沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第6講 稲置街道から御成道へ 第8回「刎ねた首まつる─御首社」

刎ねた首まつる─御首社

御首社(首塚)。白い幟旗がたなびいている

御首社(首塚)。白い幟旗がたなびいている

この地に伝わる山伏塚について、『尾張名陽図会』は、次のように伝えている。

むかしこの辺山野にて有りし時より言ひ伝ふ。今、長久寺境内に入りしといへど、定かならず。ある言ふ、長壁筋(ながへいすじ)の東の屋敷の庭に大いなる松有りしが、土中より至って大いなる螺貝(ほらがい)と、釈杖の首を掘り出だせり。主人心付け、かの古松は山伏の塚印なるべしとて、両品を元のごとく埋み置きける由。彼の山伏塚はこの所にやと、ある記に見えたり。

長久寺の前の道は、長壁筋とよばれる武家屋敷の高壁が長く続く道であった。その道の東のはてにある屋敷の庭に大きな松の木がそびえていた。松の木の下を掘ってみると螺貝と錫杖(修験者のもつつえ)の首の部分が出てきた。ここが伝説の山伏塚であったと主人は螺貝と錫杖を再びうずめた。

『袂草』は山伏塚を犬山街道の坂の中ほどの東側にある竹腰山城守の屋敷の中にあると記している。

長久寺筋西取附北側、竹腰門太夫屋敷裏に、山伏塚あり。是はむかしある山伏、敵のねらふよしを知りて此家にかくまひ貰ひ居しが、程経て後に今はねらふまじくと思ひ、大晦日の夜無余儀用事ありて、町辺まで出しが、夜更けても帰らず、竹腰もいかがと案じ居しが、何のさたもなし。翌元朝、(かまど)の上に右山伏の首、今切られたる如きが乗り在りければ、偖は夜前、終に敵に討たれたるものならんと察して、其首を裏に埋めて塚を築きしとぞ。

御首社(首塚)

御首社(首塚)

敵にねらわれている山伏が竹腰家にかくまわれていた。やむをえない用事があって大晦日の夜、外出した。山伏は夜中になっても帰らない。翌朝、竃の上に刎ねられた山伏の首が乗っていた。その首を埋めたのが山伏塚であるとしている。

御首社には、出典不詳の由来書が張ってある。首を刎ねられたのは山伏ではなく虚無僧であるとしている。

托鉢に竹腰家に来た虚無僧が門前で「行け」と言われたのを「出ていけ」ではなく、「中に入れ」と言われたと思い、屋敷の中に入って行った。けしからぬ奴と一刀のもとに首を刎ねられた。その首は台所の竃の上にまで飛んでいった。

気の毒なことをした竹腰家で、その首を埋めて築いたのが首塚であるとしている。

御首社は、眼病に効く社として信仰されている。

地図


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