沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第1回「八十七番 花の名古屋の町割」

八十七番 花の名古屋の町割

江戸時代後期の名古屋城下の碁盤割り

江戸時代後期の名古屋城下の碁盤割り

江南、村久野の地に部落の人々が集う、小さな喫茶店がある。村久野を調べる用事があり、何げなくその喫茶店に入った。カウンターに座り土地の人々とコーヒーを飲んでいた。話がたまたま、私財を投げうち、家業を傾けて村久野を研究された、今は亡き青山鐘委致氏のことに移っていった。客のひとりに寺井さんという青山氏から薫陶をうけられた方がみえた。寺井さんから数日後、プリント刷りの青山氏が研究された膨大な資料が送られてきた。その中に寺井さんの手書きの『七墓御詠歌』と記されたノートが入っていた。

幕末から明治にかけ、若い人たちが、七つの墓をめぐり、寄進を募り、架橋をしたり、道普請を行った時に歌われたのが『七墓御詠歌』である。 ノートの中には「花の名古屋の町割りは……」で始まる名古屋の碁盤割の町名を詠み込んだ歌も入っていた。 町名変更により、碁盤割の町名が消えた今、その歌によって、往時の名古屋の碁盤割の町の華やかさに思いをよせたいものだ。

八十七番 花の名古屋の町割

花の名古屋の町割は 四面四角に碁盤割
御城下は三の丸 本町御門出てくれば
片端通りとは これなるか
にほいも高き京町の どなまぐさいが魚の棚
桧さわらや杉之町
春三月のころなれば ちらりちらりと桜町(さくらんちょう)
人馬つめおく伝馬町 玉を入れおく袋町
損はたたねと本重町 酒の肴にかばやき町
常(いつ)もにぎあふ広小路
日もくれかかる入江町 屋敷がまへの三ツ蔵町
しんしょさかへし花屋町 おたび所横町うちこして
丸こしなくてそぶえ町 七面横町は、これなるか
仕度(したく)もしたき茶屋町の これから横をたずぬれば
塩やこうじや御園町 はや伏見町へさしかかり
出船入船、桑名町 をいたる奴もつまらねど
長島町となりぬれば 金銀みつる長者町
いつはりいはぬ本町の 家の土台も七軒町
薬は、ここに呉服町 参宮もはやる伊勢町
こよいお前に大津町 いつたや江戸の鍛冶屋町
ひさやをつけてそ人した お七ゅうみは武平町