Network2010.org - 名古屋100km圏内の情報発信ネットワーク http://network2010.org/ 2019-09-20T14:00:44+09:00 空から見た関ヶ原の戦い 2019-09-08T15:00:52+09:00 2019-09-08T17:07:53+09:00 http://network2010.org/article/2086

【動画】空から見た関ヶ原の戦い

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①空から見た名古屋Vol.2
②空から見た名古屋 2017
③空から見た 名古屋高速道路
④空から見た 桶狭間の戦い
⑤空から見た 小牧・長久手の戦い
⑥空から見た 飛騨高山
⑦空から見た 名古屋城
⑧空から見た長良川
⑨空から見た関ヶ原の戦い

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慶長3年(1598年)、豊臣 秀吉が病没。以後、政治体制は五大老(徳川家康・毛利輝元・上杉景勝・前田利家・宇喜多秀家)による合議制へと移行した。慶長4年(1599年)、豊臣 秀吉の遺児秀頼の養育係の責任者で五大老の中でも筆頭格の前田利家が病没すると、五大老筆頭の家康は、秀吉により禁止されていた大名家同士の婚姻を行うなど、他の毛利輝元・上杉景勝・前田利家・宇喜多秀家の大老の反発を招いた。慶長4年(1600年)、大坂城に居た徳川家康は会津の上杉景勝の動向を疑い再三の上洛を求めた。上洛を拒む上杉景勝に逆心ありと伏見城の守備を鳥居元忠らに命じ、6月16日、上杉討伐のため関東へ向かう。7月23日、徳川家康が下野国 小山へ到着。そこに家康に反感をもつ石田三成挙兵の報が入る。7月25日、小山において上杉討伐を中止を決定。福島正則ら三成に反感をもつ武断派の大名らは家康に味方し、家康を総大将とした三成討伐軍が結成された。8月初頭に江戸に戻った家康は、約1ヶ月江戸城に留まり三成方武将の動向を探り、また味方諸将への指令や他大名への勧誘工作を行った。また、徳川方の諸大名は東海道を西に進軍、清洲城を目指す。

一方、西軍は総大将毛利輝元が広島を出て7月19日に大坂入城。同時に、東軍に参戦した細川忠興の留、父細川幽斎の守る丹後田辺城や家康家臣・鳥居元忠らが篭城する伏見城への攻撃の軍を進める。8月1日伏見城が落城、田辺城は落城寸前となるが、文化人幽斎を惜しむ朝廷の仲介などで講和が成立した。 8月初旬、北陸敦賀城を居城とする大谷吉継は、加賀の大聖寺城を落とした東軍前田利長の南下を防ぐため北上、利長を金沢へ押し返す。毛利秀元・長宗我部盛親ら西国諸大名らは伊勢の安濃津城主、松坂城を落城させる。

8月中旬、福島正則、黒田長政、藤堂高虎、細川忠興らが清須城に到着。清洲城は文禄4年(1595年)から福島正則の居城となっていた。 8月22日、池田照政麾下の部隊と福島正則以下各隊が織田秀信(幼名は三法師)守る岐阜城に向けて進軍、翌、23日に落城する。西軍の犬山城も降伏、開場にいたる。東軍は、そのまま西へ進み、大垣城北西の岡山へ着陣する。家康は岐阜城での勝利の報告を受け、8月24日宇都宮にいた徳川秀忠に上田攻略を命じる。秀忠は上田攻略後、中山道を西に進み東軍主力と合流する予定であった。9月1日には、家康が3万余の兵を率いて江戸を出立、赤坂へ向かう。

宇喜多秀家・小西行長・石田三成ら西軍は、城主伊藤盛宗に大垣城明け渡しを要請。盛宗は要請を受け退城し大垣城が西軍の本陣となる。東軍8万は、城を取り囲み膠着状態が続く。北陸の大谷軍、伊勢に展開する西国諸将の軍は、この知らせを受け救援のため兵を引き返し関ヶ原に向かう。9月2日、大谷吉継、戸田重政、平塚為広、赤座直保、小川祐忠、朽木元綱、脇坂安治の軍勢が関ヶ原南西の山中村に着陣。また9月7日には、毛利秀元、吉川広家らが南宮山に布陣する。

9月14日、西軍の斥候が家康の岡山(美濃赤坂)着陣を報告、西軍の兵士の間に動揺が広がった。 島左近は兵たちの動揺を鎮めるため、三成に東軍との一戦を提言する。島左近は蒲生郷舎とともに大垣城を出陣、家康の岡山本陣方面へ向かう。 大垣と岡山の中間を流れる杭瀬川を池尻口から渡河。東軍の中村一栄隊の前で刈田をして挑発すると、中村隊は攻撃を開始。しばらく、激しい交戦が続き、左近の軍は撤退すると見せかけて杭瀬川を渡河、大垣方面へ。中村隊はこれを追って杭瀬川を渡河、潜んでいた宇喜多らの伏兵に襲われる。中村一栄の家老野一色助義が討たれ 関ヶ原の戦いで数少ない西軍の勝利に終わり、家康は本陣への撤退を命じた。

この間、関ヶ原では異変が起こっていた。松尾山城の守備には伊藤盛正(大垣城主)があたっていたが、西軍から離れ近江付近に滞留していた小早川秀秋の軍が伊藤盛正を追い出して松尾山城に入城した。本来、この城には西軍大将毛利輝元を招聘し本陣にする予定であった。小早川秀秋の行動に疑念を持っていた石田三成は、やむなく9月14日の夜、7500の守備軍を残して大垣城から関ヶ原へ出陣する。 東軍も、この西軍の動きを知り、赤坂の陣を引き払って中山道を関ヶ原へと軍を進めた。夜明け前に両軍の布陣が完了、夜明けを迎えた。

午前8時頃、関ケ原を包んでいた濃霧も晴れ、徐々に西軍の旗指物が見え始めた。東軍の井伊隊が宇喜多隊に向けて攻撃 福島隊も宇喜多隊に発砲し戦端の火蓋が切られた。島左近らの奮戦で、正午になっても勝敗は決せず膠着状態が続く。家康も桃配山より、前線の陣場野に陣を移し諸隊を指示する。 松尾山城で静観する小早川秀秋に痺れを切らした家康は、小早川隊に向けて催促の一斉射撃を行った。遂に小早川隊は寝返りを決め、大谷隊に向かって下山、攻撃を開始する。家康と内通していた脇坂隊もこれに呼応、朽木・小川・赤座も寝返り大谷・戸田・平塚軍は壊滅し吉継はその場で自害した。小西隊、宇喜多隊も敗退、西軍は総崩れとなり小西行長、石田三成も伊吹山方面に逃走し、東軍の勝利に終わった。もともと東軍加担を主張、家康に内通していた吉川広家は、中山道に近い南宮山東に布陣、毛利秀元、長宗我部盛親ら西軍の参戦を妨害、南宮山の西軍は戦わずに戦場を離脱した。

敵陣の真っ只中に取り残された、島津義弘・甥の豊久は敵中突破を決断。陣場野の家康本陣に突進、直前を通り過ぎる形で北国街道・伊勢街道を南へ進む。井伊直政、松平忠吉、本多忠勝らの必死の追跡を振り切って島津義弘は鹿児島へ帰還する。しかし甥の豊久は、烏頭坂で追撃する敵を食い止める捨て(すてがまり)戦術をとり戦死した。捨て奸とは、退路に死を覚悟した数人の兵士を残し敵将を狙撃し、接近戦に持ち込み退路を確保する戦術。井伊直政、松平忠吉は銃弾で負傷、松平忠吉はこの時の傷がもとで若くして夭逝したといわれている。

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リニア時代の名古屋のまちづくりNo.7 世界コスプレサミット 2019-08-30T13:07:40+09:00 2019-09-20T13:56:40+09:00 http://network2010.org/article/2084

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.7 WCS世界コスプレサミット

*このシリーズは、久屋大通公園(北エリア・テレビ塔エリア)の整備事業の進捗を中心に名古屋栄地区をハードおよびソフト面でインタビュー形式で紹介する企画です。2020年7月まで、約1ヶ月ごとに発信し栄地区の魅力をお届けします。*
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⑤都心を支える水のみち・風の道
⑥栄地下街
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関連コンテンツ  名古屋栄地区130年の変遷

世界コスプレサミット誕生へ

2003年、テレビ愛知で「大須のコスプレ物語」という番組プロデューサーをしていました。大須のメイド喫茶を舞台に番組の制作を行っていましたが、当時はコスプレといってもまだマイナーな存在で、エンターテイメントにするには情報が足りないとインターネットで調べるたところヨーロッパには コスプレヤーがいっぱいいることが分かりました。そこで取材に行ったのが、コスプレサミットが生まれるきっかけでした。実際にフランスへ行ってみたら300人くらいのコスプレヤーが迎えに出てくれ、「いつか日本に来たい」とか「友達がいっぱい出来た」とか、コスプレというものに対する熱量が高く、日本にたいする憧れが強いことを肌で感じました。そこで、この人たちを日本に連れてくる事でコスプレ聖地日本、また大きなコミュニティが出来るのではないかと思い2003年の秋に第1回目を名古屋で開催しました。フランス、ドイツ、イタリアそれに日本をあわせ4ヵ国でスタートしました。2005年は愛知万博開催にあたります。ここのメインステージでコスプレの世界大会ができればと先輩たちと相談し、何とか実現したいと活動しました。それに向けて、2004年には大須商店街のなかで外国人のコスプレヤーと一緒にパレードを行いました。また、ロイター通信やAP通信に広報活動のお願いに伺いました。努力が実り、2005年の愛知万博では、メインステージでコスプレ大会が開催されました。

実行委員会創設と株式会社WCS設立

2005年の愛知万博をゴールとして、このイベントは終了する予定でした。しかし、ロイター通信、AP通信が世界中のメデイアに配信したことで、未参加の地域、国の人々の知ることになり、参加を希望するコスプレヤーが現地の日本大使館に問い合せ、日本の外務省の知ることとなりました。2006年から外務省の後援も得ることになりました。2007年、2008年と回数を重ねるにつれ参加国数が増えたごとで、運営の負荷も増して2009年の時点でいったん止めようということになりました。そこで、当時後援であった名古屋市、外務省それにテレビ愛知、名古屋観光コンベンションビューロー、中部国際空港、大須商店街が加わって実行委員会を形成し運営に当たることになりました。

世界コスプレサミットは、もともと番組からスタートしたイベントなので、毎年規模が大きくなるなかで番組スポンサーだけでは維持が困難となりました。また、運営面でもローカル局の域を超えたこともあり、当時のプロデューサーの方から撤退の話を聞き、私個人としては、続ける意思があったのでテレビ愛知から事業譲渡を受ける形でワールドコスプレサミットの頭文字をとった株式会社WCSを設立し実行委員会に加わり運営を継続することになりました。

愛知芸術劇場をメイン会場に

参加国が増えるにつれ、屋外で楽屋のないオアシス21での開催が困難となりました。愛知芸術劇場での開催は念願でしたが、芸術劇場の名の通りそこを使用するハードルは高いものでした。何とかこれをクリアーしようと、大村知事にお願いし愛知県も実行委員会に加わってもらうことで2014年から開催できることになりました。

オープニングを東京で

ワールドコスプレサミットも回を重ねるにつれ規模も大きくなり、もはや名古屋の中だけのイベントではないとの声や、将来100ヶ国に迫る大会になったとき予選から本戦までを名古屋で行う物理的な困難、また広報活動を東京で行うことの重要性もあって2019年からオープニングを東京で行うことになりました。東京を始めとした名古屋以外の地域でブロック予選をおこない本選を名古屋で行うことも考えています。

版元とのコラボレーション

著作権に関してずっとグレーと言われてきました。これをクリアーするために版元さんと一緒のイベントが開催出来たらと調整してきましたが、2019年になって世界的に有名なワンピースという作品で集英社さん、東映アニメーションさんともに公式の世界大会が出来たことは大きな意義がありました。

今後の課題

2019年現在、42の国・地域が加盟しているんですが、このほかコスプレサミットに参加したいと表明している国・地域が30あり一度に受け入れができないので待ってもらっています。まず待機国ゼロにするのが大きな目標となっています。その目標をクリアーするため物理的に会場・資金が必要となります。これが課題となっています。

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  • 世界コスプレサミット

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名古屋市コスプレホストタウン宣言

「世界コスプレサミット」発祥の地であるナゴヤ。名古屋市は「コスプレホストタウン」として、コスプレ・アニメを日本一楽しめ、世界一あたたかなおもてなしをするまちとなることを目指しています。

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リニア時代の名古屋のまちづくり No.6 栄地下街 2019-07-22T11:07:49+09:00 2019-09-20T13:57:14+09:00 http://network2010.org/article/2083

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.6 栄地下街

*このシリーズは、久屋大通公園(北エリア・テレビ塔エリア)の整備事業の進捗を中心に名古屋栄地区をハードおよびソフト面でインタビュー形式で紹介する企画です。2020年7月まで、約1ヶ月ごとに発信し栄地区の魅力をお届けします。*
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関連コンテンツ  名古屋栄地区130年の変遷

1957年(昭和32年)、名古屋で始めての地下鉄が栄町 - 池下間が開業。名古屋市営地下鉄1号線(地下鉄東山線)の名古屋駅と栄町駅の改札階に全国で始めての大規模な名古屋地下街(サンロード)と栄地下街(森の地下街)が誕生した。1969年(昭和44年)、広小路と大津町の地下にサカエチカが開業、森の地下街もこれにあわせて接続するように拡張された。1978年(昭和53年)、栄町・東大手間の地下新線が開業。これにあわせてセントラルパーク地下街が建設、森の地下街も延長された。現在、久屋大通公園の錦通以北で再整備事業が2020年7月完成に向けて行われており、長年の課題であった地上と地下との回遊性の切り札として期待されている。

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  • 地下鉄1号線(東山線)工事

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  • 地下鉄路線延長の歩み

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  • 久屋大通公園整備事業

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Network2010 YouTube Top 50(2019/4-6)) 2019-07-01T13:26:13+09:00 2019-07-01T19:18:07+09:00 http://network2010.org/article/2082

【動画】Network2010合動画Top50

Network2010は、1000本余の動画をYouTubeに掲載しています。そのなかから2019年第2四半期(4・5・6月)視聴50位のコンテンツのデータと 掲載ページへの紹介をしました。名古屋圏の何処に関心があるのかの指標になれば幸いです。

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空から見た長良川 源流から河口へ 2019-06-13T11:48:22+09:00 2019-09-08T17:02:50+09:00 http://network2010.org/article/2081

【動画】空から見た長良川 源流から河口へ

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長良川は、日本三大清流のひとつ 岐阜県郡上市の大日ヶ岳に源を発し、三重県を経て揖斐川と合流し、伊勢湾に注ぐ木曽川水系の一級河川。大日ヶ岳の源流の碑から河口まで30弱の地点からドローンによる空中撮影を行うとともに、沿線地域の歴史・文化・観光資産を映像で紹介している。

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リニア時代の名古屋のまちづくり No.5 都心を支える水のみち・風の道 2019-06-12T20:15:27+09:00 2019-09-20T13:57:48+09:00 http://network2010.org/article/2080

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.5 都心を支える水のみち・風の道

*このシリーズは、久屋大通公園(北エリア・テレビ塔エリア)の整備事業の進捗を中心に名古屋栄地区をハードおよびソフト面でインタビュー形式で紹介する企画です。2020年7月まで、約1ヶ月ごとに発信し栄地区の魅力をお届けします。*
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関連コンテンツ  名古屋栄地区130年の変遷

第5回目として、山盛康 名古屋市緑政土木局河川部河川計画課長、松葉秀樹 名古屋市上下水道局 施設部長、山田好人 名古屋市緑政土木局緑地部部長にお話を伺いました。

江戸時代、名古屋台地の東側の低地を流れていた精進川は、川筋が蛇行し洪水の原因ともなっていたので、明治16年(1883)運河に改修する計画が立てられました。精進川の川筋を利用して新堀川が開削され明治43年(1910)に竣工。開削によって出た土砂は、工場の造成や名古屋市初の公園鶴舞公園の建設に使われ、公園完成直後の明治43年(1910)には、名古屋開府300年にあわせて第10回関西府県連合共進会が開催されました。大正時代を通じて、新堀川は水上輸送路として活用されましたが、昭和時代に入ると自動車の普及によりその役割が小さくなりました。現在は、新堀川両岸にはマンションが建設され都心に通じる風の道、水の道としての役割が重視されています。

新堀川は水源がなく、また都市化の進展により増加した汚水を、一部はし尿運搬船で海上投棄したものの、ほとんどは下水管(1912年供用を開始)を通して新堀川に放流していました。このため水質が極端に悪化し、名古屋市はこの対策に迫られ堀留処理場と熱田処理場の建設が持ち上がります。堀留処理場は、我が国で初めて活性汚泥法(下水に空気を吹き込み、微生物の働きで水の汚れをとる方法)の採用を決定。熱田抽水場で実験を繰り返した後、活性汚泥法による下水処理場の建設が開始され、昭和5年(1930)に完成しました。堀留処理場の完成によりし尿と汚水を処理することが可能になり新堀川浄化につながりました。

戦後の高度成長期、汚水量の著しい増大により施設の拡充が急務とされました。都心の立地ということもあり、久屋大通公園の一部(現フラリエ)の地下に新処理場の建設が始まり、昭和48年(1973)に完成。平成20年(2008)に堀留水処理センターと名称を変更し現在に至っています。

若宮大通は戦後復興のシンボルとして久屋大通とともに100m道路として建設された。中央帯にグリーンベルトを設け防災地帯としての役割のみならず都市景観にも配慮され設計されています。その後、中央帯にグリーンベルト上に名古屋高速2号東山線が建設され、現在高架下には、スポーツ施設などがあり雨天を気にせず利用できる空間として、若者を中心に利用されていいます。また、旧堀留処理場と丸田町JCTの区間の地下には、若宮大通調節池が昭和57年度~昭和61年度にかけて建設され、大雨による新堀川の増水や洪水などを防ぐ効果があり都心の安全を支えています。

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リニア時代の名古屋のまちづくりーNo 4中日ビルの再建 2019-05-13T11:19:33+09:00 2019-09-20T13:58:25+09:00 http://network2010.org/article/2079

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.4 中日ビルの再建

*このシリーズは、久屋大通公園(北エリア・テレビ塔エリア)の整備事業の進捗を中心に名古屋栄地区をハードおよびソフト面でインタビュー形式で紹介する企画です。2020年7月まで、約1ヶ月ごとに発信し栄地区の魅力をお届けします。*
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①栄地区再生へ
②久屋大通公園再生
③名古屋テレビ塔
④中日ビル
⑤都心を支える水のみち・風の道
⑥栄地下街
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第4回目として、 中部日本ビルディング株式会社 金森昭夫社長に中日ビルの建替えや栄地区の再生に 果たす役割をお聞きしました。

インタビュー要約

戦後復興と中日ビル

中部日本新聞(1965年改名)は、戦時中の1942年、新愛知新聞と名古屋新聞が合併し誕生しました。名古屋新聞の本社が現在の若宮大通と久屋大通が交差する場所にあり、中部日本新聞が置かれました。終戦直後の1946年、本社が中区御幸本町の旧新愛知新聞本社へ移転され中部日本新聞中日会館となり、名古屋タイムズ社が入居することなりました。戦後の復興計画で100m道路建設が持ち上がり、立ち退くこととなりました。代替地としていただいたのが現在の中日ビル(中区栄四丁目)のある場所です。現在では、当時より広い2000坪ほどありますが、当初新しく新聞社を建設する予定でした。しかし、新聞の発行部数が伸びており、この敷地面積では不足であるということで、断念することになりました。その代わりとして市民の皆さんに楽しんでいただけるビルを建設しようということになり中日ビル建設にいたりました。

その後の中日ビルの歩み

新聞社の建てるビルなので、ある程度の公共性、社会性、情報性、文化性が必要であろうとして、一般の商業ビルとは少し違う特徴を持ったビル建設になりました。昭和40年代までは、栄といいますと久屋大通の西側の地域を指していました。当時、中日ビルのある栄四丁目あたりは、武平通とか新栄と呼ばれていました。中日劇場開業時のパンフレットにも栄東と書いてありました。中日ビルの建設によって人の流れが東に移行し、栄ゾーンが東側に広がったといった功績はあると思います。中日ビルの屋上にある回転レストランは、栄の名物となりました。名古屋市民はもちろん、東海地方や東京、遠くは九州から来られた方にも、ここで食事をすると名古屋の街の魅力を感じることが出来たと好評でした。また、中日ドラゴンズの球団事務所が6階にあり、優勝パレードの終着点が中日ビルということもあって、中日ビルから久屋大通にかけて、何万人という人々が集まって監督、選手とともに名古屋が元気になったと喜んでいただきました。

栄地区の潜在力

最近は百貨店の売上げ高や地価上昇率などが、栄地区より名古屋駅地区が上回るなど、いろんな意味で栄の地盤沈下が言われています。しかし、栄は都市集積が名古屋駅に比べて圧倒的に進んでいると思います。商店街だけではなくビジネス拠点でもありますし、文化の拠点でもあります。ちょっと足をのばせば官庁街、名古屋城もありますし、南には大須もあります。東京における丸の内、銀座、浅草、上野などの特徴ある街が凝縮された地域であるといえます。栄は潜在的な力を圧倒的に持っています。残念ながら、その潜在的な力を引き出すことには至っていませんが、これを実現することが名古屋全体の力を引き出すことにつながると考えています。

栄バスターミナル跡地暫定活用事業

(株)中日新聞社を代表構成法人として、(株)三晃社、中部土木(株)、(株)電通中部支社、(株)名古屋三越の計5社で、栄バスターミナル跡地の暫定活用事業提案を行い採用されました。2020年から3年間限定ですが広場を整備、運営します。2020年夏には東京五輪、パラリンピックが開催されますので、関連イベントや パブリックビューイングなどで名古屋からも東京五輪を盛り上げよう、五輪を楽しみながらバスターミナル跡地の楽しく利用できればと考えています。

中日ビル建て替え

中日ビルは、2019年3月に閉館し翌日の4月1日から解体工事に入っています。多少ダブル時期はありますが、おおよそ18ヶ月かかります。2021年の初め頃から新築工事に入り、2023年中には、建物全体の外観とか大枠は出来上がり、その後、半年程かけて内装を行い、2024年度の早い時期のオープンを目指しています。多目的、複合ビルなので一つのコンセプトで表せませんが、思いとしては四つの機能を持たせたいと思っています。楽しむ、憩う、働く、集う。具体的には最上階から順にホテル、オフィス、集客フロアー、飲食と物販などのフロアーをバランス良く配置して、いろんな方々に楽しんでいただければと考えています。 中日劇場をなくすのは大変残念だという声を沢山いただきましたので、規模は小さくなりますが多目的ホールの設置を予定しています。洋楽、邦楽、コンサート、寄席・落語、小演劇などのスペースとして、またウイークデーはビジネスユースにご利用いただければと考えています。

久屋大通公園の再整備

栄地区での一番の課題は、久屋大通をいかに上手く使うかということです。終戦直後にせっかく先人は作ってくれた都市基盤。正直に言って名古屋市民は充分に生かしきっていなかった。東西の人の流れを分断する大きな川の流れのようになっていました。ようやく行政が中心になって久屋大通に人を呼び込めるような開発が始まりました。久屋大通公園の再整備が進み、中日ビルが連携できれば、栄の面的拡大が進むと思います。他の大都市と比較して都心にこれだけの緑地があり、面的な広がりを持つスペースはありません。また、愛知芸術文化センターのような文化の拠点もあります。ヨーロッパの都市に見られるような中心に広場、教会、市庁舎があり、人が集まって楽しめる新しい形の都心ができればいいと考えていますし、また、新しい中日ビルがそのための一助になればと思っています。

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リニア時代の名古屋のまちづくりNo.3 名古屋テレビ塔 2019-04-01T16:07:40+09:00 2019-09-20T13:58:55+09:00 http://network2010.org/article/2077

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.3 名古屋テレビ塔

*このシリーズは、久屋大通公園(北エリア・テレビ塔エリア)の整備事業の進捗を中心に名古屋栄地区をハードおよびソフト面でインタビュー形式で紹介する企画です。2020年7月まで、約1ヶ月ごとに発信し栄地区の魅力をお届けします。*
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①栄地区再生へ
②久屋大通公園再生
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第3回目として、 名古屋テレビ塔株式会社 大澤 和宏社長にテレビ塔の歩みと再生計画について、お聞きしました。

インタビュー要約

名古屋テレビ塔の歩み

太平洋戦争後、名古屋でも大規模な復興計画が作成され、そのプロジェクトの中心として若宮大通と久屋大通の2本の100m道路が建設されました。当時はその幅員の大きさから飛行場でも作るのかと言われたものです。名古屋テレビ塔は久屋大通の中心的なシンボルとして昭和29年に完成しました。NHKと民間放送各社がテレビ塔から電波を発信する日本で始めての集約電波塔で、名古屋テレビ塔完成の4年後に東京タワーが竣工しましたが、テレビ放送が始まる前から計画されたのは、ものづくりが盛んな名古屋ならではのことと思います。 航空法(昭和27年7月)が出来る前に認可されたため、それ以後に建設されたタワーが赤白ですが名古屋テレビ塔の色はシルバーです。建設後、赤白に塗りなおすように航空局から要請がありましたが、都市景観を担当されている学識者の意見もあって回避することができました。全国で銀色のタワーは、ここだけです。さらに、この当時は今のようなタワー建設技術がありませんので、三菱重工 神戸造船所で部材をつくり、こちらに搬入。船舶技術を使って部材の接続もリベット打ちで行いました。建築技術から見ても非常に貴重なもので、平成17年7月に国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。

タワー事業を考えたとき、一番重要なのは立地です。名古屋テレビ塔は久屋大通公園の中心に建設された、公園がにぎわい、多くの来訪者に一部がタワーに上がっていただくというのがタワー事業経営の一番のポイントになります。全国のタワーにおいても、例えば2年後に完成した大阪の通天閣は新世界という街のなかに作られて、夜にもなると何処ともなく人が集まってくる、4年後に出来た、東京タワーにおいては、東京都の観光のシンボルとして観光バスが何十台と収容できる駐車場を持っています。その意味で、名古屋テレビ塔は久屋大通公園と一体となて今日まで歩んできました。

電波塔から名古屋観光のランドマークへ

名古屋テレビ塔はテレビ放送(アナログ)の送信を主に建設され、展望台など空きスペースを利用して観光事業を行うことが特徴でした。一方東京タワーは、観光に重点を置いた設備になっています。平成23年(2011年)にアナログ放送終了し、収益面での大きな柱を失うことになりました。アナログ放送終了後の対策は、今から15年ほど前から行ってきました。放送に使用してきた空きスペースを観光に使うことにしました。実は、放送事業と観光事業は相性がよくありません。放送事業はセキュリティ上、人の立ち入りが禁止されます、一方、観光事業はなるべく多くの方に入って楽しんでいただくことがポイントになります。スペースが広ければいいんですが、名古屋テレビ塔のように狭い空間での放送と観光の相性は厳しいものがありました。一方、 名古屋テレビ塔株式会社は、観光事業を目的として設立されたので、前向きに考えれば観光事業に軸足を置いて、今まで放送に使っていたスペースを観光用に転用し事業を展開してゆくのが、再生事業の一番のポイントと考え15年間取り組みを行ってきました。その中での一番の課題は、南海トラフ地震に対する免震対策です。色んな案がありましたが、何十億といった費用が必要で民間が対応するには大きなハードルとなりました。近年になって、文化財である名古屋テレビ塔の外観を変えず、また低コストの世界で始めての免震工法が開発され再生事業のスタートを切ることができました。

名古屋テレビ塔再生へ!

再生後テレビ塔の概要を説明します。送信アンテナがある最上部はそのままにして、今後あたらしい放送、通信需要があればそれに対応することが可能です。決して電波塔としての機能を失うわけではありません。展望台は、現在夜を中心に夜景を楽しみながらプロジェクションマッピングを展望窓に投影するイベントを数年にわたり開発してきました。再生後は、演出面をさらに充実させて進化させていこうと考えています。下層部分にはホテルを誘致する予定です。名古屋はビジネスホテルが中心なので高級感を持ちつつ、テレビ塔の立地を生かして特徴のあるものを誘致したいと思っています。

テレビ塔エリアの話になりますが、名古屋市がPark-PFI制度を使って、整備・運営事業者には三井不動産を代表とする企業グループが選定されました。テレビ塔の南側に100mの水盤が設置されテレビ塔の姿を水面に映ります。夜には一新されたライティング「 煌(きらめき)」が水面に映り、新たな魅力を提供することでしょう。北側は、イベント広場になりテレビ塔を背景にイベントが展開されます。このエリアとテレビ塔のコラボによって、今までの単独に立つテレビ塔といったイメージは大きく変わるでしょうし、また期待もしています。久屋大通公園再生事業は、栄地区活性化の大きな核となると考えています。

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リニア時代の名古屋のまちづくりNo.2 久屋大通再生 2019-03-14T13:44:21+09:00 2019-09-20T14:00:44+09:00 http://network2010.org/article/2076

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.2 久屋大通再生

*このシリーズは、久屋大通公園(北エリア・テレビ塔エリア)の整備事業の進捗を中心に名古屋栄地区をハードおよびソフト面でインタビュー形式で紹介する企画です。2020年7月まで、約1ヶ月ごとに発信し栄地区の魅力をお届けします。*
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②久屋大通公園再生
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⑤都心を支える水のみち・風の道
⑥栄地下街
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関連コンテンツ  名古屋栄地区130年の変遷

Network2010では、リニア時代の名古屋のまちづくりをメインテーマとして名古屋駅、笹島、名古屋港など名古屋市西部地区を取材して掲載しましたが、第2弾として栄地区の再生!をテーマとして新しいシリーズを開始します。2019年1月初頭より久屋大通公園北エリア・テレビ塔エリアの整備運営事業が開始され、栄地区の再生がスタートしました。このシリーズでは、2020年オリンピック開催時期にあわせた久屋大通公園北エリア・テレビ塔エリアの整備運営事業終了までほぼ1ヶ月に1度のペースで、官民各界の提言をインタビュー取材いたします。また、完成時にあわせて総集編を制作する予定です。映像制作はNetwork2010(任意団体)が行い、運営はNPO法人 ビジュアルコンテンツ・プロダクトネットワークが行います。民主導の形態で行いますが、取材・制作に当たっては整備運営事業を推進する名古屋市住宅都市局と密に情報交換し、密度の濃いコンテンツを皆様にお送りする予定です。

第2回目として、名古屋市:久屋大通再生有識者懇談会の座長を務めておられる堀越 哲美(愛知産業大学 学長)に、久屋大通の今後の整備についてお伺いしました。

インタビュー要約

久屋大通の誕生と歩み

第二次世界大戦後の戦災復興事業として100m道路の建設が考えられました。名古屋では当時の佐藤正俊市長と田淵寿郎氏(市助役)が中心になって100m道路の建設が進められました。戦災復興事業として全国的に100m道路の建設が唱えられましたが、実現に至ったのは名古屋の久屋大通と若宮大通、広島の平和大通だけでした。その他名古屋では50m道路が九本建設されました。徳川家康によってつくられた名古屋城下は中心部が碁盤の目に区画され、戦後になって久屋大通は碁盤割の東端に100m道路が建設されたのが名古屋の特徴です。戦前の耕地整備事業、戦後の復興事業がこれからの「まちづくり」に大きな遺産を残してくれました。

久屋大通の建設は、防災機能の充実や道路の多目的化が意図としてあったんだろうと思います。それで駐車場を地下につくり、道路の中に公園の機能を持たせて、歩く人にとっても、車にとっても通りやすい道をつくってきたのが一つの特色だと思っています。

久屋大通の再生計画

栄地区周辺の街は、道路の沿線で北から南と違っています。現在でも東側と西側が違いますし。例えば、錦通と広小路通を挟んで北側と南側が違います。桜通から北はまた違う展開で、静かな公園になっています。街ごとの意味合いは随分違っていると思います。久屋大通公園の南側については現在検討していますが、北側に人が行きやすくなり、集まりやすくなる事が重要だと思います。

今回パークPFIという試みを行いますが、これだけ大規模で、しかも都心の一等地の公園に適応するのは全国でも第1号で、画期的なことです。テレビ塔界隈と南と北とは整備内容がちがいます。テレビ塔界隈までは、街のにぎわいを創出するため、例えば2階建てが想定されていますが店舗等が置かれます。北側にも一部カフェ的なものなどもありますが、スポーツを楽しむ人達の着替えの場所などの施設が置かれます。公園全体をそれらの施設でつないぐことで回遊性が高まって行くと考えています。

三箇所を結ぶトライアングル

現在、名古屋駅元気になって栄が寂れているといった感じがありますが、しかし元々の中心である栄を繁栄させることが重要です。栄と名古屋城と名古屋駅のトライアングルを結ぶことが大事です。もうひとつ忘れてはいけないのが、栄地区の南にある大須で、久屋大通の南と接続しています。この大須もターゲットに入れつつ、それぞれ持っている特性を生かしていかなくてはいけません。栄は賑わいがあり又、大きな緑地広場を持っている。名古屋城は天守閣の木造再建を控えていますが、本丸御殿も再建され他に例を見ない歴史・文化の観光スポット。それに交通こ結節点でありリニアが開通する名古屋駅。二都物語(チャールズ・ディケンズの長編小説)は知られていますが、三都物語みたいな三箇所を結ぶトライアングルを形成することが大事で、その間の活性化が名古屋全体を引き上げることになると考えています。

リニア開通に向けて

リニア中央新幹線の名古屋延伸が2027年という事なので、それまでに色んなことをやって欲しいわけです。栄の久屋大通公園バスターミナル(2019年3月末閉鎖)の跡地の暫定利用(2023年3月まで)が先月コンペで決まりました。これと北側の再生・整備が起爆剤になって、2027年のリニア開通に向けて南側の再生・整備を進める展開になると思います。

「まちづくり」を担う人材の育成

「まちづくり」に関わる人たちを増やしていかなくてはいけないと思います。専門家を育てる必要もありますが、例えば、市民が活動するなかで官民で事業を起こすこと等で人材を育ててゆく必要があると考えます。学校での教育だけでなく、役所、NPO、市民団体などが一丸となり、街をあげて「まちづくり」を行う必要があり、それに参加することが人材育成につながってゆくことと思っています。

映像ダイジェスト

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リニア時代の名古屋のまちづくりNo.1 栄地区再生へ  2019-01-31T10:32:18+09:00 2019-09-20T14:00:24+09:00 http://network2010.org/article/2075

【動画】リニア時代の名古屋のまちづくりNo.1 栄地区再生へ

*このシリーズは、久屋大通公園(北エリア・テレビ塔エリア)の整備事業の進捗を中心に名古屋栄地区をハードおよびソフト面でインタビュー形式で紹介する企画です。2020年7月まで、約1ヶ月ごとに発信し栄地区の魅力をお届けします。*
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②久屋大通公園再生
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関連コンテンツ  名古屋栄地区130年の変遷

Network2010では、リニア時代の名古屋のまちづくりをメインテーマとして名古屋駅、笹島、名古屋港など名古屋市西部地区を取材して掲載しましたが、第2弾として栄地区の再生!をテーマとして新しいシリーズを開始します。2019年1月初頭より久屋大通公園北エリア・テレビ塔エリアの整備運営事業が開始され、栄地区の再生がスタートしました。このシリーズでは、2020年オリンピック開催時期にあわせた久屋大通公園北エリア・テレビ塔エリアの整備運営事業終了までほぼ1ヶ月に1度のペースで、官民各界の提言をインタビュー取材いたします。また、完成時にあわせて総集編を制作する予定です。映像制作はNetwork2010(任意団体)が行い、運営はNPO法人 ビジュアルコンテンツ・プロダクトネットワークが行います。民主導の形態で行いますが、取材・制作に当たっては整備運営事業を推進する名古屋市住宅都市局と密に情報交換し、密度の濃いコンテンツを皆様にお送りする予定です。

第1回として、整備運営事業を担当する名古屋市住宅都市局の光安達也局長にリニア新幹線開通に向けた名古屋のインフラ整備、栄地区の再生のプランなどをインタビュ取材いたしました。

インタビュー要約

リニア時代の名古屋のまちづくり

リニア中央新幹線が開業すると東京と名古屋が40分で、大阪まで1時間で結ばれます。巨大なスーパーメガリージョンと呼んでいますが、そういった圏域が誕生することになります。7000万人の圏域人口がありますので、そこの中心都市としての役割を生かしながら名古屋はさらに発展していかねばならないと考えています。

名古屋港と都心を結ぶ水のみち

ささしまライブが2017年10月に「まちびらき」を迎え、新たな名古屋のにぎわい拠点ができました。また、中川運河の水上交通(クルーズ名古屋)も始まり、名古屋港と都心部を結ぶ新たなルートが誕生することになりました。

栄地区の再生

栄は名古屋の昔からの繁華街として発展してきました。都市は複数の核を持たないと発展しないと思っていますし、昔ながらの街がしっかり生きててこそ都市としての風格が出てきます。その意味で、栄の再生はこれからの重要な課題です。

久屋大通公園の再生と整備

名古屋の都心部の一等地に、これだけの広大な空間があることは全国的にも稀で、そこを活用して名古屋の再生を行っていくことは、世界に冠たる名古屋になるためには大きなものだと思っています。今回は、パークPFIを適用し民間の能力・アイデア・ノウハウ・資金力を活用します。久屋大通公園が人を多く集めてブランドを持つような地域になれば、それを起爆剤としてまわりの建物が再建される時も非常に質の良い建物になってゆきますので、久屋大通公園の再生を非常に期待しています。

久屋大通公園北エリアについては、オリンピック開催の2020年春のオープンをめざしています。テレビ塔エリアについては2020年7月、オリンピック開催に向けてオープンをめざしています。また現在、久屋大通公園南エリアの再生方法を検討しており、北エリア、テレビ塔エリア完成後に2027年のリニア中央新幹線が開業に向けて完成をめざしています。

魅力あるまちづくりへ歩み

いままでの「まちづくり」は、ハードを中心に進められてきました。人が暮らしやすさ、活動しやさを優先し一から「まちづくり」を行ってきましたが、現在ではそういったインフラ整備はほぼ完了しています。これからは、今ある街の中に、どうやって人を呼び寄せる魅力をつくるかが課題となります。名古屋を行って楽しく、行って良い街にする方法は整備作業を進めてゆく中で、それぞれの地域の特色を生かながら具体化してゆこうと考えています。

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