沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第8回「秀吉の影武者 腕塚」

秀吉の影武者 腕塚

庄内川越しにアピタ名古屋北店を望む

庄内川越しにアピタ名古屋北店を望む

天正十年(一五八二)六月元日、豊臣秀吉は、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたの報を手に入れ、備中(びっちゅう)高松から陣をといて、姫路城に帰着しました。 十三日には四万人の軍隊で、光秀が陣をひく、山崎に向かって光秀の軍を攻めたてました。 この戦いに安井の里の犬飼秀長も出陣(しゅつじん)していました。

秀長の叔父の浅野長政は、信長の死後の天下を、秀吉に何が何でもとらせたい、そのためには、絶対に、この戦いで、どんなかたちでも秀吉を死なせてはならないと考えていました。長政が最もおそれたのは鉄砲で、秀吉が討たれることでした。 なにかよい方法はないか、長政は必死になって知恵をめぐらしました。

よい方法がひらめきました。秀長の背丈も、姿、かっこうも秀吉によくにているのです。長政は、秀長を影武者に仕たてようと思いました。 明智軍をあざむくために、秀吉がつけていると同じ甲冑に身をかため、陣羽織を着ました。 秀吉そっくりの堂々たる大将にみえます。秀吉は、そまつななりの下人の姿になっています。

長政は、わざと大きな声で秀長に向かって、「殿、おさしずをお願いします」と言います。敵をあざむくには、まず味方をだませと、秀吉になりすました秀長を大げさに持ちあげています。秀長も心えたもので、秀吉のまねをして、さしずをしています。 下人にふんした秀吉を、大きな声でしかりつけもしました。秀吉はおもしろくない顔をしていますが、どうすることもできず、ふてくされた顔で「へい」と言います。 秀長は「何だ、その返事は」とまたしかりつけます。長政は、秀長に誉田別尊の神像を与えました。「これを身につけておれば、神の加護があるだろう。殿の身代わりとなり、殿を守ってくれ」と頼みました。

明智軍が攻め入ってきました。敵のねらいは大将の秀吉にふんした秀長です。 光秀の四天王のひとり明智但馬守が馬に乗り、刀をふりまわし秀長に襲いかかりました。秀長も応戦します。但馬守の刀がするどくふりおろされます。右腕が切り落とされてしまいました。 長政の与えた神像の加護のため秀長はあやうく生命びろいをしました。

秀長の腕塚がかつてあった場所に今はアピタが建っている

秀長の腕塚がかつてあった場所に今はアピタが建っている

山崎の戦いが終わった後、秀長は故郷の安井の里に帰りました。 切られた右腕を辻村の西の端の葦の原の中にうずめました。 秀長の腕塚として守られてきましたが、今、そのあとにアピタが建っています。

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