須赤門通

    ⑥大須赤門通

  • ⑦岩井通商工会議所前

    ⑦岩井通商工会議所前

  • ⑧-1鶴舞公園

    ⑧-1鶴舞公園

  •  ⑧-2鶴舞動物園(昭和12年移転)

    ⑧-2鶴舞動物園(昭和12年移転)

  • ⑨-1名古屋医科大学

    ⑨-1名古屋医科大学

  • ⑨-2附属病院

    ⑨-2附属病院

  • ⑩日本麦酒工場

    ⑩日本麦酒工場

  • ⑪-1本町通末広町

    ⑪-1本町通末広町

  •  ⑪-2本町通末広町

    ⑪-2本町通末広町

松重閘門は、堀川と中川運河の連絡をはかるため1mの水位差を調整するため昭和5年(1930)竣工しました。
大須界隈は、映画館、芝居小屋などが軒を並べる名古屋随一の繁華街、娯楽街として繁栄しました。大正12年(1923)に、旭遊郭が中村へ移転し多少の影響を受けましたが、市電門前町~水主町の開通もあり昭和時代に入ると衣料品や家具などを扱う店も集積し戦前の名古屋を代表する商業地なりました。
鶴舞動物園は、昭和12年、東山公園完成とともに20年の歴史を終えました。

昭和8年頃の大須周辺

昭和8年頃の大須周辺

昭和8年頃の大須周辺

昭和8年頃の大須周辺

昭和初頭の名古屋市街中心部

Map04

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  • ①納屋橋

    ①納屋橋

  • ②名古屋ホテル

    ②名古屋ホテル

  • ③名古屋観光ホテル

    ③名古屋観光ホテル

  • ④広小路長島町付近

    ④広小路長島町付近

  • ⑤-1広小路名古屋銀行付近

    ⑤-1広小路名古屋銀行付近

  • ⑤-2広小路本町北を見る

    ⑤-2広小路本町北を見る

  • ⑥広小路十一屋付近

    ⑥広小路十一屋付近

  • ⑦-1栄町交差点北を見る

    ⑦-1栄町交差点北を見る

  • ⑦-2栄町交差点西を見る

    ⑦-2栄町交差点西を見る

  • ⑧-1大津通松坂屋付近

    ⑧-1大津通松坂屋付近

  • ⑧-2大津通松坂屋付近

    ⑧-2大津通松坂屋付近

  • ⑧-3大津通栄町付近

    ⑧-3大津通栄町付近

  • ⑨新栄町交差点

    ⑨新栄町交差点

  • ⑩-1瀧兵(桜通完成前)

    ⑩-1瀧兵(桜通完成前)

  • ⑩-2瀧兵(桜通完成後)

    ⑩-2瀧兵(桜通完成後)

  • ⑪-1桜通大津(延伸前)

    ⑪-1桜通大津(延伸前)

  • ⑪-2桜通大津(延伸前)

    ⑪-2桜通大津(延伸前)

  • ⑫五条橋

    ⑫五条橋

  • ⑬-1本町鉄砲町御大典祝賀

    ⑬-1本町鉄砲町御大典祝賀

  • ⑬-2岡谷商店

    ⑬-2岡谷商店

名古屋観光ホテルは、名古屋に国際級のホテルを造りたいと提唱し、名古屋財界が総力をあげて建設しました。株式会社名古屋観光ホテルは昭和9年に正式に発足しました。
大正13年(1924)7月東邦ガスは熱田区の現在地に本社を移転、跡地にはガス応用実験所と本部営業所がおかれました。また、昭和12年(1937)名古屋汎太平洋博覧会に合わせ、松坂屋は木造だった北館を増設、全館が完成しました。
名古屋駅の移転に合わせ桜通(幅員50m)が、駅から現在の桜通大津交差点付近まで建設されました。戦後、内山町交差点付近まで拡幅・延伸されました。

昭和8年頃の名古屋市中心部

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昭和初頭の名古屋城周辺

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  • ①名古屋城

    ①名古屋城

  • ②名古屋市役所(昭和8年移転直後)

    ②名古屋市役所(昭和8年移転直後)

  • ③ 愛知県庁移転(昭和13年)

    ③ 愛知県庁移転(昭和13年)

  • ④大津通、大津橋付近

    ④大津通、大津橋付近

  • ⑤-1外堀通

    ⑤-1外堀通

  • ⑤-2お濠電車

    ⑤-2お濠電車

  • ⑥NHK名古屋放送局

    ⑥NHK名古屋放送局

  • ⑦西区役所(4区時代)

    ⑦西区役所(4区時代)

名古屋城は、昭和5年(1930)、宮内省から名古屋市に下賜され一般への公開が行われました。国宝第一号の名古屋城と本丸御殿は、終戦直前の昭和20年5月14日、空襲により焼失しました。
名古屋市は、昭和8年(1933)高さ53mの中央塔を持つ帝冠様式の現在の庁舎を建設しました。昭和13(1938)には、愛知県庁も市役所の南隣に栄町から移転されました。
名鉄瀬戸線が名古屋城の外堀の中を走っており、「お濠電車」と呼ばれていました。終点堀川駅北にはNHK名古屋放送局や西区役所がありました。

昭和初頭の名古屋駅周辺

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  • ①名古屋駅前(笹島)

    ①名古屋駅前(笹島)

  • ②名古屋駅前(笹島)

    ②名古屋駅前(笹島)

  • ③-1笹島からの移転工事

    ③-1笹島からの移転工事

  • ③-2完成まじかの名古屋駅

    ③-2完成まじかの名古屋駅

  • ③-3名古屋新駅構内

    ③-3名古屋新駅構内

  • ④市電中村線工事

    ④市電中村線工事

旅客と貨物の併用であった旧名古屋駅は、大正末期には列車の発着回数も1日あたり100本を超え、貨物の扱い量も年間100万トンを超えるようになり、飽和状態で新駅建設が計画されました。笹島から北西約500mの現在地に新駅の建設が始まり、昭和12年完成しました。

昭和8年頃の名古屋駅前住宅地図

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昭和16年頃の名古屋駅周辺

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  • ①昭和14年頃の駅前

    ①昭和14年頃の駅前

  • ②焼土と化した中心街

    ②焼土と化した中心街

  • ③昭和25年頃の駅前

    ③昭和25年頃の駅前

  • ④昭和20年代末の駅前

    ④昭和20年代末の駅前

昭和8年頃の名古屋城東高級旧宅街

昭和8年頃の名古屋城東高級旧宅街

昭和8年頃の名古屋城東高級旧宅街

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古地図と映像で名古屋400年を辿る No.01 昭和30年代の名古屋 2017-01-07T16:25:11+09:00 2017-01-31T19:38:42+09:00 http://network2010.org/article/1994

【動画】昭和30年代の名古屋

このシリーズは、Network2010が所有するデジタルコンテンツを使って、古地図と映像によって、名古屋の400年間の街の変遷を辿る企画です。現在大きく変貌しようとしている名古屋の移り変わりをコンパクトに紹介します。

索引
①1958→1968昭和30年代の名古屋
②1926→1958昭和時代の幕開け
③1889→1926名古屋市誕生
④1868→1888名古屋区時代
⑤江戸時代の名古屋城下

昭和33年名古屋港周辺

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  • ①-1沖合の埋め立て工事

    ①-1沖合の埋め立て工事

  • ①-2堀川から見た名古屋港

    ①-2堀川から見た名古屋港

  • ②-1沖合の埋め立て工事

    ②-1沖合の埋め立て工事

  • ②-2沖合の埋め立て工事

    ②-2沖合の埋め立て工事

  •  ③名古屋港(2008年頃)

    ③名古屋港(2008年頃)

  • ④名古屋港(2016年)

    ④名古屋港(2016年)

昭和33年 熱田・金山・東別院

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  • ①-1金山駅周辺

    ①-1金山駅周辺

  • ①-2現在の金山駅

    ①-2現在の金山駅

  • ②-1中央線複線工事

    ②-1中央線複線工事

  • ②-2中央線複線工事

    ②-2中央線複線工事

  • ②-3現在の風景

    ②-3現在の風景

  • ③山王通

    ③山王通

昭和33年 白川公園・久屋大通周辺

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  • ①-1アメリカ村

    ①-1アメリカ村

  • ①-2進駐軍将校宿舎

    ①-2進駐軍将校宿舎

  • ①-3返還後の白川公園

    ①-3返還後の白川公園

  • ②-1伏見通の建設

    ②-1伏見通の建設

  • ②-2伏見通の建設

    ②-2伏見通の建設

  • ②-3完成後の伏見通

    ②-3完成後の伏見通

  • ③-1本堂再建前の大須観音

    ③-1本堂再建前の大須観音

  • ③-2現在の大須観音

    ③-2現在の大須観音

  • ④若宮大通の建設

    ④若宮大通の建設

  • ⑤-1終戦後の久屋大通公園

    ⑤-1終戦後の久屋大通公園

  • ⑤-2エンゼル球場

    ⑤-2エンゼル球場

  • ⑥-1名古屋テレビ塔

    ⑥-1名古屋テレビ塔

  • ⑥-2名古屋テレビ塔

    ⑥-2名古屋テレビ塔

  • ⑦地下鉄工事

    ⑦地下鉄工事

  • ⑧完成した地下鉄工事

    ⑧完成した地下鉄工事

  • ⑨-1終戦直後の広小路

    ⑨-1終戦直後の広小路

  • ⑨-2昭和34年頃広小路

    ⑨-2昭和34年頃広小路

  • ⑩高岳交差点付近

    ⑩高岳交差点付近

昭和33年(1958)、敗戦から連合軍に接収され在日米軍の家族住宅地として使用されていた、白川公園のアメリカ村が返還され、都市公園としての整備が開始され伏見通、若宮大通、久屋大通公園などの建設も始まりました。また、名古屋駅 - 栄町駅(現在の栄駅)間 (2.4km) の開業をめざし工事が進められ昭和32年11月に完成に至りました。
主な出来事:名古屋テレビ塔 昭和29年6月開業

昭和33年 名古屋城・大曽根

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  • ①-1焼失後の名古屋城

    ①-1焼失後の名古屋城

  • ①-2名古屋城再建へ

    ①-2名古屋城再建へ

  • ①-3現在の名古屋城

    ①-3現在の名古屋城

  • ②大曽根駅周辺

    ②大曽根駅周辺

昭和20年(1945)5月14日の空襲で焼失した名古屋城天守閣の再建工事は、昭和32年に始まり昭和34年10月になって完了しました。現在、平成30年度の完成をめざし名古屋城本丸御殿の復元工事が進められています。

昭和33年 名古屋駅周辺

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  • 名古屋駅前(昭和20年代中頃)

    名古屋駅前(昭和20年代中頃)

  • 名古屋駅前(昭和30年代初頭)

    名古屋駅前(昭和30年代初頭)

  • 名古屋駅前(昭和30年代初頭)

    名古屋駅前(昭和30年代初頭)

  • 名古屋駅前(昭和30年代初頭)

    名古屋駅前(昭和30年代初頭)

  • 地下鉄工事

    地下鉄工事

  • 地下鉄工事

    地下鉄工事

  • 大名古屋ビルヂングの建設

    大名古屋ビルヂングの建設

  • 大名古屋ビルヂングの建設

    大名古屋ビルヂングの建設

  • 笹島貨物駅

    笹島貨物駅

  • 現在の名古屋駅前

    現在の名古屋駅前

現在、リニア中央新幹線の開通にむけて名古屋駅周辺は高層ビル群の建設など目覚しい発展を遂げています。空襲で焼土と化した名古屋駅前も昭和30年代に入ると本格的な復興が開始されました。

昭和40年代の風景

  • ①地下鉄工事星ヶ丘

    ①地下鉄工事星ヶ丘

  • ②一社付近を行く地下鉄

    ②一社付近を行く地下鉄

  •  ③東名名古屋インター建設

    ③東名名古屋インター建設

  • ④平和公園

    ④平和公園

  • ⑤白川公園

    ⑤白川公園

  • ⑥三之丸官庁街

    ⑥三之丸官庁街

  • ⑦日曜遊歩道

    ⑦日曜遊歩道

  • ⑧日曜遊歩道

    ⑧日曜遊歩道

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百花絢爛in名古屋城 華道家假屋崎省吾の世界展 2016-12-16T17:58:15+09:00 2016-12-16T19:07:13+09:00 http://network2010.org/article/1993

【動画】百花絢爛in名古屋城 華道家假屋崎省吾の世界展

2016年12月16日より「百花絢爛in名古屋城 華道家 假屋崎省吾の世界展」と題して2018年度全面公開に向けて第三期工事の進む名古屋城本丸御殿で華道家 假屋崎省吾氏の個展が始まった。各々の作品は、各部屋の雰囲気と調和するように工夫されている。全国初と言える、個人による城での展示は2016年12月25日までおこなわれる。

写真

  • 華道家假屋崎省吾氏

    華道家假屋崎省吾氏

  • 名古屋城と本丸御殿

    名古屋城と本丸御殿

  • 玄関・車寄

    玄関・車寄

  • 玄関・車寄

    玄関・車寄

  • 玄関二之間

    玄関二之間

  • 玄関二之間

    玄関二之間

  • 玄関二之間

    玄関二之間

  • 玄関一之間

    玄関一之間

  • 大廊下

    大廊下

  • 大廊下

    大廊下

  • 表書院三之間

    表書院三之間

  • 表書院三之間

    表書院三之間

  • v
  • 表書院三之間

    表書院三之間

  • 表書院二之間

    表書院二之間

  • 表書院二之間

    表書院二之間

  • 表書院二之間

    表書院二之間

  • 表書院一之間

    表書院一之間

  • 表書院上段之間

    表書院上段之間

  • 対面所次之間

    対面所次之間

  • 対面所上段之間

    対面所上段之間

  • 対面所納戸二之間

    対面所納戸二之間

  • 対面所納戸一之間

    対面所納戸一之間

  • 対面所納戸一之間

    対面所納戸一之間

  • 対面所納戸一之間

    対面所納戸一之間

  • 対面所廊下

    対面所廊下

  • 下御膳所

    下御膳所

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シリーズ「名古屋港から名駅へ」 No1 「水のみち 中川運河」 2016-11-22T11:26:25+09:00 2017-03-17T16:28:12+09:00 http://network2010.org/article/1989

【動画】シリーズ名古屋港から名駅へ No1 「水のみち 中川運河」(約15分)

制作:住宅都市局都市整備部臨海開発推進室・中村区・中川区・港区区政部地域力推進室・ 特定非営利活動法人 ビジュアルコンテンツ プロダクトネットワーク

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「尾張名古屋は城でもつ」の言葉に象徴されるように、江戸時代初頭に徳川家康によって堀川東岸、名古屋台地の北端に名古屋城と名古屋城下が建設されて以来、名古屋の中心市街はこの台地の上に形成されてきました。明治19年(1886)に笹島に名古屋停車場(旧名古屋駅)が開業、また昭和12年(1937)に現在地に名古屋駅(1937~1999年)が新築されましたが、名古屋の中心は堀川東岸にありました。しかし1999年に現在の名古屋駅が開業、さらに2027年のリニア中央新幹線の東京~名古屋間の開業に向けて名古屋駅周辺の開発が促進されるとともに、名古屋駅から南に向けて形成されつつあります。

シリーズ「名古屋港から名駅へ」は、名古屋駅周辺と名古屋港、そしてそれを南北につなぐ中川運河周辺をシリーズで紹介する企画です。名古屋駅から名古屋港にいたる地域は工業地帯として発展したため、その魅力はあまり知られておりません。このシリーズでは、現在進行するプロジェクトや観光スポットを映像で全国に発信する所存です。

地図

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写真

  • 日光川河口

    日光川河口

  • 新川・庄内川河口

    新川・庄内川河口

  • 藤前干潟

    藤前干潟

  • 金城ふ頭

    金城ふ頭

  • LEGOLAND® Japan完成予想図

    LEGOLAND® Japan完成予想図

  • 市営金城ふ頭駐車場完成予想図

    市営金城ふ頭駐車場完成予想図

  • 海から見た金城ふ頭

    海から見た金城ふ頭

  • 名港中央大橋

    名港中央大橋

  • 名古屋港ガーデンふ頭

    名古屋港ガーデンふ頭

  • 中川運河へ

    中川運河へ

  • 開設当時の中川運河地図

    開設当時の中川運河地図

  • 開設当時の中川口通船門

    開設当時の中川口通船門

  • 2016年の中川運河

    2016年の中川運河

  • 中川口通船門

    中川口通船門

  • 中川口通船門

    中川口通船門

  • 中川口通船門

    中川口通船門

  • 中川口緑地

    中川口緑地

  • 曝気(水に対し酸素を供給)

    曝気(水に対し酸素を供給)

  • いろは橋

    いろは橋

  • 港北運河

    港北運河

  • みなとアクルス建設現場

    みなとアクルス建設現場

  • みなとアクルス建設現場

    みなとアクルス建設現場

  • みなとアクルス完成予想図

    みなとアクルス完成予想図

  • みなとアクルス完成予想図

    みなとアクルス完成予想図

  • みなとアクルス完成予想図

    みなとアクルス完成予想図

  • 東海橋へ

    東海橋へ

  • 東海橋

    東海橋

  • 昭和橋へ

    昭和橋へ

  • 昭和橋へ

    昭和橋へ

  • 南郊運河

    南郊運河

  • 昭和橋

    昭和橋

  • 蜆橋へ

    蜆橋へ

  • 蜆橋

    蜆橋

  • 中野橋へ

    中野橋へ

  • 中野橋

    中野橋

  • 野立橋へ

    野立橋へ

  • 野立橋

    野立橋

  • 篠原橋へ

    篠原橋へ

  • 篠原橋

    篠原橋

  • 八熊橋へ

    八熊橋へ

  • 八熊橋

    八熊橋

  • 長良橋へ

    長良橋へ

  • 長良橋~堀止地図

    長良橋~堀止地図

  • 長良橋

    長良橋

  • 小栗橋へ

    小栗橋へ

  • 小栗橋

    小栗橋

  •  露橋水処理場建設現場

    露橋水処理場建設現場

  • 露橋水処理センター

    露橋水処理センター

  • 松重閘門

    松重閘門

  • 中川運河助成ARToCによる事業

    中川運河助成ARToCによる事業

  • 中川運河助成ARToCによる事業

    中川運河助成ARToCによる事業

  • 猿子橋へ

    猿子橋へ

  • 運河橋

    運河橋

  • 中川運河堀止船だまり

    中川運河堀止船だまり

  • ささしまライブ24

    ささしまライブ24

  • ありし日の笹島貨物駅

    ありし日の笹島貨物駅

  • 2007頃の笹島貨物駅跡

    2007頃の笹島貨物駅跡

  • ささしまライブ24完成予想図

    ささしまライブ24完成予想図

  • 名古屋駅の移転(昭和12年)

    名古屋駅の移転(昭和12年)

  • 完成直前の名古屋新駅

    完成直前の名古屋新駅

  • 名古屋駅西口(2016年)

    名古屋駅西口(2016年)

  • 名古屋駅(2016年)

    名古屋駅(2016年)

  • 名古屋駅東側

    名古屋駅東側

  • 中川運河(2016年)

    中川運河(2016年)

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